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スカラ座博物館(Museo teatrale alla Scala):特別展「スカラ座のボックス席にて:ミラノに生きる人々の歴史」

ミラノを代表する文化施設であるスカラ座(Teatro alla Scala)。

この歴史ある劇場では、一流のオペラやバレエが上演され、世界中のファンから熱い支持を得ている。

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(2018年12月撮影)

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(2020年撮影)

一般的にオペラなどが演奏されるのは夜であるが、日中は、スカラ座に併設される博物館が開放されており、そこでは気軽にスカラ座の歴史を学ぶことができる。

今回のnoteでは、スカラ座博物館の常設展特別展「スカラ座のボックス席にて:ミラノに生きる人々の歴史」(Nei Palchi della Scala:Storie milanesi)を紹介していく。


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(博物館の階段に貼られたポスター)



1. スカラ座博物館の常設展示

1-1. スカラ座の歴史

博物館の常設展示の説明に入る前に、簡単にスカラ座の歴史を説明しよう。

1776年2月25日、1717年の落成以来、ミラノの劇場として機能していたレジョ・ドゥカーレ劇場(Teatro Regio Ducale)が火災により焼失した。

そのために、当時、ミラノを統治下においていたオーストリア・ハプスブルク帝国のマリア・テレジア(Maria Teresia;1717-80/ 在位 1745-65)は、建築家ジュゼッペ・ピエルマリーニ(Giuseppe Piermarini)に新しい劇場の建築を命じた。

1778年、マリア・テレジアの息子(マリー・アントワネットの兄)である神聖ローマ帝国皇帝ヨーゼフ2世(Joseph II;1741-n90/ 在位 1765-90)が、ミラノのスカラ座を完成させ、そのこけら落としのコンサートでは、アントニオ・サリエリが、指揮を担当した。

さらにエジソンによって発明された電灯が、スカラ座に灯されたのは、1883年のことであった。

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それまでの劇場は木造建築だった上に、蝋燭を照明としていたために、スカラ座の前身であった劇場も含め、火災によって焼失する劇場は少なくなかった。

19世紀を通じて、世界中の人々を魅了する劇場へと成長したスカラ座は、黄金時代を築いた。

ところが、1943年8月15日から16日にかけて、スカラ座は、イギリス空軍(the Royal Air Force)からの空爆を受けて破損した。

瓦礫の中でチャリティー・コンサートを行うなどした人々の努力もあって、スカラ座が修復された結果、1946年5月11日には、アルトゥロ・トスカニーニ(Arturo Toscanini)の指揮のもとで記念コンサートが開かれた。

また2002年1月から2004年12月にかけて、マリオ・ボッタ(Mario Botta)が第二次世界大戦以降初のスカラ座の大々的な修復を行った。

これらの第二次世界大戦後と21世紀初頭に行われた修復には、一つの共通点があった。

それはスカラ座の歴史を保存し、伝えるというものであった。

そのために修復の際には、瓦礫の中から発見された18世紀の釘や18世紀のロンバルディア風のタイルが使われた。



1-2. スカラ座博物館創設へ

1911年5月1日、古物商ジュール・サンボン(Jules Sambon)は、スカラ座関連の自身のコレクションを集めて、協力者たちと共に一つの博物館を作ることにした。

博物館は、その2年後にオープンし、スカラ座で活躍した音楽家ゆかりの品々を今に伝えている。

まず博物館の第一の部屋に入ると、オノフリオ・グアラチーノ(Honofrio Guaracino)の工房で作られた17世紀のスピネットの前で思わず立ち止まってしまうのではないであろうか。

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ここでは、旧約聖書のエピソードとして有名なホロフェルネスの首を持つユディトが描かれている。

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(Honofrio Guaracino, spinetta rettangolare, particolare)


またこの部屋の隅に、少年の頃のモーツァルトの像があるが、実は、モーツァルトは、スカラ座に来て実際に指揮を行なったことはないらしい。

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モーツァルトと言えば、事実とフィクションを織り交ぜながら、天才モーツァルトと努力家のサリエリの確執を描いた映画『アマデウス』が有名である。

実際に、このスカラ座で指揮を行なったことがあるのは、モーツァルトではなく、皇帝ヨーゼフ2世のお気に入り宮廷楽長サリエリなのであった。


次に第二の部屋では、バロック期の版画家ジャック・カロ(1592-1635)の作品が展示されている。

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彼は、ルネサンス期のイタリアで生まれた仮面劇、コメディア・デッラルテ (Commedia dell'arte)の登場人物を模した陶器の人形などを制作している。

