【前編】アズディン・アライア、クチュリエ&コレクショヌール(Azzedine Alaïa, Couturier Collectionneur):パリのガリエラ美術館で開催、アライアが生涯をかけて集めたドレスコレクション
1979年から2017年にかけてパリで活動したチュニジア出身のクチュリエ アズディン・アライア(Azzedine Alaïa;1935-2017)。
彼の作品は、基本的な構造を押さえたものでありながらも、卓越した創意工夫が凝らされ、時代を越えた気品に満ちている。
そんなアライアは、デザイナーとして活動する一方で熱心な過去のファッションアーカイブのコレクターでもあった。
1968年以来、アライアはオートクチュール、プレタポルテ、日常着を問わず様々なデザイナーの作品をコレクションしていった。
クリストバル・バレンシアガ(Cristóbal Balenciaga), ガブリエル・シャネル(Gabriel Chanel)、チャールズ・ジェームズ(Charles James)、クリスチャン・ディオール(Christian Dior)、マダム・グレ(Madame Grès)、ジャンヌ・ランバン(Jeanne Lanvin)、ポール・ポワレ(Paul Poiret)、エルサ・スキャパレリ(Elsa Schiaparelli)、マダム・ヴィオネ(Madeleine Vionnet)など…アライアは敬愛するクチュリエたちのクリエーションを愛し、収集した。
アライアが収集した数千点にも及ぶコレクションは、19世紀末から現代に至るファッションの歴史を語るものであり、アライア自身の意向により、彼の名を冠した財団に受け継がれた。
今回パリのガレリア美術館で開催された特別展「Azzedine Alaïa, Couturier Collectionneur」は、そんな彼のコレクションから140点の作品を紹介するものである。
今回のnoteでは、そんなアライアのクチュリエ兼コレクターであったアライアの本質に迫っていきたい。
1. チャールズ・ジェームズ(Charles James)
1906年にアメリカの裕福な家庭に生まれたチャールズ・ジェームズ(Charles James; 1906-1978)は、イギリスのパブリックスクールであるハーロー校を経て、19歳の時にシカゴで「チャールズ・ブシュロン」(Charles Boucheron)という名の店を開いた後、ロングアイランドにて婦人帽子店を開いた。
自身のことを「仕立て屋兼設計者」と称していた彼は、ユニセックスなスタイルを元に革新的な技術と方法を追求した。
1937年、パリで初めてのコレクションを成功させた彼は、1950年にはコティ・アメリカン・ファッション・批評賞受賞、1954年にはその記念となるコレクションを開催するなど、その地位を不動のものにしていった。
「アメリカ初のドレスデザイナー」(America's First Couturier)と称されチャールズ・ジェームズは、1960年代には当時活躍する芸術家が集まることで有名であったニューヨークのチェルシー・ホテルをオフィス兼アパートとし、1978年にホテルでその生涯を閉じた。
彼の死から2年後の1980年、ニューヨークのブルックリン美術館でチャールズ・ジェームズ(1906-1978)に捧げる回顧展が開催された。
アライアは、ニューヨーク滞在中にこのチャールズ・ジェームズの回顧展を訪れた。
近未来都市の設計図のように複雑な彼のパターンやその類い稀なる探究心を発見したアライアは、自分の分身をジェームスの中に見出したために、当時、フランスの美術館ではほとんど見ることができなかったジェームスの作品を手に入れたいと熱望した。
参考:
2. エイドリアン(Adrian Adolph Greenberg, dit Adrian)
エイドリアンという名前で知られるエイドリアン・アドルフ・グリーンバーグ(Adrian Adolph Greenburg;1903-1959)は、1928年から1941年にかけてライオンのマークでお馴染みのアメリカの映画製作会社メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)の衣装部門を経営したデザイナーである。
その最も有名な作品としては『オズの魔法使』(The Wizard of Oz;1939)が挙げられ、ジュディ・ガーランド(Judy Garland;1922-1969)の水色のギンガムチェックのドレスやルビー色の靴を思い浮かべる方も多いであろう。
彼の作品は、画面の上で最高の輝きを放ち、ハリウッド映画の魅力の普及に貢献した。
1942年、MGMを退社し、ビバリーヒルズに自分のスタジオを開き、映画関係者と自身の顧客両方の依頼を受けることができていたが、彼は自分一人で製作行うことを好んだために、彼が病に倒れた後、このスタジオの存続は困難となった。
そんなハリウッドと共に生きたエイドリアンの作品を所有する美術館は、フランス国内にはほとんどなかった。
アライアは1980年代に、エイドリアンのスーツ、デイドレス、コート、イブニングドレス、未発表のドローイングや資料など350点近くを購入し、自身のコレクションに加えた。
3. クリストバル・バレンシアガ(Cristóbal Balenciaga)
現在、ジョージア出身のデザイナー デムナ・ヴァザリア(1981-)が2015年よりクリエイティブディレクターを務めるバレンシアガ。
