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国立新美術館「ブダペスト:ヨーロッパとハンガリーの美術400年」:ハンガリーからやって来た選りすぐりの美術品たち


0. ブダペスト:ヨーロッパとハンガリーの美術400年

2019年は、日本とハンガリーが1869年に修好通商航海条約に調印してから150年という記念の年であった。

この年を記念して、ブダペスト国立西洋美術館(Museum of Fine Arts, Budapest)ハンガリー・ナショナル・ギャラリー(Hungarian National Gallery)が所蔵するコレクションの中から、厳選された作品たちが、東京の国立西洋美術館にやってきた。

この美術館やギャラリーの成り立ちを振り返るだけでも、ハンガリーの17世紀以降の歴史を学ぶことができるが、紙幅の都合上、ここでは簡単な説明にとどめたい。

まずブダペスト国立西洋美術館は、芸術支援と美術品収集を熱心に行っていた17世紀のハンガリー最古の貴族であるエステルハージ家のコレクションが前身となっている。

エステルハージ家の充実したコレクションは、国外から売却の話が持ちかけられていたにもかかわらず、1870年、ハンガリー国家に売却されたのであった。

またハンガリー・ナショナル・ギャラリーは、ハンガリー美術の収集・展示のために1957年に独立した機関として設立され、1973年から75年にかけて、現在のブダ王宮内に移動した。


今回、東京にやってきたのは、ルネサンス期(15-16世紀)の作品から20世紀の作品まで、約400年分の作品たちであった。

それゆえに筆者の感想として最初に言っておくことがあるとすれば、この企画はかなりボリュームが多い

その上に、ハンガリーの作品よりもイタリアやフランスなどで製作された作品の方が多いのではないかと思うほどであった。

それゆえにハンガリー展として鑑賞するのではなく、ハンガリーの美術館が所蔵する作品を集めた特別展として鑑賞するべきであろう。

なお本展の解説に入る前に、本展の構成に触れておく。

本展は15の章に分けられる:

I. ルネサンスから18世紀まで

I-1. ドイツとネーデルラントの絵画

I-2. イタリア絵画

I-3. 黄金時代のオランダ絵画

I-4. スペイン絵画

I-5. ネーデルラントとイタリアの静物画

I-6. 17-18世紀のヨーロッパの都市と風景

I-7. 17-18世紀のハンガリー王国の絵画芸術

I-8. 彫刻


II. 19世紀・20世紀初頭

II-1. ビーダーマイヤー

II-2. レアリスム:風俗画と肖像画

II-3. 戸外制作の絵画

II-4. 自然主義

II-5. 世紀末:神話、寓意、象徴主義

II-6. ポスト印象派

II-7. 20世紀初頭の美術:表現主義、構成主義、アール・デコ


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「早く本題に入ればいいのに」と思うかもしれないが、美術館を歩いていて「あといくつ作品があるの?」と思ったことはないだろうか?

筆者は美術館が好きだけどわりとそう思うことがあるので、まず章立てを書き出してみた。

この章も見て率直に思ったのは「まるで美術の教科書のようだ」ということである。

前述の通り、ハンガリーの美術館に所蔵されるとっておきの作品が東京にやってきたという今回の展示。

そのために本展は、15世紀から20世紀まで、西洋美術の有名どころをギュッと凝縮したようなものなので、展示を通じて、西洋の歴史と美術史も学ぶことができる。画像4

それでは早速作品の一部を取り上げつつ、本展を見ていこう。

なお、このnoteで取り上げる作品は、筆者がポストカードを購入した作品のみである。

この辺は、日本の美術館とイタリアの美術館の大きく異なる点だなと思うのだが、基本的に日本での展示は、撮影OKのエリアを除いて、撮影することももちろんSNSでシェアすることもできない。

その点イタリアの美術館は、フラッシュさえたかなければ、撮影OK、さらに美術館のタグをつけてSNSでのシェアを推奨しているところまである。

もちろん、全面的に撮影禁止のところもあるので、確認が必要であるが、今回のnoteは、筆者がいつも書く海外の美術館のnoteよりも写真少なめでお送りしたい。

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(唯一写真撮影OKだった入り口)