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奇妙にも見える人形たちに囲まれたガラスケースの中には、色鮮やかなカードやタロットカードのように思われるものも展示されており、興味をそそる。


エセドラの部屋(the sala dell'Esedra)として知られる第三の部屋には、スカラ座の黄金期を牽引したプリマドンナたちの肖像画並ぶ。

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(右からGioacchino Serangeli, ritratto di Giuditta Pasta/ Luigi Pedrazzi, ritratto di Maria Malibran)


また数々の肖像画の中にあるスタンウェイのピアノは、作曲家フランツ・リスト(Franz Liszt;1811-86)が所有していたものである。画像54

(写真左端、Steinway & Sons, pianoforte appartenuto al compositore Franz Liszt)

その他、ジョアッキーノ・ロッシーニ(Gioacchino Rossini;1792-1868)やガエターノ・ドニゼッティ(Gaetano Donizetti;1797-1848)など、スカラ座でその傑作を発表した作曲家たちの肖像もこの部屋にある。



第四の部屋には、イタリアを代表する作曲家ジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)やその関係者たちの肖像画や品々が展示されている。

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『椿姫』(La Traviata;1853)や『アイーダ』(Aïda;1871)で有名なヴェルディが、スカラ座でデビューしたのは1839年のことであった。


またこの部屋には、数々のミラノの風景を残した画家アンジェロ・インガンニ(Angelo Inganni;1807-1880)が描いた1852年のスカラ座の絵が展示されている。

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マンゾーニ通りから見たスカラ座である。

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(Angelo Inganni, la facciata del Teatro alla Scala nel 1852)



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様々な立場の人々が細部まで描かれている。

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またこちらの絵とは少し異なるが、ミラノの老舗バール・コヴァ(Cova)のカップにも、同じアングルでスカラ座が描かれている。

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少し話が脱線するが、この老舗バール・コヴァは、1943年に空爆に遭うまでスカラ座のそばで営業していた。

戦後は、現在のお店があるモンテナポレオーネ通りに新しいお店を作り営業再開したコヴァであったが、元々の店舗の名残として、今もカップにはスカラ座の絵が描かれているのである。


またこの部屋にあったオペラ歌手マリエッタ・ブランビッラ(Marietta Brambilla;1807-75)の肖像には、面白い仕掛けがあると博物館の方が教えてくれた。

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ちなみに彼女はドニゼッティのオペラ『ルクレツィア・ボルジア』を演じたことで有名である。

よく見ると、彼女の手首にはカシオの時計、ロッシーニの胸像は、女性の胸元を見つめているというのである。

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制作年代や作者は分からなかったが、ちょっとした遊び心にクスッと笑えたのであった。




第七第八の部屋には、19世紀末以降にスカラ座で活躍した音楽家ゆかりの品々が展示されている。

こちらは、『ウイリアム=テル』(William Tell;1829)を作曲したロッシーニ(Gioacchino Antonio Rossini;1792-1868)の胸像。

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ちなみにこのロッシーニについては、2018年に彼にクローズアップされた特別展が開催されていた。

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音楽家を早々に引退して、美食家として名を馳せたロッシーニであるが、さすが、でっぷりと貫禄がある姿である。


またその他には、『蝶々夫人』(Madama Butterfly;1904)や『トゥーランドット』(Turandot)、『トスカ』(Tosca;1900)を作曲したプッチーニ(Giacomo Puccini;1858-1924)や20世紀を代表するソプラノ歌手マリア・カラス(Maria Callas;1923-77)の肖像がある。 

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『トゥーランドット』のスコアは、その装丁も美しい。

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下の女性がマリア・カラス。

ちょっと古い趣あるミラノのバールに行くと、ここはマリア・カラスが通った店などというキャプションがある時もある。

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毎年12月7日は、ミラノの守護聖人聖アンブロージョの日であるとともに、スカラ座のシーズン初日でもある。

