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アントニオ・ロペス展(Antonio Lopez:Drawings and photographs):ミラノのコルソ・コモで開催、奇才の軌跡をたどる

1.イラストレーター アントニオ・ロペスという人

2020年1月12日から4月13日まで、ミラノの10 コルソ・コモにて、アントニオ・ロペス展(Antonio Lopez. Drawings and photographs)が開催されている。

10 コルソ・コモは、別冊版『Vogue Italia』の元編集長カルラ・ソッツァーニ(1947-; Carla Sozzani)がオープンさせた複合施設であり、そこにはカフェ、セレクトショップ、ギャラリーがある。


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アントニオ・ロペス(Antonio López;1943-1987)は、プレルトリコ生まれの写真家・ファッションイラストレーター。

本展では、200点以上のロペスの写真やイラストが展示されている。

1950年、ロペスが7歳の時、一家はニューヨークに移住した。

両親の影響もあり、ロペスは、1962年、ニューヨークのファッション工科大学 (Fashion Institute of Technology)に進んだ。

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(Juan Ramos, Provincetown, c. 1962)

学生時代のインターンを経て、ロペスは、ニューヨーク・タイムズで働いた他、英国系アメリカ人のデザイナー、チャーリー・ジェームズ(Charles James; 1906-78)のもとでイラストレーターとしても活動した。

1969年、ロペスは、協力者であるホアン・ユージン・ラモス(Juan Eugene Ramos)とともにパリに渡った。

ロペスたちは、1975年にパリを離れるまでに、カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld;1933-2019)とも交友関係を築くとともに、サン・ローランのキャンペーンも担当した。

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(Photo Booth Series, Antonio Lopez, Paris;1974)

主に60年代から80年代にかけて活躍したロペスの作品は、独特な色使いと曲線が特徴的であり、目が覚めるような強烈な印象を見る者に残す。

彼の作品は、ヴォーグ、エル、ハーパスバザーといった各種有名誌の紙面を飾った。

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特に、ロペスは、ファッション作家アンナ・ピアッジ(Anna Piaggi;1931-2012)らが編集した1980年代(1983年1月から1989年10月まで)のイタリアの雑誌『ヴァニティ』(Vanity)に協力し、彼の独創的な作品が次々と生み出された。

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そんなロペスは、1987年、ニューヨークにて、44歳の若さでエイズで亡くなった。

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2. ロペスとミューズたち

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特に1970年代、ロペスがパリに滞在していた時期、彼は、彼の作品のミューズでもあったモデルやデザイナーたちと交友関係を築いた。

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(Visual Diary, January 30, 1978)


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(Blue Water Series, Nancy Lucas, New York City, 1980)



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(Antonio Lopez, Charles Tracy and Pat Cleveland, New York City, 1975)


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(Serie Blue Water, Patti D'Arbanville, Paris, 1975)


その一例を挙げるならば、ジェリー・ホール(Jerry Hall;1956-)、パロマ・ピカソ(Paloma Picasso;1949-)、グレース・ジョーンズ(Grace Jones;1948-)、ジェシカ・ラング(Jessica Lange;1948-)、ティナ・チャウ(Tina Chow;1950-92)など。


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1975年、ロペスとホアンがニューヨークに戻ると、ブロードウェイに大きなスタジオを構え、そこでファッションイラストレーターとして、次々と作品を生み出した。

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(ELLE France, Susan Baraz, 1967)


そんなロペスの作品は、ニューヨーク、ミラノそしてパリのカルチャーをミックスさせたようなものであり、生命力あふれる美を表現している。

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(Suntory Beer, Jerry Hall, 1977)



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(Plastic Series, Jerry Hall, Paris;1975)


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(Red Coat Series. Grace Jones, Paris;1977)

彼が描く・撮影した女性たちは、コケティッシュであり、挑戦的な眼差しをこちらに向けてくる。

中にはエロティックなものもあるが、その肉体美は、見る者に強烈な印象を残す。


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(Shoe Study, model unknown;c. 1976)

もともとは道端の排泄物から汚れないようにと考案されたハイヒール。

その不自然な形は、コルセットともに女性に対する抑圧の象徴のように思われるが、これらのハイヒールはどうであろう。

こちらを踏みつけてくるかのように、攻撃的で気高い足たちである。



3. ファッションイラストレーターとしての活躍

ロペスは、ミッソーニ(Missoni)やヴェルサーチ(Versace)といったイタリアンブランドのファッションイラストレーターとしても活躍した。

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ローマで聖地巡礼をしてしまうほど、荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』という漫画が好きな筆者であるが、このブースに入った時の正直な感想は、「まるで一部と二部の世界観だ」というものであった。

(★参照:【聖地巡礼】『ジョジョの奇妙な冒険 第5部 黄金の風』ローマ編/ 2019年3月27日付note


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荒木飛呂彦が『ジョジョの奇妙な冒険』の連載を開始したのが、1987年。

その他、荒木氏は、イタリアの絵画や彫刻をモチーフにしたコマを書いている他、『ヴォーグ』などのファッション誌も好んでいると話していたことから、ロペスの影響を受けていると考えることもできるであろう。


