見出し画像

女友達という処方箋

ワイン好きの友達と、3人で集まった昼下がり。

大好きな、カリフォルニア、シャルドネワインのテイスティング。
友人宅のポーチで、彼女が用意してくれたワインにマッチするスナックや、向日葵の、明るい色をした取り皿や、ピンクの蝶々のナプキンに気分が上がって、きゃあきゃあ言いながら、席に着く。

子育て真っ最中の30代半ばのエミリー、
50代半ばの私、
先日、職場をリタイアした、70になったケイト。

こうしてみると、面白いトリオかも。

真ん中の年代にいる私は、一番オトク、と、このメンバーで集まるときはいつも思う。

だって、年下のジェネレーションの瑞々しい感性と、成熟した思慮深さの間に、ぽつんと私が佇んでいる。それはとても心地いい。

会話の間にも、大好きなふたりの波動がバランスよく交わって、私を包んでくれているのを感じ、自分が内側から、自然に開いていくように思うのは、ワインだけのせいじゃないはず。

エミリーの両親が来週、他州から訪ねて来るという話から、ケイトのお母さんの話になり、自然と私の母の話になった。

私は言った。

「父は亡くなったとき、すぐに夢を通してメッセージをくれて、私を安心させてくれたけど、母は亡くなって半年経った今も、何もないのよ」

元気に過ごしていたのに、ある日、突然、亡くなってしまった母。

私には何の準備もできていなかった。

それどころか、母に会うために、ワクチンを打ち、仕事の調整をして、日本に戻る予定を立てていたところだった。

自分を産んでくれた人が亡くなる、というのはこういうことだったのか、と、驚いた。
そして、その後、私は生まれて初めて、母のいない、母の誕生日の日を過ごすことになる。

こうした体験は、私に新しい視点を与えた。
「私の子供たちも、いづれ私を失うのだ」
そのことに、私の心は注がれ始めた。

この、何にも例えることのできない、しんしんと積もっていくような淋しさを、私の子供たちも体験するのだろうか、と思ったのだ。

母のことを話していると、いつのまにか涙が滲んでいた。

ケイトが、
「ねえ、3人でお祈りしましょうか、
ナオコ(私のこと)、お母さんへの想い、解放してあげて。
言葉にできる?」

ちょうどその日、エミリーがお土産にと、私たちにプレゼントしてくれた、セレナイトのワンドが私たちの手元にあった。
浄化の石、と呼ばれる半透明の石。ヒーリング作用が高く、心の奥深くにある負担や不調を取り除き、新たな気づきを促す効用がある。

なんだ、すでに、見えないところでは、セッティングはされていたのだ。

私はセレナイトを両手で挟み、胸の前において目を閉じた。

しばらくの沈黙のあと、私の唇からは、母への想いが次々に溢れてきた。それは、私には、母に対する覚えのある言葉だったり、突然現れてきた言葉だったりした。


そして、最後には、ただ、ただ、あなたがいなくて淋しいのだと、私は泣いた。



目を開けると、二人も、また、泣いていた。

涙は浄化のしるし。

夕陽が、ガラスのテーブルの表面を浮き立たせ、夕方の涼しい風を、肌に感じた。

皆んなの、ピンクの蝶々のナプキンが、涙でくしゃくしゃになって残された。

私たちは、再び乾杯をした。

乾杯の理由はいくらでもあった。

けれど、その時、私はどんなに感謝しただろう、
私が私自身のままでいられ、安心して私を解放し、私自身をシェアすることのできる、この女友達に。

私たちは、祈り、泣き、そして笑った。

この状況に、3人で笑いをこらえきれなかったのだ。
ワインで酔っていても、こんな素晴らしい浄化を経験できるなんて!

ケイトが口を開いた。
「ねえ、お母さん、
きっと、まだこの世界にいるんだよ、
だから、ナオコにバイバイって、言う必要がないんじゃない?。
母親ってね、父親のようにさっさとあっちの世界には行かないものかもしれないわよ。自分の子供や、孫がちゃんと幸せでいるかどうか、それをしっかり確認してからでないと、向こうにはいかないって読んだことがあるわよ」

「ああ、それ、私も読んだことあるわ。」エミリーも同意する。

ああ、それは本当に母らしい。
いつも、いつも、私たちのことを気にかけてくれていた。

「元気でおってね、
 元気でおるんよ。」

電話の最後には、決まってそう言っていた。

そうか、母はまだこっちの世界にいるんだ。
私は、すとん、と納得した。

私もときどき思う。

何度、生まれ変わったとしても、今のこの、私の家族のメンバーで、地球に暮らすのは、この人生、一回切りなんだ、と。
そのことを思うだけで、愛おしさで胸がはりさけそうになる。
出会えたことへの、家族になれたことへの、感謝を叫びたくなる。
私が肉体を脱いだ後も、許されるなら、この世界で暮らす子供たちの笑顔を、少しでも長く見ていたいと思うかもしれない。

母のお葬式には、帰国することもできず、私はひとりで海へ行き、そこから母を見送った。
表現できずにいた感情は、こんな愉快な女友達との集まりで、ふいにきっかけを得て、解放された。

思ってもみないことだった。

昔、人々が大家族だったころ、かつて長屋の女たちが共同井戸に集まり、水汲みや洗濯などを一緒にやっていた頃。

カウンセリングも、ヒーリングという言葉も、なかった時代に、水汲みの順番を待ちながら、女たちの涙や、笑いや、浄化がそこにはなかっただろうか、と思いをはせる。

そうやって、私たちは命を繋いできたのだ。

もちろんそこに、ワインはなかっただろうけど(笑)。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?