世界中からVIPがスカラ座に集まるために、スカラ座付近は警備が厳重にしかれ、物々しい雰囲気となる。

その一方で、ガレリア内のスクリーンでは、スカラ座内の公演がライブ中継され、切符を持たない一般の人でも音楽を楽しむことができる。

今年2020年のシーズン初日がどのような形態になるか、まだ不明であるが、ライブ中継するというスカラ座の方針からは、高尚な芸術を一部の特権階級の人のものだけにせずに、ミラノの人々、皆で楽しもうという姿勢が見えてくるのではないであろうか。

博物館の紹介は駆け足になってしまったが、オペラファンの方ならきっと心を打たれるような19-20世紀のスターたちゆかりの品々が、ここには展示されているのである。



2. 特別展「スカラ座のボックス席にて」(Nei Palchi della Scala)

ピエル・ルイジ・ピッツィ(Pier Luigi Pizzi)による本展は、スカラ座創設の時期から第二次世界大戦後までのスカラ座のボックス席にクローズアップしたものである。

また本展は、ミラノ音楽院(Conservatorio Giuseppe Verdi di Milano)とブレラ図書館(Biblioteca Nazionale Braidense)の協力を得て、19-20世紀のイタリア社会の変遷を語っている。

トリヴゥルツィオ(Trivulzio)、リッタ(Litta)、ベルジョジョーソ(Belgiojoso)、ヴィスコンティ(Visconti)といったミラノを代表する名家の者や、スタンダール(Stendhal)、フォスコロ(Foscolo)、パリーニ(Parini)、マンゾーニ(Manzoni)といった偉大な芸術家や文筆家もスカラ座に足繁く通った。

その中の一人、作曲家のフランツ・リストは、次のように言ったという。

「それを発すれば、外国人かどうか、一度で分かってしまう質問がある。

それは「今夜、スカラ座に行きますか?」というものである。

ミラノの人にとって、それは「まだ生きていますか?」と尋ねるも同然の愚かな質問なのである。」

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選民意識がありありと現れている質問であるが、それくらい、ある程度の階級以上のミラノの人々の生活にとってスカラ座は、欠かせない存在だったのである。

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スカラ座に集う上流階級を描いたイラスト。

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(Fercioni's designs, "Vanna alla Scala", drawing by Federico Pallavicini, in 《Bellezza》, July, 1946)

これは、1946年の作品とのことだが、スカラ座が戦災から復興して間もない頃にこのように華やかに着飾った人がオペラを楽しんでいたことが分かる。



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(Drawing by Brunetta Ricordo di una grande serata, in 《Bellezza》, July 1946)


上の層にいる人々は、安い料金でオペラを楽しもうとしている人々である。

それぞれ異なる階級の人々であるが、皆、同じオペラを楽しもうとスカラ座に集っているのである。

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(Hai inviato i tre Bianchi? Ma saremmo troppo pigiati, cara!)


こちらは、1899年から1989年まで約90年間、毎週日曜日に発行された『ラ・ドメニカ・デル・コッリエレ』(La Domenica del Corriere)のカラー表紙である。

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(La Domenica del Corriere)

上のものは1952年、下のものは1900年のものとのことであり、カラーの分、当時のファッションもよく分かる。

特に1900年のものという後者に描かれた女性の細いウエストに目が釘付けになった。

女性をコルセットから解放したデザイナー・ポール・ポワレ(Paul Poiret;1879-1944)のスタイルが流行するのは、20世期に入ってからのことであった。



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19世紀のスカラ座のボックス席は、分譲マンションのようなものであった。

それぞれのボックス席は、その所有者の嗜好によって飾り付けられており、それを所有することは一つのステータスでもあった。

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19世紀を通して、人々は、ミラノの生活の中心となっているスカラ座に行くという行為自体に最大限の注意を払っていた。

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なぜならばそこは、オペラやバレエを観る場所であるだけではなく、そこにいる人々も、お互いをお互いを観察する場であるからである。

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またスカラ座では、賭博も日常的に行われていた。

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スカラ座のトップに君臨するのは、王室が利用することができるロイヤル・ボックスである。

上から1番目と2番目の段のボックス席は、最も人気のある層であり、そのレンタル料は月に2500リラ。

ロンバルディアの名門一族がこれらの席を買い求めた。

これらに3番目(1800リラ)と4番目、さらには5番目の段の席が続いた。

『赤と黒』で有名な小説家スタンダール(Stendhal;1783-1842)は、「スカラ座のボックス席は、パリのアパートと同等の家賃である」と述べている。

1番目の席のさらに上にある天井桟敷(pigeon loft)には、比較的リーズナブルな値段でオペラを楽しむために「手袋なしの」人々が詰めかけた。



スカラ座のボックス席に設えられたスツールや椅子の他に、重要な役割を果たしたのは鏡であった。

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ボックス席の人々は、ボックス内に設置された鏡によって、気付かれることなく他の来場者を観察することができた。

