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わかんないくらいずっと前から〈後編〉

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 乾いた破裂音がした後、カツヒコの言葉にならない叫び声が聞こえた。
怒りを撒き散らす、カツヒコの叫びが。
 目を開けると、カツヒコはお兄さんに腕をとられて、床に抑えつけられていた。拳銃は地面に落ちている。
「みんな、って、誰?」
 カツヒコの目の前にしゃがんで、ひょろ男がカツヒコに問いかけた。
「みんなだよ!」
「世界中の全ての人? 世界中の全ての人と出会った? 話した? んなわけないよね?」
 ひょろ男の表情は見えないけれど、声の感じは明るくて、無邪気ささえ感じた。
「は?」
 お兄さんに抑えられてなかったら、カツヒコはひょろ男に襲いかかってるだろうな。今のカツヒコは、毛を立てて精一杯の威嚇をしている猫みたいだ。
「あんたが知ってる『みんな』なんて同じ学校か同じ職場の人くらいっしょ。世界中の何分の一? あんたの言う『みんな』って少ないよ。それでみんな死ねって、雑過ぎだろ」
 カツヒコを抑えているお兄さんが、ちらっと、こっちを見た。ボクの横にいるお姉さんが小さくうなずいた。
 言葉じゃない会話ってかっこいいな、ってボクは思ってしまった。
「でさぁ、みんな死んであんた一人になったら、物理的に、生きてくの無理だよな。電気水道ガスとか使えなくなるし、食べ物だって自分で全部どうにかしないといけない。できる?」
 ひょろ男の言うことに、ボクは納得した。最後の一人になるずっと手前でボクは死にたい。
「お前も俺をバカにするんだな」
「バカにするほど、あんたのこと知らない。ただ、自分の意見を述べただけ」
「それが! 人をバカにする態度だっつってんだよ!」
「人をバカにしてんの、あんただろ」
 そう言ったひょろ男の声はとても硬くて、突き刺さった、ボクにも。
 カツヒコが顔を真っ赤にして、ひょろ男をにらんでいるのが見える。
「俺のこと誰も理解してくれないって思った時期があるけど、自分が他人を理解しようとしてなかったんだよな。だから、あんたがバカにされてるって思うのは、あんたが人をバカにしてるからじゃないのかな」
 また明るめの声に戻ったひょろ男は、言ってから大きくうなずいていた。自分の発言に自分で納得したみたいだ。
 カツヒコはひょろ男から目をそらして、くそ、って小さい声で言った。
「ミユ、ヒイロ」
 お兄さんが、お姉さんとひょろ男に声をかけた。
「どうしたの、ジン」
 お姉さんが返事する。ひょろ男もお姉さんをミユって呼んでたな、そういえば。それじゃ、ひょろ男がヒイロさんで、お兄さんがジンさんか。
「こいつはこの世界の存在だから、このまま解放するべきなんだが」
 力が抜けていたカツヒコに、緊張がはしった気がした。
「こいつをこの世界の中の、別の町へ連れて行くことは、ルール違反ではないよな」
「違反にはならないわね、たしかに」
「そこで暮らすか、地元に戻るか、さらに別の場所に行くかは自分で考えて決めればいいと、俺は思う」
「ジンは甘いなぁ」
 ひょろ男はお兄さんを見上げてそう言ってから、カツヒコを覗きこむみたいに首をかしげた。
「あんたはどうしたい? ここで解放されんのと、どっか遠いところで解放されんのと、どっちがいい? 遠いっても国内だけど」
「どっか遠いところ」
 即座に返したカツヒコの声は小さくて、でも、強い意志を感じた。この町にはいたくない、という。
「わかった。じゃあ、行こう」
 お兄さんがおさえていたのをほどいて、カツヒコを立ち上がらせた。ひょろ男も同時に立ち上がって、こっちを向いた顔はなぜか不機嫌そうだった。
「なあ、タカネ」
 カツヒコに呼ばれて、ボクは思わず立ち上がった。ちょっとくらっとしたけど、大丈夫、立ててる。
「おまえ、いつから死にたいって思ってんだ?」
 ぶっきらぼうな言い方で、カツヒコらしいって感じた。
「……わかんないくらいずっと前から」
 ボクはうっすらと笑ってうつむいた。
「そっか。いろいろあんだな、タカネにも」
「カツヒコが事故で死んだとき、代わりにボクが死にたかったって、思った。だから、この世界ではそうなってるなら、こっちのボクは幸せだったと思う」
 うつむいたままで言ったから、カツヒコがどんな反応したかわからない。
「幸せに、生きて幸せに、なっていいんだよ。あなたたちも。それこそ、みんなが」
 お姉さんがそう言ったのが聞こえて、ボクは顔を上げた。そしたら、カツヒコと目が合った。
「じゃあな、タカネ」
 不器用な笑顔でカツヒコが手を振って、お兄さんと一緒に消えた。ボクも手を振ったけれど、間に合っただろうか。
「じゃあ、君も行きましょう。元の場所へ送るけれど、彼みたいに別の町へ行きたい?」
 お姉さんに尋ねられて、ボクは少し考える。
「あのさ」
 ひょろ男がボクの正面に立った。まっすぐに向けられる目線を避けて、ボクはかすかにうつむいた。
「死にたいって思っちゃうのを悪いことだと思わない」
「口癖、で、つぶやいちゃうんだ」
 素直に、するっと、ボクはそう言っていた。
「うん、口癖になるくらい、思ってきたってことじゃないのか」
 ボクはこくんとうなずいた。その通りだと思ったから。
「死にたいって思うことすら我慢したら、いつか爆発するだろ。爆発する前に、ガス抜きっていうの? つぶやいてもいいと、俺は思うんだ」
 この口癖をボクは良くないと思ってるけど、ひょろ男は否定しないという。
「まぁ、聞いたほうはびっくりしたり、怒ったり悲しんだりするかもしんないけどさ。我慢して我慢して爆発しちゃったら、それはそれでいろいろ思われるんだから、思わせといていいんじゃない」
「死にたいって、口癖、思っちゃうこと、なおさなくていいのかな?」
 言いながら、ボクは泣きだしていた。手でぬぐっても、涙は次から次にあふれてくる。
「なおさなきゃって思ったら、死にたいって思ってしまった自分に怒ったり悲しんだりして、それはそれで疲れるだろ。死にたいって思ってもいいんだ、って、考えてみたら?」
 鼻水も出てきて、ずるずる鳴らしながら引っ込めてたら、お姉さんがポケットティッシュをくれた。恥ずかしいけど、それで鼻をかむ。
「死にたいって思っちゃう自分を、許してあげなよ」
「……自分を、許す?」
「味方になってやればいい、自分の」
 ひょろ男はニヤリと笑って、ボクの頭をくしゃくしゃになでまわした。そしたら、涙が止まって、ボクはなぜか笑っていた。
「帰りたい? 別の町へ行きたい?」
 改めて、お姉さんがボクに尋ねた。
 ボクは顔を上げて、答える。はっきりと、答える。
「帰ります。家も学校も、嫌いじゃないから」
 お姉さんもひょろ男も、笑顔を見せてくれた。