I. ルネサンスから18世紀まで(From the Renaissance to the Eighteenth Century)

まず最初に断っておくが、第一部の「ルネサンスから18世紀まで(From the Renaissance to the Eighteenth Century)」については、作品の写真が少ないため、文章中心で説明を進めたい。


I-1. ドイツとネーデルラントの絵画(German and Netherlandish Painting)

まず最初の章では、16世紀の絵画が中心に展示される。

15世紀末から16世紀にかけて、古代美術と当時のルネサンス・イタリア美術を学ぶ目的で、北方ヨーロッパの芸術家たちは、アルプスを越えてイタリアに赴いた。

その結果、イタリアと北方ヨーロッパの美術は互いに影響を及ぼしていったが、特に後者には、1517年に始まる宗教改革を背景としたプロテスタントの勃興と深く関係していた。

つまりキリスト教をテーマとした作品の他に、神話的、風刺的、教訓的なテーマも取り上げられるようになったのである。

本展でもその作品が展示されるクラーナハ(Kronach; 1472-1553)も、宗教家マルティン・ルターの友人として、プロテスタントの教義を絵画に組み込み、作品を生み出していったのであった。

クラーナハの代表作の一つとされる『不釣合いなカップル:老人と若い女』も、教訓的・エロティックな作品として評判である。

残念ながら、本展では撮影することができなかったが、偶然にも筆者は、2019年9月にミラノのプラダ財団美術館で開催された「トガリネズミのミイラの棺と宝物たち」(Il sarcofago di Spitzmaus e altri tesori/ Spitzmaus Mummy in a Coffin and Other Treasures) 」にてクラーナハの同じ主題の作品を撮影していた。

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ミラノで撮影したルーカス・クラーナハ(父)『老人と少女』(Lucas Cranach the Elder, Old Man and Girl; c. 1530/1540)。

この下品な笑みが溢れる老人と不気味な笑みをたたえる少女という構図は、細部は異なるものの、クラーナハが繰り返し書き続けたものであった。



I-2. イタリア絵画(Italian Painting)

本章では、ルネサンス期(15世紀から16世紀)のイタリアを代表する芸術家たちーベルナルディーノ・ルイーニ(Bernardino Luini; 1480-1532)、ジョルジョ・ヴァザーリ(Girogio Vasari; 1511-1574)、フェデリコ・バロッチ(Federico Barocci; 1535-1612)、ヤコポ・ティントレット(Jacopo Tintoretto; 1518-1594)ーの作品が展示される。

(ルネサンス期イタリアの歴史がまさに筆者の専門である)

特にフィレンツェとヴェネツィアは、この時期の芸術の二大中心地として栄えた都市国家であった。

フィレンツェの美術は、「構想・素描」(disegno)を重視したのに対し、ヴェネツィアの美術は、「色彩」(colore)を追求した。

本展で撮影したものはないが、16世紀初頭に活躍したベルナルディーノ・ルイーニの作品は、ミラノのサン・マウリツィオ教会(San Maurizio)のフレスコ画に残されている。

レオナルド・ダ・ヴィンチの影響を大きく受けたルイーニは、自身の作品の構図や様式にその要素を取り入れたのであった。


I-3. 黄金期のオランダ絵画(Masterpieces of the Dutch Golden Age)

17世紀、ハプスブルク家の支配下にあったネーデルラントは、80年戦争(1568-1648)によって、ネーデルラント連邦共和国(オランダ共和国)として独立した北部の州と、スペイン・ハプスブルク家の下に残った南ネーデルラントとに分裂した。

前者では、カルヴァン派のプロテスタントが広まり、後者では、ハプスブルク家の下で対宗教改革が推進された。

ネーデルラント連邦共和国は、海洋貿易と植民地によって経済的に発展するとともに、レンブラント(1606-69)やフェルメール(1632-75)など優れた芸術家が排出する地となっていた。

