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寝床屋のとある一日 3

 寝床屋の管理人になると、仲間の気配に敏感になるのだろうか。
 じっと眠っていた仲間が目を覚まして動いただけでもわかってしまう。
 だから、水差しとコップを持ってその部屋へ向かう。
「おはよう、水を持ってきたよ」
 ベッドの縁に腰をかけている新しい仲間は、寝起きらしいぼんやりとした表情であたしを見た。
 あたしが水の入ったコップを差し出すと、小さく頭を下げて受け取った。そして、あっという間に飲み干す。
 おかわりを注いでやると、立て続けに三杯の水を飲んだ。
 それから、あたしをじっと見る。
「おはようございます」
 そう言った声は、高くもなく低くもなく、声変わり前の少年のようにも、落ち着いた女性のようにも聞こえた。
「おはようございます。あたしはトワ。なんて呼べばいい?」
「レイ、です」
「レイ。食事の用意をするけれど、食べられないものはある?」
「……とくにはないです」
「了解。用意する間に風呂入るかい?」
 レイは自分の腕や脇を嗅いでから、入ると答えた。臭くないと、あたしは思うんだけどね。
 浴室にレイを案内して、着替えを何種類か置いてから、あたしは食堂に戻った。
「私たちが運んだ子が起きたの?」
 ソファから立ち上がったミユは、あたしのあとをついて台所へ来た。
「そう。子、だと思うけど、声を聴いてもいくつくらいかわからなかった。レイって呼んだらいいってことだけど」
「年齢性別不詳の綺麗な子、か。トワさんも年齢不詳だよね、ざっくり『大人』って感じ」
「自分では大人になったと思わないけど、そんなもんなんだろうね」
 ミユと二人で、三人分の夕食を用意する。
 風呂上がりのレイが食堂に入ってきたらしく、テーブルに料理を並べているミユの声がした。
「メインのお魚ももうすぐできるからね。座って、どうぞ召し上がれ」
レイの返事は聞こえなかったけど、椅子を動かす音が聞こえた。
 焼き魚を持って食堂に入ると、ミユがレイに自己紹介をしていた。
「私はミユ。ヒイロがお昼寝中だから、トワさんのお手伝いをしてるんだ」
「助かってるよ、ありがとう」
 そう、あたしが声をかけると、
「いただいてます」
 レイが噛んでいた何かを飲み込んで、ぼそりと言った。
「ちゃんと噛んで食べなよ」
 あたしはレイの向かいに座り、ミユはあたしの隣に座って、いただきます。
 黙々と食べるレイ。華奢で長身。あたしが渡した服は、予想通り幅が余ってだぼついている。
「砂浜で眠っていたレイをここへ運んでくれたのが、ヒイロとミユなんだよ」
 食後のお茶を用意しながら、あたしは言った。正確には、ヒイロがレイを肩にかついできたのだ。
 すると、レイはミユに向かって頭を下げた。
「たどりついた記憶がないと思っていたんです。ありがとうございました」
「どういたしまして。食事もしたし、眠気もなくなった?」
「はい。でも、まだ頭がぼんやりしてます。分厚い教科書を一気に読んだ、みたいな感じで」
「わかるー!」
 ひょいとテンションが上がったミユの隣で、あたしは大きく頷いた。
 界境の守護者あるある、だ。
 約一年間の眠りにつきながら、必要な知識を必要な時に使えるように刻み込まれる。
 起きてしばらくは、膨大な知識量に慣れてなくてぼんやりするのだ。
「ヒイロ、って聞いて、あーヒイロねー、ってなったでしょ?」
「あ、はい、そんな感じでした」
「その感覚をね、しばらくは頻繁に味わうよ」
 言いながら、ミユはうんうんとうなずいた。
「その時になって初めて、知ってるそれ、ってなるんだよ。あたしもそうだったし、まだそんな感覚になる場面に遭遇するかもしれない」
「トワさんでも?」
「あたしは管理人でここにずっといるから、同世代より経験値は低いと思うよ」
「……トワさんと同世代かそれ以上っぽい人と会ったこと、ないかも」
「守護者じたいが珍しい生き物だからね」
「そうだけど」
 ミユは納得していないに違いない。
「何かあったんですか、その世代に」
 ぼそりと投げかけられた言葉に、あたしは水を飲もうとして止めた。
 レイとミユの視線を感じる。
「ある守護者が、反逆者を無差別に攻撃し始めたのが始まりで、たくさんの同類が死んでしまったんだ」
 なるべく落ち着いて言ったつもりだ。
「そんな、ことが?」
 ミユは本当に驚いていて、レイですら目を見張って驚きを隠さなかった。
「そう。たぶん、あたしが生まれる前にもそういう大きな争いはあったんだろうけど、知識としては植え付けられないんだ。だから、あたしが経験した争いも、若い世代は知らないみたいね」
「知らされないこともあるとはわかっていたけど……」
 界境の守護者は全知である必要はない。知らないこともたくさんあるのだと、自覚している。
「前のヒイロとミユや、ここの管理人も、そのどさくさで死んだんだ」
 あたしは、ぽろりと口に出していた。
「……どんな方々でした?」
 そう訊いたのはレイだった。ミユの代わりに訊いてきたのかもしれない。
