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加害者としての世代間トラウマ

このポストは、以前アメーバに投稿したものの転用。このトラウマの件について新しい投稿を書きたいと思ったため。後ほど、この件に関しての新しい記事を投稿する。https://ameblo.jp/naoyama1971/entry-12778744480.html

セラピストのビアンカが、世代間トラウマについての記事をメール添付で送ってくれた。まず、上に貼った写真について。これにはぞっとする。若い女性が、カーテンの向こうに誰がいるのかと探ろうとしている。そして、その向こうには、ナチス親衛隊のブーツと制服を着た人たちが佇んでいる。

下に、記事の内容を簡単に要約してみた。

  • ドイツでは戦後、世代間トラウマの研究が専門家によって長年行われている

  • 第二次世界大戦中に親または子供だった人たちから数えて、未だに孫の代でも、軍国主義・ファシズム・侵略戦争による心理的影響は強い

    • ユダヤ人ホロコースト犠牲者または、サバイバーの孫の代も、未だにPTSDのような神経症状がよく見られる

    • さらに、加害者側であったナチス親衛隊などの孫の代も、同様の症状や、複雑な家庭問題や崩壊がよく見られる

これが、アウトラインだが、実際の記事には詳細もかなり含まれている。ただし、詳細にこだわるとメッセージが薄れてしまうので、追って少しづつ後述してしていくことにする。

ビアンカと一緒に色々と考えていく中で、文化の違いをつくづく感じる。私は、日本在住歴より海外在住歴の方が長い(27年以上)。そのため、「欧州はこう」で「日本はこう」という考えがもう、ほとんど湧いてこない。勤務先も、現地企業勤務(15年以上)で、日本とあまり日常で接点がない。こういう事情を踏まえて、文化が「本当に違うこと」を深く感じるのはよっぽど強い要素があると思う。

とにかく、この国(ドイツ)では、前戦での「加害者」としての立場をしっかり表明している。これは、「歴史的におきたこと」に対する姿勢がはっきりしているということで、日常生活の中でそれは市民の目からもよく「見える」。ベルリンの鋪道には、未だホロコースト・ユダヤ人犠牲者たちの名前が、その人たちが以前住んでいたアパートの前に、家族単位で一つづつそれは几帳面に細かく刻まれている。しかも、収容所に送られた日時、収容所名までもだ。初めてみる人たちには、まさしく鳥肌モノである。

また、こちらの戦争慰霊碑・慰霊博物館や、ナチス関連の博物館は、事実に対する検閲がまったく施されていないため、人によっては重度のショックを受けたりトラウマになるような事実が堂々と公開されている。例としては、プロッツェンシー刑務所博物館、レジスタンス(反ナチス運動)博物館などで、「隠れた戦争慰霊博物館」となっている場所だ。前者には、ヒトラーによって捕らえられた政治犯などが戦時中に収容されており、ヒトラー本人によって、処刑方法なども変えられていた(軽い罪はギロチン、ヒトラーが個人的に気分を害された政治犯の処刑方法は、長時間苦しませる残虐な方法にて「個人的に惨殺する」)。ここに行けば、右翼が言うように「ヒトラーは実際何が起こっているのかは知らなかった、単に政治家だった」などとは絶対に言えなくなる。

日本人の目から見ると、まさしく、「ここまでやるか」・・・というような展示内容。曖昧さはない。

日本を離れてからもう30年近くなるが、幼い頃の記憶を辿ってみて、前の戦争、つまりは侵略戦争についての記載がほとんど教科書に載っていなかったことに気づいた。もちろん、広島など、犠牲者側からの情報は多かった。侵略戦争に関する事実、それにまつわる悲劇(日本人も含む)は、私にとっては海外発信で得た情報がほとんどである。これをどう受けとめるべきか。

ひとつわかることは・・・>

前述のビアンカが送ってくれた記事、世代間トラウマにまつわる研究、特に戦時中「加害者側」であった人たちの孫の代までの研究 ーどんな心理的影響が現代社会まで持ちこされているか、そういった深刻なことに関する研究は、侵略戦争の事実を曖昧化させ、「タブー化」させてしまった日本ではほとんど不可能であろうということだ。これは、よくも悪くも、徹底して加害者という事実を容認したドイツだけでできることだ。これは、戦後のドイツにとっては高額な容認だった。しかし、同時に上記のような後世のための心理研究を可能にする土台を確立した。

日本は自殺率ナンバーワンの国だ。ほとんどの外国人が知っている事実でもある。また、近年では、「ひきこもり」。これはこちらでもよく知られている。10年ほど前に英国オックスフォード大学によってHikikomoriとして「英訳せずに辞書に載る言葉」となって、こちらでよくTV報道されていた。なぜ英訳しないかというと、本当に「日本的」で特異、という理由だ。そして「毒親」ー どんどん新しい言葉が日本で生まれている。

そういう傾向を見ると、日本で実際おきていることは、私の目からは大規模な「世代間PTSD 」爆発の惨状に思える。

戦後、まず最初にひきこもってしまったのは、戦争で「加害者」であったことに対する国民的な「良心」の「ひきこもり」だ。自分の国は以前悪いことをした」と言いそびれ、誰も(政治家も)本当のことを言いたがらなくなり、紛らわしてしまい、「そのうち放っておけば消えてくれる」だろうと黙認しながら生きてきた人たちの文化だ。これが、私の親の代だ。ただひたすら「別のこと」に目を向け、がむしゃらになってただ働くだけで内省をしなかった人たちだ。この過去に、しわ寄せがこないわけがない。

私の実家の惨状についても、少しずつ書いていく。やはり、遡ると前の戦争に行き着いた。なぜ、父と母が「ああいう人間」になってしまったのか、育った家の中にいつも「暗く、重いもの」があったのかも少しづつわかってきた。彼らにとって、戦争は悲劇の土台であった。そして、実際には、自身の強いコンプレックスや焦り、(軍国主義教育で)曲がってしまった承認欲、怒りなどいろいろなものが混ざり、悲劇を猛毒に変えてしまっていた。

では この辺で。

追伸:このポストは、母方の叔父に捧げる

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