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あの歌をもう一度 前編

 あの歌を、あの歌声をまた聴ける日が来ることを、俺は信じている。

 俺がカナコを見つけたのは、商店街の中でも駅に近い閉じっぱなしのシャッターの前だった。
 目を閉じながら歌うカナコの声に、俺は一目惚れならぬ一耳惚れしていた。
 自分が立っている場所が映画かなんかで見るようなだだっ広い草原で、全身に心地よい風をあびている。そう感じたんだ。
 歌が終わると俺は拍手した、手が痛くなるくらいに。俺だけじゃなく、いつのまにか集まっていた人たちが拍手を送っていた。涙をぬぐう人もいた。
 目を開けたカナコは驚いた表情を見せ、それから何度もお辞儀をした。
 次の曲も聴きたかったが、ライブハウスを開ける時間が迫っていた俺はその場を後にした。
 今日は近くにある大学のサークルの新歓ライブ。音響や照明の操作も学生たちがやるから、オーナーの俺とバイトのミノルは飲食物の準備と提供をするだけということになっていた。
「それは俺も聴きたかったです」
 さっき聴いた歌声の感想を熱く語った俺に、ミノルは唇を少し尖らせた。
「初めて見る子だったな。人前じたい慣れてない感じだったよ」
「ますます興味が湧きました」
 とミノルが言ったとき、俺のズボンの尻ポケットでスマホが震えた。出して見ると、サヤカからの着信だった。
 店をミノルにまかせて、俺は裏口を開けて電話に出た。
「どうした?」
「ライブハウスの前にいるんだけど、来てほしい」
「すぐ行く」
 言いながら、俺は急いで表に向かった。
 入り口の脇の路上でサヤカとミズキと一緒にしゃがみこんでいたのが、カナコだった。

 足元がおぼつかないカナコをサヤカとミズキが支え、俺の先導で二階の事務室に連れてきた。
 俺はいったん店に戻ってミノルに改めて場をまかせ、水と食べ物を持って事務室に上がった。
 カナコは顔色が良くなく、静かに泣いて、泣きやんで、また泣いた。
「わたしはカナコです。公園で歌っていました。拍手が聞こえたので目を開けたら、ここにいました」
 カナコがスラスラとそう言ったわけではない。嗚咽の隙間から絞り出された言葉をまとめると、そういうことだった。
 サヤカとミズキは、ここへ来るまでにカナコから聴いた話をまとめて俺に説明してくれた。
 この駅前にあるのは商店街ではなく、花時計が有名な公園であること。カナコが住んでいるのはこの市だが町の名前は検索しても見つからないこと。そして、カナコが持っているスマホは圏外と表示されること。
 話を聴いた俺は、うつむいたままのカナコを見た。
「仕組みはわからないが、目を閉じて次に開けたら、知らない場所にいたってことだな」
 そう俺が言うと、カナコはうつむいたままで小さくうなずいた。
「そりゃ怖いだろ、不安だろ。とりあえず、今夜は俺ん家で寝たらいい。俺はここで寝るから、サヤカとミズキが一緒に俺ん家に泊まれば安心だ」
 親が遺してくれた一軒家に俺は一人暮らしだ。使っていない部屋も布団もある。
「寝て起きたら戻ってるかもしれないし。どうだ?」
 俺の提案に、すぐに反応したのはサヤカだった。
「それいいね!着替えはあたしのを貸すよ。ね、そうしよう?」
 顔を覗きこんだサヤカに、カナコはこくんとうなずいて返した。
 着替えを取りに自宅に戻ったサヤカとミズキを待つ間、カナコはぼちぼちと食べて飲んで、じわじわと顔色が良くなっていった。
 俺は、サヤカとミズキが組んでいるインディーズバンドは人気があり、これからもっと人気が出るのは確実だと、カナコに話した。気がまぎれるといいなと思いながら。
 けれど、カナコは相槌を打つだけだった。涙をこらえているように、俺には見えた。
 戻ってきたサヤカたちとともに事務室を出るときのカナコは、表情は沈んだままだったが、一人でしっかりと歩いていた。
 閉店作業をしながら、ミノルにカナコのことを説明した。
「困ってる人をほっておけないサヤカが好きなんで、今夜は一人で我慢します」
 さらりとのろけてから、
「それにしても、カナコさんの言ったこと、誰も疑わないんですね」
 と、ミノルは言った。そう言ったミノルも疑っているようではなかった。
「目を開けたら知らない場所にいた、なんて、にわかには信じがたいよ。でもな、あんな苦しそうな姿を見たら、嘘だと思えなかったんだよ。お人好しすぎる、かなぁ」
「お人好しではないオーナーはもはや別人です。安心してください」
 と、ミノルが笑いながら言ったので、俺も笑った。
 ふいに、ミノルは真面目な顔をしてこう言った。
「カナコさん、戻れるといいですね」
 そうだな、と返した俺は、カナコに騙されているとしても、歌声で魅せてくれた礼だと思おうと、その時は考えていた。