本章では、ピーテル・ブリューゲル1世(1526/30-1569)によって発展した農民風俗画が展示されている。

残念ながら写真はないものの、酒を飲み、楽器を演奏し、陽気に笑う農民たちを描いたヤン・ステーン作『田舎の結婚式』(Jan Steen, Country Wedding, c. 1656-1660)では、人々の生活が生き生きと描かれている。



I-4. スペイン絵画ー黄金時代からゴヤまで(Spanish Painting from the Golden Age to Goya)

1475年、カスティーリャのイザベル1世とアラゴンのフェルディナンド2世が結婚したことで、イベリア半島の二大勢力が統一され、今のスペインの基礎が築かれた。

1492年、スペイン王国がイベリア半島に残っていた最後のイスラーム勢力であったグラナダ朝を滅ぼし、スペイン帝国(1492-1975)が誕生すると、帝国はカトリック勢力の拠点としてますます発展していった。

対宗教改革を主導するカトリック国では、宗教的主題を描いた作品が生み出された一方で、君主や貴族の肖像の需要が高まっていった。

特に写真にはないものの、バルトロメ・ゴンザレス作『王子の肖像』(Bartolomé González. Portrait of an Infante; 1618)では、スペイン国王フェリペ3世(1578-1621)の子供が描かれているが、どの子供なのかは特定できていないという。

この写真は、ミラノで2019年にプラダ財団美術館で開催された『ウェス・アンダーソンの世界観あふれる驚異の部屋』で撮影したものであるが、同じく王侯たちの子息が描かれている。

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これらは、神聖ローマ帝国皇帝フェルディナンド2世(1578-1637)やオーストリア大公カール2世(1540–1590)の肖像であるが、本展で展示されるスペイン国王の子息の肖像と共通して、子供たちには、不釣り合いな豪華で重々しい服が着せられている。


当時の幼児の死亡率はとても高かったため、成人するまで無事に育つことを祈って、絵の中の子供には魔除けなどのアイテムが書き込まれていた。

未来の君主として成長することを望まれてか、まるで小さな大人のような格好でポーズを取ったものが、描かれている。

スペイン帝国と神聖ローマ帝国と少し異なるものの、これから領土拡大し、国力を充実させていく一族として、子供たちには大きな期待がかけられていたのであった。



I-5. ネーデルラントとイタリアの静物画(Still Lifes from the Netherlands to Italy)

食卓の上の花や果物、食器といったものが描かれる静物画は、16世紀になって独立したジャンルとして現れた。

静物画のルーツは、古代ローマのモザイクやポンペイのフレスコ画にまでさかのぼるが、古代の博物学者プリニウスによって、静物画は、聖書や神話に基づく宗教画、歴史画、肖像画、風景画よりも下に位置付けられるものと考えられていた。

つまりモノそのものを描くには、高度な知性は必要なく、職人的な技術さえあれば良いと考えられていたからである。

この考え方は、中世においては当たり前のものであり、職人の仕事は卑しき手の仕事として捉えられていた。

これに変化が生まれてきたのがルネサンス期であり、職人の技術が徐々に認められるようになる、つまり芸術家・アーティストが誕生したのであった。

少し話が逸れたが、本章では、主に17世紀に製作された静物画が展示される。


I-6. 17-18世紀のヨーロッパの都市と風景(European Cities and Landscapes in the Seventeenth and Eighteenth Centuries)

風景画というジャンルが登場したのは16世紀であったが、その中でも都市景観画(ヴェドゥータ)が人気を博したのは18世紀のことであった。

その背景に、ヨーロッパの貴族の子息たちがイタリア旅行をするというグランドツアーの流行があった。

イタリア半島の中でも特にヴェネツィア、フィレンツェ、ローマ、ナポリは人気の訪問地であり、その旅の思い出としてその都市を描いた絵が求められたのである。


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フィリッポ・ジュントタルディ『ローマのフォノ・ロマーノ』(Filippo Giuntotardi, The Forum Romanum in Rome; c. 1800)。