話は逸れてしまったが、ロペスが描く1980年代のファッションは、どれもカラフルで、当時の景気の良さが前面に押し出されている感じもある。

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以下、ミッソーニのファッションイラストである。

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(Missoni, Spring/ Summer 1985, model unknown;1985)



オリンピックじみた絵柄であるが、1984年はロサンゼルスオリンピックの年であった。

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(Missoni, Spring/ Summer 1984, Jone Thorvaldson and model unknown; 1983)



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(Missoni, Fall/ Winter, 1984-85, Suzanne von Aichinger and Chris Harder;1984)



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こちらは、雑誌『ヴァニティ』のイラスト(1982)。

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以下は、ヴェルサーチのファッションイラストである。

なお本展では、ヴェルサーチの原画は展示されておらず、パネルにイラストが次々と現れるという仕掛けであった。

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(Gianni Versace, models unknown;1983)


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(Gianni Versace, Fall/Winter 1982-83, models unknown;1982)



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(Gianni Versace, Fall/ Winter 1982-84, model unknown;1983)


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(Gianni Versace, Fall/ Winter 1982-84, Paul Qualley;1983)


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(Gianni Versace, Fall/ Winter 1983, model unknown;1983)


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(Gianni Versace, Spring/ Summer, models unknown;1983)


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(Gianni Versace, Spring/ Summer, models unknown;1984)


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(Gianni Versace, Spring/ Summer, model unknown;1984)

ジャンニ・ヴェルサーチ(Gianni Versace;1946-1997)は、1978年にブランドを創設して以来、ジョルジオ・アルマーニ (Giorgio Armani)やジャンフランコ・フェッレ(Gianfranco Ferré) とともに「ミラノの3G」とも呼ばれた。

ヴェルサーチは、特にアルマーニの良きライバルとしてコレクションを発表し続けていたが、1997年、フロリダで銃撃されるという悲劇的な最期を迎えた。

現役の世界的デザイナーが、突如として命を奪われたというセンセーショナルな事件は、『アメリカン・クライム・ストーリー/ヴェルサーチ暗殺』(The Assassination of Gianni Versace: American Crime Story)というドラマにもなっている。



4. 『ヴァニティ』(Vanity)とロペス

1980年、アンナ・ピアッジ(Anna Piaggi)は、雑誌『ヴァニティ』(Vanity)の編集のために、ロペスとホアンをミラノに招いた。

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以降、彼女のチームと協力したロペスたちは、1981年から84年に至るまでほぼ毎号、自身の作品を提供し続けた。


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(Be-bop e pioneer, Vanity, models unknown, 1982)


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(Musico, rhythm and blues, Vanity models unknown;1983)



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ブラックミュージックとロックの融合のような作品。


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(Vanity;1981-82)


編集者のアンナ・ピアッジは、次のように語る:

「『ヴァニティ』はアントニオ・ロペスにとっての生き生きとしたポートフォリオでもあり、彼自身のアートの形全てを開いたものだと思っている」


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『ヴァニティ』のイラストたち。

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好景気に沸く1980年代、ビックショルダーや大胆な色使いなど、若い頃のブルック・シールズ(Brooke Shields)を思い起こさせるような絵柄でありながらも、エレガントさは忘れていない。



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イタリアンカラーのロペスの自画像。



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今にも動き出しそうなロペスのイラストを、1980年代当時に「目撃」していた人は、何て幸せなのであろうかと思いを馳せた。

ファッションは、血の通った生き物であり、刻々と変化し、時代の顔を作る。

今、このnoteを書いている2020年3月現在、実は本展は、昨今の流行の影響を受け、イタリアの規定に従って、展示を中止している。

2019年2月下旬、2月18日から24日までのスケジュールで開催されていたミラノ・ファッションウィークはかろうじて大きな被害を逃れたものの、最終日にはショー自体が中止になるという措置がとられた。

それは、今現在とどまることを知らずに、イタリア経済に大きなダメージを与え続けている。

3月9日、ジョルジオ・アルマーニが、125万ユーロを対策のため病院に寄付するというニュースが流れた。

アルマーニに先立つことブルガリ(Bvlgari)やドルチェ&ガッバーナ(Dolce&Gabbana)も寄付を行っており、またキアラ・フェッラーニ(Chiara Ferragni)とフェデス(Fedez)といったインフルエンサー夫妻も病院に資金を提供している。

このようなニュースを聞くと、ファッションというのは、一部のお洒落な特権階級の人々のものだけではなく、経済を動かし、皆で楽しむものだと思えてならない。

2020年、我々は、どのようなファッションシーンを目撃するのであろうか。

数十年後、目を閉じてみて、ロペスのような鮮烈な色が蘇るようなファッションシーンの一部に我々もなりたいものである。



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貴重な書籍が並ぶコルソ・コモのブックショップより。



アントニオ・ロペス  ドローイング&フォトグラフ(ANTONIO LOPEZ DRAWINGS AND PHOTOGRAPHS)

会場:10 Coro Como

住所:Corso Como 10. 20154, Milano, Italy

会期:2020年1月12日から4月13日まで

開館時間:10:30-19-30(水曜と木曜は21:00まで)

※入場無料

公式ホームページ:10corsocomo.comfondazionesozzani.org


参考:

la Repubblica(アントニオ・ロペス展特集記事)

D. it Repubblica(2020年3月9日付記事)


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