 翌朝、俺は今から帰宅したいとサヤカに連絡した。
 サヤカは間もなくバイトに出かけるが、バイトは昼からのミズキが、カナコと家にいるとのことだった。
 寝て起きたらカナコがいなくなっている、なんてことはなかったのだなと、溜め息がもれた。
「おはよう!」
 家に入るとき、俺は努めて明るく声をかけた。
 リビングルームから顔を出したミズキは、おはようと言ってすぐひっこんだ。俺が入ると、カナコはソファから立ち上がって、
「おはようございます」
 と、深く頭を下げた。
「不便はなかったか?」
「ゆっくりできました。ありがとうございました」
「おう。シャワー浴びてくるから、のんびりしててくれ」
「はい」
 カナコは昨夜に比べると、ずいぶん落ち着いていた。
 シャワーをすませてリビングに戻ると、ミズキが俺に言った。
「カナコが今から昨日と同じ所へ行って歌いたいって。一緒に行ってくるよ」
「おう。ついてっていいか?」
「もちろんです!」
 答えたのはカナコだった。カナコの声に元気が出ていた。
「それじゃ、着替えるからもうすこし待っていてくれ」
「はい!」
 俺は、カナコが帰れるといいなと思いながらも、カナコの歌声をまた聴けることにわくわくしていた。

 その日、カナコはもといた場所へ帰ることはできなかった。
 前日と同じ歌を同じように目を閉じながら歌うことを繰り返した。
 人が見ているからダメなのかもしれないと、俺とミズキはその場を離れた。
 夕方、様子を見に行った俺とサヤカを見つけたカナコは、悲しそうな顔になったけれど泣かなかった。
 その夜から、俺の家にミノルもやってきて、俺、カナコ、サヤカ、ミノルの四人での暮らしが始まった。
 カナコに俺の家で寝泊まりしてもらうにあたり、家主である俺に外泊させるのは申し訳ない。だが二人きりは気をつかうからサヤカにいてもらいたい。サヤカと暮らしているミノルを一人にするのもしのびない。
 そういう流れで決まった。
 実家住まいで連泊できないミズキは、毎日会いに来るとカナコに約束していた。

 カナコは毎日、同じ場所で同じように目を閉じながら同じ歌を繰り返し歌った。
 すると、カナコの歌に足を止める人が日ごとに増えた。
 聴衆が増えたことを喜んでいたが、カナコに落ち込んでいる様子も見えるようになった。俺が気づかなかっただけで、カナコはずっと苦しいままだったのだ。
 数日が過ぎた朝、駅前にたくさんの人が集まっていると、商店街の仲間から連絡があった。
「カナコの歌がバズってます!」
 様子を見に行っていたミノルが、興奮しながら帰ってきて、俺たちに動画を見せた。
 カナコの顔は鮮明ではないけれど、声はちゃんと聴こえるし、キャプションに駅や商店街の名前がある。
「カナコ、どうしたい?」
「え?」
 俺の問いに、カナコは首をかしげた。
「カナコがたくさんの人の前で歌いたいなら、続けていくのは当然だ。だから、今日もいつもの場所で歌えばいいと思う。でも、そうじゃないなら、しばらく路上はやめたほうがいいんじゃないか」
 俺の言葉に、カナコは少し考えてから、こう言った。
「わたしは帰りたいだけです。それに、人が集まりすぎると、商店街のみなさんの迷惑になるかもしれません。わたし、あの場所で歌うのはやめます」
「でも、それでいいのでしょうか?」
 そう言ったのはミノルだ。みなの視線を受けて、ミノルは続けた。
「カナコさんは帰りたい、それはもちろんです。でも、集まった方々はカナコさんの歌を聴きたいのですよね?それを無視するのですか?カナコさんはどう思いますか?」
 カナコはハッとした表情をみせ、うつむいた。
「なので、ライブハウスで歌えばいいと思います。幸い、今夜はサヤカのバンドですから、急な対バンにも対応できるでしょう。ね?」
 言って、ミノルはサヤカを見た。
「できる、できる!カナコ、そうしようよ!」
 ミノルとサヤカの提案に、目を丸くしていたカナコの顔がじわりとゆるみ、笑顔がはじけた。
「決まりだな」
 俺が言うと、
「よろしくお願いします!」
 カナコが元気よく頭を下げた。

 結果、その夜のライブは大盛況だった。サヤカとミズキのバンドの客だけでも半分は埋まっていたが、カナコを見たいカナコの歌を聴きたい客が押し寄せたのだ。
 カナコはライブの初めに一人で歌い、終わりにはサヤカに引っ張り出されてバンドを従えて歌った。
 急な出演にもかかわらず満員となったのは、例の動画の投稿者に、路上に人が集まり過ぎたため急きょライブハウスで演奏することが決まったと、SNSを通じて知らせたからだと思う。
 客の去ったフロアで、カナコはサヤカやミズキたちと抱き合って興奮を共有していた。
「サヤカさん、ミズキさん、ユウさん、メグさん、ステージに立たせてくれてありがとうございました!」
「カナコのおかげで満員だったんだよ、ありがとう!」
 互いに感謝し、ほめあう。その姿はほほえましく、眩しく、俺はライブハウスを始めてよかったと改めて思った。
「なんか、客だけでなくて、ステージに上がった人も幸せそうで、それをこうやって見るのも幸せですね」
 俺の横でそう言ったミノルは、たしかに幸せそうな、おだやかな表情をしていた。
「ステージに立つみんなが気持ちよく歌って演奏して、客が喜ぶ。そんなライブになるよう、俺たちは努力している。そういうことだよ」
「精進します」
 俺とミノルの視線の先に、誰もいないステージがあった。

 思えば、この夜が一番幸せだった。


後編に続く

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