18世紀末から19世紀初頭のナポレオン戦争により、イタリア半島は、さらに外国列強に分断される傾向にあった一方で、イタリア独立の気運が徐々に高まりつつあった。

最終的にイタリアが独立し、イタリアという国家ができるのは、1860年代のことであったが、それまでイタリア半島は政治的には衰退しているが、文化的には洗練されている地として、人々の注目を集めていた。

皮肉なことに、イタリアはこの時代も今も、古代とルネサンスの遺産によって、その経済を保っていたのであり、イタリアは近代化に遅れたという大きなコンプレックスを抱いて20世紀を迎えることになっていたのである。


I-7. 17-18世紀のハンガリー王国の絵画芸術(The Art of Painting in the Kingdom of Hungary in the Seventeenth and Eighteenth Centuries)

美術を説明するには、どうしても政治外交の話から入らねばならない。

それは、美術作品を産んだ場所とそれが生まれた時代は、その作品に大きな影響を与えているからである。

17世紀のハンガリーは、ハプスブルク帝国とオスマン帝国(直属領と属国のトランシルヴァニア侯国)に分割されていた。

1689年、ハンガリーがオスマン帝国の支配から解放されると、トランシルヴァニアもハプスブルクの支配下に入った。

その後、18世紀のハンガリーでは、ウィーンのバロック芸術が繁栄したのであった。


I-8. 彫刻(Sculptures)

本章では、15-18世紀のイタリアと北方ヨーロッパの彫刻が展示されている。

残念ながら写真はないが、その中には、作り手の死後も様々な議論を呼んだフランツ・クサーヴァー・メッサーシュミット(Franz Xaver Messerchmidt; 1736-83)の『性格表現の頭像』(Character Head; 1771-75)もあり、必見である。




II. 19世紀・20世紀初頭(Nineteenth and Early Twentieth Centuries)

II-1. ビーダーマイアー(Biedermeier)

「ビーダーマイアー様式」とは、ナポレオン戦争の終結(1815年)から各地での革命運動の勃発(1848年)まで流行した、生活に密着した心地よいものを好むという傾向である。

少々皮肉めいているが、ビーダー(従順な)マイアー(ドイツでありふれている姓)は、知的に洗練されているわけではなく、難のない市民の好みを意味しているのである。

その背景には、政治的闘争から身を引いた経済的に余裕のあるウィーンの中流階級が、心地よさを第一に、芸術品や室内装飾を選ぶようになっていたということがある。

この時代の画家は、政治的な主題は避け、安心感と明るさを強調する主題を選んで創作した。


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ヨハン・バプティスト・ライター『小さな宝石商』(Johann Baptist Reiter, The Little jewelry Dealer; 1850)。

この作品の作者であるヨハン・バプティスト・ライター(1813-90)は、ウィーン美術アカデミーで学んだウィーンのビーダーマイアーの典型的な画家出会った。



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マルコー・カーロイ(父)『漁師たち』(Markó Károly the Elder, Fishermen; 1851)。

マルコー・カーロイ(1793-1860)は、ハンガリーの風景画の発展を牽引した人物であり、1834年以降はイタリアに移住してからも、ハンガリー貴族から絶大な支持を得ていた。

ちょうどこの頃、ハンガリーでは中流階級と貴族階級が興隆しつつあり、個人コレクションや公のコレクションの拡充のために、優れた芸術家の先品を積極的に購入していたのであった。



II-2. レアリスムー風景画と肖像画(Realism in Genre and Portrait Painting)

レアリスム(réalisme;写実主義)は、1840年代のフランスに生まれた芸術運動であり、その後、ヨーロッパ全体に伝播していくことになる。

1840年代といえば、ナポレオン戦争後のウィーン体制(1815-)による秩序回復の時期もつかの間、ヨーロッパ各地で独立・革命運動が巻き起こった時期でもあった。

この時期の社会が揺れ動いていたのと呼応する形で、美術の分野でも、労働者階級の日常生活を取り上げ、当時の社会と現実が客観的に描くことが目指されるようになっていた。


こちらは本展のメインビジュアルでもある「ハンガリーの《モナ・リザ》」と名高い作品。

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シニェイ・メルシェ・パール『紫のドレスの婦人』(Szinyei Merse Pál, Lady in Violet; 1874)。

