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No.19 ゆかの涙

 タイ側サトゥン国境のフェリー乗り場は、静寂に包まれていた。私たち以外に外国人の姿はなく、観光というよりも現地人の日常生活に使うためのフェリーという感じだった。そして、オーバーステイをしてしまったゆかは、罰金2000円ほどを警察に払い、無事にマレーシアのランカウイ島へと渡ることができた。
 ランカウイ島では、私たちは共に過ごす時間を存分に楽しんだ。バイクであるか無いかわからない温泉を探したり、ワニ園で人がワニの口に頭を入れるクロコダイルショーを見たり、道端に突然出てきたオオトカゲと格闘したりジェットスキーに乗ったりした。
 そんな中、ゆかの意外な一面を見ることもあった。海辺で日光浴をしている時、普段感情を表に出さないゆかが、涙を流している。読んでいる小説の女性が可哀想で心を打たれたそうだ。彼女の涙は、彼女の新たな一面を垣間見せ、私はゆかを愛おしく思った。
 しかし、その幸せな時間も長くは続かず、彼女がそろそろクアラルンプールから帰国しなければならない事を聞いたのだった。
 そして私たちは、彼女の帰国のためペナン島へ渡り、クアラルンプールへと向かった。

 6月に日本を離れてから、気がつけば9月の半ば。日本なら秋の訪れを感じる時期だが、タイからマレーシアへの旅路では、四季の変化を感じることはなく、ただ灼熱の日光が降り注いでいた。
 ゆかと過ごした時間はひと月ほどだったが、タイの官能的ともいえる暑さや刺激的な香辛料と共に、私にとっては忘れることのない、大切な時間だった。

 クアラルンプールはバンコクと同じ大都会だった。車は渋滞しており、人も溢れんばかりで騒々しかった。私たちは、ゆかの日本へのお土産を買ったり、インド人街をぶらついたりして、最後の日を過ごした。
 翌日、ゆかとの別れは、あっけないものだった。空港までのタクシーを予約していていたので、彼女が乗り込むと、タクシーはそのまますぐに走り去ってしまった。彼女は、最後の瞬間まで後ろのガラス越しに、私を見つめていた。私も、このような別れは経験したことがない。どう反応していいかわからず、彼女を見返すことしかできなかった。
 部屋に戻ると、ゆかが最後まで作ってくれていた、私へのプレゼントのズボンが、丁寧にたたまれてベットの上に置かれていた。そのズボンを見つめながら、私はため息をつき、ベットに腰掛けると、突然涙が溢れ出てきて止まらなくなった。


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