「前のヒイロとミユは、あたしには、王様と側近みたいに見えた。前のミユはヒイロにだけ笑顔を見せる人だったよ」
 後半はミユを向いて言った。
「私とはまったく違うタイプね」
「そうかしらね。前のヒイロはにこやかで、誰にでも平等に優しく接しようとしていた」
「会ってみたいかも」
「ヒイロが焼きもちを焼くよ、きっと」
 あたしが言うと、ミユは小さく笑った。驚きが去っていつものミユに戻ったみたいだ。
「前の管理人はね、守護者も反逆者も関係なく怪我人を受け入れて、できる限りの治療をしてくれた」
「トワさんはどの立場だったんですか?」
 レイの問いに、あたしは前置きをしてから答えることにした。
「当時の同類たちは大きく三つに分かれていた。反逆者を攻撃する守護者たち、普段通りに守護者の務めを果たしていた者たち。そして、反逆者たち」
 反逆者にも率先して守護者を攻撃する人や、戦わないけど守護者にも戻らないという人、いろんな人がいたけれど、たぶんそれは今もあまり変わらない。
「あたしは反逆者狩りには関わらずにいたんだけど、運悪く巻き込まれて怪我して、寝床屋に運ばれたんだ」
 レイとミユがぐっと口をつくんだ。
「大怪我ではなかったってのもあるけど、管理人のおかげで、あたしは元気に今も生きてる」
 あたしは明るく言ったつもりで、それから、水を飲んだ。
「トワさんは怪我が治ってから、どうしたの?」
 ミユがいつもより柔らかな声音で問いかけてくれた。
「食事を作る手伝いをしてた。ある時、前のヒイロとミユが来て、管理人と三人で何か話をしていったんだ。その時にヒイロが、あたしの料理をほめてくれてね。あたしは嬉しくて手伝いを続けることにしたんだ」
 同じ役目を持った者同士の争いに、あたしはモヤモヤした思いを抱いていた。
 あの時のヒイロは、あたしのモヤモヤに気づいていたのかもしれない。
 ヒイロにほめてもらえたあたしは、モヤモヤが消えたわけではないけれど、単純に嬉しかった。
「それからしばらくして、ここで戦闘が起こって。はじめは一対一だったんだけど、まわりを巻き込んで、外から戦闘に加わりに来た人もいて。止めようとした管理人が攻撃を受けてしまって、即死だった」
 あたしは目を閉じた。怒号と悲鳴が蘇る。
「そこへ、ヒイロとミユが来てその場はおさまったんだけど、彼らはすぐに出て行った。次の日、前のミユが一人で寝床屋に戻ってきた」
目を開けると、レイは壁を見つめ、ミユは目を閉じていた。
「そして、寝床屋にいたすべての怪我人を動けるまでに治癒して、彼女は去っていった」
 あたしはお茶を飲み干した。思った以上に喉が渇いていて、水差しから水を注いで飲んだ。
「二人の最期を見てはいないのですね?」
 ゆっくりと目を開けたミユが、静かな声音で言った。
「うん。ミユは、あとはまかせます、と言い残して出て行った。誰も追わなかった」
「そう、ですか」
 そう言ったミユはうつむいてしまった。ミユの長い髪が肩からすべってミユの表情を隠すさまを、あたしは眺めていた。
「前のミユは、争いは終わりました、とも言ったから、みんな察したんだよ。ヒイロたちが反逆者狩りの首謀者を殺したんだろう、って。そして、ヒイロの全てで皆を治癒したんだって」
 ヒイロの持つエネルギーを、ミユは他者の治癒に使うことができる。
 それを、あたしたちは知っている。具体的な方法や仕組みを知らなくとも。
「それから、生き残った人たちはここを発ち、あたしは寝床屋の管理人になった」
 しばらくは、ここの改修作業を手伝ってくれる人もいたけれど。
 寝床屋の傷が消えるに合わせるように、訪れる当時の仲間は減っていった。
 代わりに、新しい仲間がここで眠りに就き、発ったのちには差し入れを持って訪れてくれるようになった。
「トワさん、話してくれてありがとうございます」
 しばしの沈黙を破ったのは、レイだった。ミユも顔をあげて、レイを見てから、あたしを見た。
「私、トワさんにそんな悲しい経験を二度とさせたくない。反逆者はいなくならないとしても、反逆者狩りなんてこと、絶対にしないし、誰にもさせない」
 言い切ったミユが、コップを握っていたあたしの手に、自分の手を重ねた。
 柔らかい手だ。
「だから、安心して、ここを守ってください」
 レイも手を伸ばしてきて、あたしの手に重ねた。
 大きな手だ。
 あたしは何も言えなくて、何度もうなずいた。目が熱くなって、涙がこぼれた。


 夕食の片づけが終わると、レイはすぐに発つと言い出した。
「もう行くの?」
 と、ミユがちょっぴりさみしそうに言ったけれど、レイはためらいなく玄関扉を開けた。
「せめて、着ていた服が乾いてから着替えていけばいいのに」
 寝床屋にあったサイズの合わない服のまま、レイは行くらしい。
「すぐに来るので、そのときまで置いておいてください」
 本当に明日にでも来てくれそうな言い方に、あたしは笑ってしまった。
「わかった。気を付けていってらっしゃい」
「またね」
「はい、いってきます」
 閉まる扉の隙間に見えたレイの笑顔に、あたしとミユは顔を見合わせて喜んだのだった。

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