 お姉さんと手を繋いだら、景色が歪んで、歪みがなくなったら、ボクが暮らす団地の入り口に立っていた。
 カツヒコが暮らしていた団地でもある。
 さみしい気持ちが湧いて、ボクは星の見えない夜空を見上げた。
「あのカツヒコには、幸せになってほしいです」
 みんな死ねばいい、そう思うことがなくなればいい。
「君も幸せを感じながら生きてください」
 そう、お姉さんが言うから、ボクはがんばりますと小さな声で返した。
それから、
「あなたは、いまは、自分を許してるんですか? 自分の味方なんですか?」
 ひょろ男に尋ねた。
 すると、ひょろ男はまたニヤリと笑った。
「俺は俺が大好きだ。だから、これからも好きでいられるように、毎日がんばってるのさ」
「そうなの? 知らなかった」
 お姉さんが本当に驚いたように言うと、ひょろ男はあわててお姉さんを向いた。
「え、俺、がんばってるよ! 褒めてくれていいよ?」
「ふふふ、ヒイロはえらいぞ」
 笑いあう二人を見て、ボクは羨ましいと思った。
「ボクもがんばる」
 そう言ったら、ひょろ男がまたボクの頭を撫でまわした。ボクは恥ずかしくなって目を閉じた。
「ほどほどにな!」
「疲れたら休むことも大事だからね」
「はい」
 不意に、頭をなでる手の感触が消えて、ボクは目を開けた。
 そこには、お姉さんもひょろ男もいない。
 行っちゃったのか。
 いつかまた会える時がきたら、ボクはボクの味方だと言えるように、今からがんばれボク。

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