シニェイ・メルシェ・パールは、伝統的な作風を見直し、豊かな色で彩られたハンガリーの戸外制作の絵画を発展させた、19世紀ハンガリー近代美術の推進者として考えられている。

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本作のモデルとなったのは、当時身ごもっていたシニェイの妻。

暖かな春の陽をイメージさせる鮮やかな緑と黄色と、艶やかなドレスの紫色のコントラストがとても美しい。

本作品は、当初批判も受けたものの、人々に愛されるようになり、後に、複製写真やポスター、切手などにモチーフとして使われるようになっていった。


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ロツ・カーロイ『春ーリッピヒ・イロナの肖像』(Lotz Károly, Spring, Portrait of Ilona Lippich, 1894)。

19世紀後半、肖像画は、自分を記念して残したいという上流階級の要望を受けてますます需要が高まっていった

ロツ・カーロイは、肖像画の分野で有名な画家の一人であり、本作でも16歳の若いモデルを水々しく描き残している。


また、写真にはないものの、本章では、ムンカーチ・ミーハイ(Munkácsy Mihály;1844-1900)の『フランツ・リストの肖像』(Portrait of Franz Liszt;1886)が展示されている。

ハンガリー出身の音楽家リスト(1811-1886)は、若い頃からヨーロッパ各地のサロンで活躍し、その端正な容貌とダイナミックなパフォーマンスの虜になる女性も多かったとされている。

リストの代表作としては、『ラ・カンパネラ』や『愛の夢』が挙げられるが、もっとも親しみやすいのは、『トムとジェリー』の神作『キャット・コンチェルト』(The Cat Concerto;1947)の挿入曲『ハンガリー狂詩曲』であろう。


少し話が逸れたが、パリにある画家ムンカーチ邸には1880年代から毎週木曜にサロンが開かれるようになり、貴族や政治家、芸術家が集うようになった。

音楽家リストもこのサロンに訪れた芸術家の一人であり、1886年にリストのコンサートがそこで開催された。

ムンカーチは、この出会いがきっかけでリストの肖像画を完成させたが、奇しくもこの年のうちにリストは亡くなったため、この74歳の肖像画がリストの生涯最後のものとなった。



II-3. 戸外制作の絵画(Plein Air Painting)

19世紀になると、携帯用のディーゼルやチューブ入り絵の具といった制作道具の技術革新が進み、印象派やバルビゾン派の画家たちは、自由に自然の中を歩き回り、制作できるようになった。

本章では、淡い光の中の木々や森林、動物を描いた風景画が展示される。



II-4. 自然主義(Naturalism)

19世紀末の自然主義は、フランスの写実主義から派生し、写実主義にも増して、社会問題に関心を向け、農民や労働者のありのままの生活を描こうとした。



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アデルスティーン・ノーマン『ノルウェーのフィヨルド』(Adelsteen Normann, Norvegian Fjord;c. 1890)。

ノーマンは、ノルウェーのフィヨルドを中心に描く画家であったが、生涯の大半を故郷のノルウェーではなく、ドイツで過ごし、パリなど各国で高い評価を受けていた。




II-5. 世紀末ー神話、寓意、象徴主義(Fin de siècleーMythology, Allegory and Symbolism)

1870年頃、自然主義の反動として、フランスやベルギーを中心に象徴主義という芸術運動が起こった。

特にフランスでは、写実的な表現も否定し、テーマには、神話、性、潜在意識が選ばれた。


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リップル=ローナイ・ヨージェフ『白い水玉ドレスの女性』(Rippl-Rónal József, Woman in a White-Dotted Dress;1889)。