また自分自身に対する視線も、この鏡によってキャッチしていた。

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スカラ座における立ち位置は、ミラノの社会におけるヒエラルキーの縮図とも言え、それぞれの人々が、自身にふさわしい役割を演じていたと言える。


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(それぞれの椅子に座ることによって、それぞれの層からの眺めを体感できる装置となっている。)



「ファッションは『アイーダ』(ヴェルディ作のオペラ)よりも役に立つものである」と1956年12月8日付 新聞紙コッリエレ・ロンバルド(Corriere Lombardo)は述べた。

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正装が求められるスカラ座は、ファッションとも深い関係を築いてきた。

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特にスカラ座のシーズン初日である毎年12月7日は、人々の眼差しがいつも以上に注がれ、来場者たちにとって重要な日となった。

(シーズン初日は、1951年に聖ステファノの日である12月26日から、現在の12月7日に変更されている)


イタリア産のシルクなどを使った特注のドレスを着たご婦人方は、得意げにスカラ座にやってきて、他の人々のドレスをちらりと値踏みしていたのであろうか、と考えた。

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(青:Roberto Capucci, worn by Valentina Cortese, 1991, Chiffon silk hand-embroidered with canes, Collezione Valentina Cortese/ 黄色:Sartoria Dragoni-Venezia, worn by Nandi Ostali, 1957, Silk satin and chiffon, embroidered with beads and canes, Collezione Nandi Ostali/ 黒:Yves Saint Laurent, worn by Lina Sotis, 1970's, Velvet and silk georgette, Collezione Lina Sotis)



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(水色:Curiel, worn by Ursula Schwarz, 1967, Silk taffeta hand-embroidered with beads and canes, Collezione Paoala Fandella)


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(グレー:Roberto Capucci, worn by Valentina Cortese, Silk chiffon, Collezione Valentina Cortese/ 緑:Roberto Capucci, worn by Valentina Cortese, Silk taffeta, Collezione Valentina Cortese)

ご婦人方の宝石や服の刺繍糸は、スカラ座のシャンデリアに照らされてキラキラと輝いていたに違いない。



このパネルに写されているのは、スカラ座シーズン初日の12月7日に撮影された女性たちである。

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それぞれが1950年代、60年代、70年代の最新ファッションを繁栄している上に、そこに写っているのは12月7日にスカラ座に行くことが許されたプリマドンナたちなのであった。

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最後のパネルには「静かに...!」(Ssst...!)と書かれており、まるで上演中のような緊張感を味わうことができるのであった。

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展示室を抜けると、ホワイエとボックス席を実際に見学することができる。

公演中のカウンターでは、飲み物をオーダーすることができるのである。

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見学可能となっているボックス席の入り口。

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筆者のiPhoneが古いために光が飛んでしまって申し訳ないのだが、誰もいないスカラ座は迫力がある。

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無音の(と言っても時々、他の見学者の話し声が聞こえる)スカラ座をボックス席から眺めつつ、夜な夜な繰り広げられた人々の会話、女性たちの香水や化粧の香り、痛いほど刺さる人々からの視線はどのようなものだったかと想像を巡らせたのであった。





スカラ座博物館(Museo Teatrale alla Scala)

住所:Teatro alla Scala, Largo Ghiringhelli 1, Piazza Scala, 20121, Milano, Italy

開館時間:9:00-17:30(最終入館は17:00)

休館日:12月7、24-26、31日(12月24日と31日は午後のみ休館)
1月1日、復活祭、5月1日、8月15日

入場料:9ユーロ(一般)、6ユーロ(15名以上の団体、12歳以上の学生、65歳以上)、3.5ユーロ(学校団体)、無料(12歳以下、障害者、同行ガイド)

公式ホームページ:museoscala.org


特別展 スカラ座のボックス席にて(Nei palchi della Scala:Storie milanesi)

会期:2019年11月8日から2020年9月30日まで



(文責・写真:増永菜生 @nao_masunaga


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