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No.23 新世界への不安

 バンコクでは、赤信号はただの提案に過ぎない。龍太郎と私は、中華街の縦横無尽に走る道を彼の自転車と私の新しい自転車でトゥクトゥクや車の間をすり抜け、ドンムアン空港に向かった。注文していた自転車が仕上がったのだ。龍太郎は、私の自転車が出来上がるのを待って、日本へ帰国することを決めていてくれた。
「ありがとう、色々と。」
私は、新たな世界を教えてくれた友人に感謝の気持ちを伝えた。彼の目は、旅の終わりの名残惜しさと、無事に日本へ帰れる安堵が入り混じっている。
「ニュージーランドを楽しんで。」
龍太郎は、事故にあった愛車を連れて空港へ消えていった。彼の笑顔が、最後のエールとなった。

 太陽は容赦なく照りつけてくる。タイのアスファルトの目は荒く、ペダルは重い。アユタヤへと向かう道は、60キロ。メッセンジャーならば、2時間はかからない距離だ。100mごとに、パラソルの下でドリアンが売られている。日本の風景ならスイカだろうか。
 2つのリュックの肩ベルトを改造したサイクリングバックが、後輪に擦れてブレーキのように働く。改良の余地を感じながらも、私は前へと進む。高速道路のような広い道をひたすら走る。タイ語のアユタヤの文字を覚え、道路の掲示板を頼りに進む。多分合っていると思う。

 昼頃ドンムアン空港を出たはずだが、陽はかなり傾いてきていた。しかし、暑さは変わらない。汗は額から背中まで流れ落ちる。
 地平線までまっすぐな道のパラソルの下では、今度は大きなカニが売り物になっている。買って帰ろうか。いや、腐ってしまうかもしれない。そんなことを考えながら、私はペダルを漕ぎ続けた。

 全く予想していなかった、ニュージーランドへの旅。私は、準備のためバンコクへ行きカオサンロードのミステリアスな古本屋へ、また足を運んだ。ここには、遠く離れたニュージーランドの日本語ガイドブックもある。もしかしたら、ニュージーランドワーキングホリデーの帰りにタイへやってきた日本人が置いていったのかもしれない。次は私が、これを「ニュージーランドへ持って帰ります」という気持ちになる。
 スポーツ店で、キャンプセット寝袋付き500B(1500円)を買った。自炊用のガスと鍋。そして、大きなマスがよく釣れるとのことなので釣竿。南半球の夏に向けて、私は準備をした。これから始まる冒険に胸を躍らせながら、私はニュージーランドへの飛行機に乗り込んだ。


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