デムナが一気にストリートに舵を切ったことでバレンシアガは若年層から熱烈な支持を得た一方で、デムナはオートクチュール事業の復活という偉業を成し遂げた。
アライアが熱心なドレスコレクターになったきっかけは、このバレンシアガの創始者クリストバル・バレンシアガ(Cristóbal Balenciaga;1895-1972)のドレスを購入したことにあった。
1937年からパリに居を構えたクリストバル・バレンシアガは、1937年よりパリでメゾンを構え、数々の顧客のドレスを作り続けたが、1968年にはそのメゾンを閉じた。
アライアは、この伝説的なクチュリエの幕引きを目の当たりにし、その記憶を継承するためにバレンシアガの作品を購入し、それ以降もありとあらゆるバレンシアガの宝物を購入し続けた。
アライアによる、クリストバル・バレンシアガの作品コレクションは、1930年代から1968年までと幅広く、その数は数百点にものぼる。
4. カルヴェン、マッド・カーペンティエ、クレア・マッカーデル(Carven, Mad Carpentier and Claire Mccardell)
マリー=ルイーズ・カルヴェン(Marie-Louise Jeanne Carmen de Tommaso, aka Carven;1909-2015)は、 身長155cmと欧州の女性にしては小柄な自分の身体に合うドレスがないということをきっかけに、自身のワードローブを作り始めた。
1945年、パリで自身のファッションハウスをオープンしたカルヴェンは、気軽に身につけることができるコットンを素材として選び、リボンやアップリケなどでアクセントをつけることで、小柄な女性が着てもバランスよく見えるドレスを考案した。
一方、マッド・カーペンティエ(Mad Carpentier)は、もともとマドレーヌ・ヴィオネのメゾンで働いていたマドレーヌ・マルテゾス(Madeleine Maltézos)とアデル・カーペンティエ(Adèle Carpentier)の二人の女性が1940年に創設したファッションハウスである。
第二次世界大戦中も営業を続け、イブニングドレスは高い指示を得たが、戦後の消費社会の変化の波を捉えることができずに1957年にメゾンは閉鎖された。
最後にクレア・マッカーデル(Claire McCardell;1905-1958)は、1940年から1958年にかけてメゾンを運営したアメリカのデザイナーである。
ニューヨーク芸術工芸学校(現在のパーソンズ)での学生時代にパリに留学し、当時のパリのファッションに影響を受けた。
自身のメゾンでは、裏地の使用を控え、コットンやデニムなどの生地を使い、シンプルなモチーフを取り入れた、つまり機能性を重視した作品を制作した。
アズディン・アライアは、見た目の美しさだけではなく、快適でシンプルなモデルを求めていたために、模範的なシンプルさを持つクレア・マッカーデルの作品に魅了された。
その中でも、ジョアン・ミロ(Joan Miró)とフェルナン・レジェ(Fernand Léger)がデザインしたプリント生地を使った作品は、アライアのコレクションの中でも貴重なものと考えられている。
このブースで展示されるカルヴェン、マッド・カーペンティエ、クレア・マッカーデルの3人のデザイナーが手掛けたモデルは、1940年代から1950年代という時代に評判を得た実用性を備えたドレスなのである。
5. マダム・グレ(Madame Grès)
またアライアはマダム・グレの作品の熱心なコレクターでもあった。
アライアとグレにクローズアップした展示は、2023年から24年にかけてパリのアズディン・アライアギャラリーでも開催された。
マダム・グレ(Madame Grès;1903-1993)こと、本名ジェルメーヌ・エミリ・クレブ(Germaine Emilie Krebs)は、パリのブルジョワ階級に生まれながらも彫刻家を志し家を出た後、1933年にはパリにファッション・ハウスをオープンした。
マダム・グレは、当時は先進的な素材だったシルクジャージーを使い、古代ギリシアを彷彿とさせながらも現代の生活にもマッチする「ドレープドレス」を発表したことで大成功を収めた。
1942年には、夫セルジュの名前の一部を使った「グレ」という名前のデザインハウスをオープンし、以降1980年代に至るまで、アンティーク風のドレープドレス、巧みなプリーツ、浮遊感のあるカットアウトのボリュームなど顧客の要望に応えつつ、唯一無二の作品を作り続けた。
同じく彫刻家を志していたアライアは、グレの作品から学ぶために、700着以上ものグレの作品を所有した。
6. マドレーヌ・ヴィオネ(Madeleine Vionnet)
フランスのロワレ県シルール・オ・ボワ出身のマドレーヌ・ヴィオネ(Madeleine Vionnet;)は、お針子としての生活、娘の死、離婚を経て、1912年に独立してパリにメゾンを開店した。
第一次世界大戦中にメゾンを一時閉店するものの、戦後は営業再開、当時はまだ珍しかったサテンなどの素材や古代ギリシアの神話の世界のようなドレープを取り入れたドレスを制作した。
服が身体にしなやかに巻きつく効果を生むバイアスカット(生地の縦と横の織り目に対し、斜め45度にカッティングしすること)の創始者として知られるマドレーヌ・ヴィオネ。
彼女は、カッティングの技術を駆使してドレスを制作したが、徹底的な秘密主義だったために、その制作方法が解き明かされていないドレスもある。
