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変化のきっかけを掴み、自分を変えるために

こんにちは。今回は「きっかけ」について。

最近早起きができている件

皆さんは朝何時に起きて活動を開始しているでしょうか。私は最近7:00起床のペースが染み付いていたのですが、ここ数日間は5:45起床に一気にレベルアップできています。

朝活をしたい、朝早く起きたいとは前々から思っていたことなのですが、何故か突然6:00前に起きられるようになり、最近は朝散歩を楽しんでいます。

さて、このきっかけがどこにあったのかは正直はっきりしていませんが、その前日に人と話していたとき、「(私が)noteを朝ルーチンにしてるのすごい」的なことを言っていた覚えがありまして。

もしかしたら「朝ルーチンができている自分」という意識が芋づる式に理想の朝ルーチンを引っ張り出したのかも知れません。

きっかけは偶然に発生する

このように、きっかけがあれば人間は大胆な変化ができる生き物だと私は考えています。しかし、きっかけとの出会いはある種の偶然に頼るほかありません。

自分でいくら「これがきっかけだ。だからこれから私は変わる!」と思い込んでもそれはきっかけとして作用しません。(もちろん、その意志の強さからの行動でなにかが変わることはあるかも知れませんが)

では、きっかけは運に恵まれた限定された人間のみに与えられるものか、というのも違います。私はあくまできっかけは「偶然」としか言っていません。その偶然が発生する確率は本人の意識によって上下する可能性を秘めていると考えます。

きっかけを引き寄せる努力

では、きっかけを得る確率を上げるためにはどのような行動をすればよいのでしょうか。これは割と単純で、皆さんもすでにご存知のことだと思いますが「外界にアンテナを張る」ことに尽きると考えられます。

冒頭の私の話をもとに「きっかけ」を定義するなら、「自分が考え、知ろうとしていることに対して外部から加わる刺激で、自分の行動を呼び起こすもの」とでも言いましょうか。

この定義に基づくなら、まず「自分が考えていること」及び「知ろうとしていること」がきっかけが発生する前提になります。ここは自分の努力でいかようにもできる部分です。

例えば新しい本を読む、人と会話する、運動をするなど、様々な手段で自分の認識のアンテナは広げておくことができますよね。

認識のアンテナを広げることは偶然の「確率」と「母数」の両方に作用します。興味があることについて深く調べればきっかけに当たる確率が増え、広く興味を持つようにすればきっかけになる事象の母数が増えます。

きっかけを逃さない努力

しかし、上記のことだけで必ずきっかけに出会い、自分を変えられるか、というとそういうわけでもありません。ここで定義の後半部を見直してみます。

先程「外部から加わる刺激で、自分の行動を呼び起こすもの」と私は書きましたが、外部へアンテナを張るだけでは「刺激」かどうかを判別することはできないことは忘れられがちです。

外部にアンテナを張ることで確かに様々な情報が入ってきますが、それを有効だ、と感じる。つまり刺激とするためにはその情報の「強さ」を感じ取る必要があります。

強さを感じ取るためにはセンサーを敏感にすること、言い換えれば弱さをさらけ出しておくことが必要です。自分の意見だけに凝り固まっていては刺激は十分に伝わりません。

これは「考えること」に含まれる話にはなりますが「何が自分に足りていないのか」を考え、答えを探し続けることが必要になります。

その状態であれば、強い刺激の可能性を逃さずキャッチできるのではないでしょうか。

きっかけを忘れない努力

最後に「自分の行動を呼び起こすもの」という論点について補足します。

自分の行動につながらなければきっかけに意味はありません。しかし、せっかく行動につなげたきっかけを、「一瞬だけの行動」で終わらせてしまうのはあまりにもったいないです。

きっかけに基づく新たな行動はそれ自体が強い刺激になります。つまり、一つのきっかけが新たなきっかけを生むケースが有るということです。

残念ながらきっかけは行動が習慣になる前に忘れてしまうことがありますが、ここで前述の「新たなきっかけ」が行動を続ける鍵になりそうです。

最初のきっかけが劣化する前に新たなきっかけにアップグレードすること。そのためには、きちんときっかけに基づく行動と結果を言語化・記録しておくことが有効です。これはきっかけの劣化を防ぐだけではなく、次のきっかけを生みやすくする行動でもあります。

きっかけは偶然であっても奇跡ではない

と、いうことで、きっかけはたしかに偶然の産物ではありますが、それを掴むためには様々な努力が必要だということをお話してきました。

生まれ持った才能や降って湧いた財産などはきっかけの一つですが、それらの外的要因は努力を伴わないが故に、価値観の変化と継続的な行動を促す意味でのきっかけにはなりえません。

逆にこれらの努力を続けていれば、なにか大事なきっかけに出会ったとき、それを有効活用できるのではないでしょうか。


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