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異世界に行ったら ~後編~


 リディの手に重ねて、まばたきをしたら、私は私の部屋にいた。
 テーブルに置いたはずの原稿がなくなっている。散らかったままのはずの道具は揃えられて、テーブルに置かれている。
 冷蔵庫の扉を開けると、空っぽになっている。
 誰かが来たんだ。
「あのぉ、お尋ねしたいことがあるのですけれどぉ」
 声に振り向くと、リディがまだいた。
「私が先に質問する。私が向こうにいただけ、つまり一か月がこちらも経過してるのね?」
「はい、そうですよぉ」
 リディはこくりとうなずいた。
 私は親によって行方不明として警察に届けられているのかもしれない。届けられていなくても、部屋を片付けるなんて親しかいない。
「親に連絡しなきゃだわ。なんて言えばいいんだろう」
 どう説明すればいい? 別世界に行っていました、とか? 信じるはずない。
「では、誘拐されていたことにしましょう」
「は?」
 リディは笑顔で右手の人差し指を立てた。
「嘘をつくなら事実もまぜたほうがいいんですよぉ。原稿が仕上がったので気分転換に散歩に出たら誘拐されて、男と暮らしていた。部屋から出られなかったので、どこかわからない。目隠しされて車に乗せられて、おろされたのが駅前だった。お金も携帯もないので歩いて帰ってきた。……どうですぅ?」
「ほほぉ。で、部屋の鍵は持ってたのはなぜ? 合鍵をどこかに隠すなんてしてないよ、私」
「ふむ……」
 顎に手を当ててリディが考え込む。しぐさがイチイチ古臭いというか、嘘くさいというか。感情を見せない笑顔といい、リディはリディという役を演じているみたい。
「では、部屋に入らずに、管理人さんに電話を借りたい、と。親に連絡したいから、と」
「管理人は常駐してないんだけど? 大家さんや管理会社の連絡先なんて覚えてないからね」
「交番に行きましょう。そうしましょう」
 リディがポンと手を打つから、私は笑ってしまった。
「そうしますか。携帯もお金もないんじゃ、それしかないよね」
「その前にぃ、私に教えていただきたいのですがぁ」
 また語尾がのびてる。語尾をのばさないしゃべり方もできるんじゃん。
「何を?」
 私が首をかしげると、リディの目がすっと細くなった。
「いやぁ、やけにあっさりとしたお別れだったのでぇ、あの方とはどういうご関係だったのかなぁと疑問に感じましてぇ」
 私はふいと横を向いた。
「逃げられないぞぉって脅しましたけどぉ、わかりましたってぇ、あなたはあっさり言ったじゃないですかぁ」
「……理想の存在よ。私にとっては最高の理想の人」
「あなたにとってはぁ?」
「彼にとっての私は、おままごとの相手、よ」
 リディが役者っぽいのはそのしぐさだけど、彼は彼自身をもだましてしまうような生まれつきの役者だ。
「彼には自分ってものがないらしいの。相手が望む言葉や態度がわかって、その通りにしてきたんだって。彼が自分で言ってた」
 私は言って、改めて部屋を見回した。彼の部屋と同じ間取りの、私の部屋。彼の部屋と比べて雑多で物が多い。
「ほぉ、なんともおもしろい人物ですねぇ」
「部屋にいていいって言ったあとで、彼が言ったの。僕のことは恋人だと思ってくれ、って」
 外見が好みじゃなかったら、キモイで終わってたかもしれないけど。
 彼の顔は本当に理想の男性そのもの。芸能事務所のスカウトに声をかけられることはよくあるそう。大変そうだし、興味がないからと断り続けているらしい。
「だから、おままごと、だったの」
「なるほどぉ。スッキリしましたぁ。では……」
「ちょっと待ったぁ!」
 リディの腕を、私はがっしりとつかんだ。リディは驚いたようで、笑顔が一瞬消えたのを、私は見逃さなかった。
「私の質問にも答えて! あんた、ナニモノ?」
「ナニモノと言われましてもぉ」
「マンガのネタにするから! 教えて! 別世界に自由に行き来してるんでしょ? 私のほかにも別世界に行っちゃう人って多いの?」
 まくしたてたら、リディが声を上げて笑った。偽りのない笑顔に見えた。
「マンガですかぁ。いいですねぇ。でも、ほんの少しですよぉ」
 言ったリディがウインクした。嘘くさいウインクだと思いながら、私は腕を放した。
「メモ、とるから、ちょっと待って」
 ネタ帳とボールペンを本棚から出して、私は聴く態勢を整えた。
「私共はぁ『界境の守護者』という肩書で活動しておりますぅ。といってもぉ、会社員とかでなくてぇ、公務員でもなくてぇ、どこの世界にも所属していないのですぅ」
「どこの世界にも?」
「はいぃ。普通に生まれて生活してたのですけどぉ、ある日ぃ、目覚めるんですよぉ、『私は界境の守護者だぁ』ってぇ。これはぁ、説明しようがないのですぅ」
「え、神様に与えられた使命っていうやつ?」
「与えられたんですかねぇ、いやですねぇ」
 そう言ったリディが本当にいやそうな顔をして、私はまばたきを繰り返した。
「私共が『創造主』と呼んでいるモノはぁ、世界を作ることしかできないのですぅ。神様ってぇ、敬われるじゃないですかぁ? 創造主を敬ったことないですよぉ、私ぃ」
「そうなの?」
 創造主と神様は別物なのか。リディはうなずいてから、話を続けた。
「だってぇ、世界をポコポコ作っておきながらぁ、界境を越えさせるなぁってぇ、『越境者』の対処はぁ私共に押し付けてぇ、やっぱり世界をポコポコ作っていくんですよねぇ」
「えっきょうしゃ?」
「世界と世界の境を越えてしまう人のことですねぇ。あなたみたいにぃ、悪意もなくたまたま越境しちゃった人もいればぁ、悪意を持って別の世界に乗り込む人もいますねぇ」
「悪い人と闘うの?」
「そういったことが得意な守護者が対処するのですよぉ」
「武闘派がいるのね、ふむふむ」
 悪者と闘うリディは想像できないので、納得する。
「さぁ、長居しましたねぇ、交番までお送りしますねぇ」
「え、ちょ、まだ聞きたいことが……」
 リディに手をつかまれたら、ぐにゃりと景色が歪んだ。
 歪みがおさまると、そこは、最寄り駅のロータリーで、少し先に交番が見えた。
「ではぁ、マンガの完成を楽しみにしておりますねぇ」
 耳元で声がして、振り向いたけれど、誰もいなかった。


 それから、私は深呼吸をして歩き出し、交番に保護を求めた。
 警察でも、帰宅してからも、私はリディに教わったとおり、事実をまぜた嘘を貫いた。
 プロデビュー作について説明するときも、だ。
『異世界に行ったら』
 それが、私のデビュー作のタイトル。
 ありがとう、リディ。読んでね。
 ありがとう、ダーリン。

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