リップル=ローナイは、ムンカーチ・ミーハイの助手を務めたとともに、1887年から1900年にかけてパリで生活したハンガリー人の芸術家である。

彼は、1890年代には限られた色のみで制作することを好んだため、その時期は「黒の時代」と自ら呼んだ。



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チョントヴァーリ・コストカ・ティヴァダル『アテネの新月の夜、馬車での散策』(Csontváry Kosztka Tivadar, Taking a Ride at New Moon in Athens;1904)。

ポストカードをiPhoneで撮影しただけでは分かりにくいのだが、この絵は、実際に美術館で見るととても色のグラデーションがうっとりするほど美しかった。

チョントヴァーリは、カルト的な愛好者がいるほど、独自のビジョンで神秘的な作品を生み出した画家である。

彼の作品には、描かれている場所と「朝」「午後」「夕方」「夜」といった時間帯が付されており、幻想的な光が再現されている。



II-6. ポスト印象主義(Post-Impressionism)

ポスト印象主義という用語が現れたのは、20世紀初頭のことである。

1910年にロンドンで開催された「マネとポスト印象主義派の画家たち」(Manet and the Post-Impressionists)という題する展覧会がきっかけとなり、ポスト印象主義が普及した。

なお、この展覧会には、セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホが中心となり参加し、彼らは、印象派を基盤としながらも、それぞれの画法を追求し、ポスト印象派の名作を生み出していった。

本章では、そのポスト印象派に影響を受けたハンガリーの画家たちの作品が展示される。



II-7. 20世紀初頭の美術ー表現主義、構成主義、アール・デコ(Early Twentieth CenturyーExpressionism, Constructive Tendencies and Art Deco)

表現主義は、特に1905年から1920年にかけて興隆し、人間の感情や不安を捉えることを重視した。

その作風は、写実的ではない歪められ誇張された形、内面を吐露するかのような強烈な色、力強いデッサンによって特徴付けられる。

この時代を生きた芸術家たちは、否応無しに1914年に勃発した大地次世界大戦に巻き込まれていき、戦死した画家もいれば、革命に巻き込まれたロシアの画家たちもいた。

ハンガリーでも1910年代から1920年代にかけて、前衛芸術活動の中で、表現主義と構成主義が興隆した。

戦争反対を表明し、芸術によって社会を変えようとする芸術家たちが、この活動を推進した。

前衛芸術活動の政治的な試みは成功したとは言えなかったが、芸術の面での革新は、その後大衆広告やポスター、ファッションに影響を与え、人々の生活に溶け込んでいった。


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最後の方は、駆け足になった感は否めないが、このように、西欧の美術史・政治史500年分を詰め込んだ展示である。

このnoteのキャプションも、まるで美術の教科書ともいうべき、長たらしい説明が続いてしまったとちょっと反省している。

また美術館にて、実際に見終わった頃には、勉強になったという充実感よりも、足が棒のようにという疲労感の方が大きいのではないのであろうか。

ところがこれだけの作品を日本に貸し出ししてくれているハンガリー側の心意気も十分に感じられる。

地震大国の日本に美術館の貴重な作品の数々を送ってくれたハンガリー。

そこには日本とハンガリーの150年の絆があることを考えずにはいられないのである。


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ブダペスト:ヨーロッパとハンガリーの美術400年(Treasures from Budapest:European and Hungarian Masterpieces)

会場:国立新美術館 企画展展示室1E

住所:〒106-8558 東京都港区六本木7-22-2

会期:2019年12月4日から2020年3月16日まで

※毎週火曜日、2019年12月24日から2020年1月7日までは休館。

※※2月29日から3月15日までは休館。3月16日の開館は未定(2020年3月5日時点の情報)。

開館時間:10:00-18:00(金・土曜は20:00まで)

料金:1700円(一般)、1100円(大学生)、700円(高校生)

公式ホームページ:国立新美術館


参考:

本展公式図録『ブダペスト:ヨーロッパとハンガリーの美術400年』日本経済新聞社、2019年。


(写真・文責:増永菜生 @nao_masunaga

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