1980年代、アズディン・アライアは、当時はごく僅かな歴史学者にしか知られていなかった、1920年代から1930年代にかけて活躍したクチュリエ、マドレーヌ・ヴィオネ(Madeleine Vionnet;1876-1975)の認知と評価に大きく貢献した。
1984年、アライアは雑誌『ジャルダン・デ・モード』(Jardin des Modes)のために、謎に包まれたマドレーヌ・ヴィオネのドレスの撮影を引き受けた際に、ホックやファスナーをほどきつつ、見事に調和したフォルムをマネキンの上に再現した。
1991年には、マルセイユでマドレーヌ・ヴィオネに特化した初の大規模な展覧会を開催するなど、このクチュリエはその卓越した技術でアライアを魅了し続けた。
アライアが所有したヴィオネのドレスは、彼女のテクニックを証明するものであり、チュールやベルベットを使った精巧なドレスは今も色褪せることはない。
7. ガブリエル・シャネル(Gabrielle Chanel)
日本でも彼女にクローズアップした特別展が開催されるなど、認知度も人気も高いガブリエル・シャネル(Gabrielle Chanel; 1883-1971)。
パリのガリエラ美術館でもガブリエラ・シャネル展が開催されたことは記憶に新しいが、彼女は、ファッション史の厳粛な流れを2度も覆したと言われている。
まず一度目として、1926年、19世紀までは男性の色とされてきた黒を使い、余計な装飾を切り落としたリトル・ブラック・ドレス(Petite Robe Noire)は、センセーションを巻き起こした。
そして二度目として1954年、彼女が発表したツイードスーツは、戦後の働く女性の制服となった。
アライアは、1930年代のイブニングドレスから1950年代、1960年代のスーツ、コートまで、ガブリエル・シャネルのドレスを年代ごとに注意深く集めた。
そこからは自立した女性に捧げる強いガブリエル・シャネルによるメッセージと、シャネル自身のスタイルを厳格に守る姿勢を読み取ることができるのである。
参考:
8. エルサ・スキャパレリ(Elsa Schiaparelli)
何もかもがガブリエル・シャネルと正反対のデザイナーとして有名なエルサ・スキャパレリの作品もアライアは平等に収集した。
1930年代、エルザ・スキャパレリ(Elsa Schiaparelli;1890-1973)は、サルバドール・ダリ(Salvador Dalí)といったシュールレアリスムの芸術家たちと交流しつつ、ユニークな細工や装飾を自身の作品に取り入れた。
靴から作られた帽子や磁器のボタンがつけられたスーツジャケットは、挑発的で非日常的なものを好む彼女のセンスが反映されたものであった。
アライアは、スキャパレリの服だけではなく、戦時中に彼女が秘書と交わした書簡や、彼女の工房から大量のパターン生地を入手するなど、貴重な資料も入手した。
熱心なスキャパレリコレクターであったアライアは、2009年に自身の財団が運営するアライアギャラリーにてスキャパレリの特別展も開催するほどであった。
参考:
9. ポール・ポワレ(Paul Poiret)
シャネルやスキャパレリと言ったら、ポール・ポワレ(Paul Poret; 1879-1944)に言及しないわけにはいかないであろう。
ポール・ポワレは、エンパイア・ファッションに影響を受け、かつ女性をコルセットから解放するように作られた1910年代の作品や、エキゾチシズムに満ちた1920年代の作品で有名なクチュリエである。
2005年、アライアは、自身のメゾンでポール・ポワレをテーマとして歴史的な展示即売会を開催した。
ポワレによるアートとファッションの接近、世界のフォークロアやオリエンタリズムからの着想、当時としては先進的であった素材の再利用などにクローズアップし、ポワレを称賛したのであった。
またこちらはポール・ポワレのブースの近くにあったブスバイン・メゾン(Busvine; 1881-1951)、チャールズ・ジェームス(Charles James; 1906-1978)、マリー=ルイーズ・ブリュイエール(Marie-Louise Bruyère;1884-1959)、ジャック・グリフ(Jacques Criffe; 1909-1996)らによる20世紀前半のコートとスーツたち。
アズディン・アライアは、ドレスだけではなくコートとスーツの質の高さでも有名であり、イブニングドレスと共にサルトリアのテーマのバリエーションを教えてくれるデイコートや軍服も収集し、そこからシンプルで堅実なカッティングや装飾を学んだ。
ここまで展示品を見ただけでも、まるで19世紀末から20世紀前半までのファッションの歴史を語る教科書のようなラインナップだと感じた方もいるのではないであろうか。
これだけのコレクションをたった一人の人が集めたことと、その審美眼にただ脱帽である。
後半も素晴らしい作品が目白押しなので引き続きお付き合いいただきたい。
アズディン・アライア、クチュリエ&コレクショヌール(Azzedine Alaïa, Couturier Collectionneur)
会場:ガリエラ美術館(Palais Galliera)
住所:10 Av. Pierre 1er de Serbie, 75116 Paris, France
会期:2023年9月27日から2024年1月21日まで
開館時間:10:00-18:00(月曜定休)
公式ホームページ:palaiscalliera.paris.fr
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