本の持ち主を語る小さな紙片、エクス・リブリス(Ex Libris)についての特別展:Liberty per le donne:Le Donne negli ex libris della collezione Ivan Matteo Lombardo
1. エクス・リブリス(Ex Libris)、蔵書票とは?
ミラノの図書館ビブリオテーカ・ソルマーニ(Biblioteca Sormani)にて2023年3月から4月にかけて「女性のためのリバティ:イヴァン・マッテオ・ロンバルドのコレクションより、エクス・リブリスにおける女性」(Liberty per le Donne: Le Donne negli ex libris della collezione Ivan Matteo Lombardo)という特別展が開催された。
まずエクス・リブリス(Ex Libris)という言葉を初めて聞いた人もいるであろう。
エクス・リブリス(Ex Libris)とは、本の見返し部分に貼ることでその所有者を示す蔵書票、すなわちラベルのことである。
この言葉は、ラテン語の「私の本から」(ex libris meis)に由来するとも考えられている。
またエクス・リブリスの図案には、その所有者の名前だけではなく、紋章、階級や爵位、職業や、その所有者を思い起こさせるようなモチーフや標語が使われており、まさに所有者について「語る」小さな紙片であったのである。
最古のエクス・リブリスは、バイエルンの聖職者ハンス・クナーベンスベルク(Hans Knabensberg, detto Igler)によって1459年に作られたものと考えられている。
15世紀から16世紀にかけての印刷技術の発展により、印刷本が普及するようになっても、エクス・リブリスが本に貼られるこでその印刷本は、ユニークな一つの作品として独自性を獲得することができた。
16世紀後半になると貴族の間では、自身の蔵書に自分だけのエクス・リブリスを付けることが習慣化したのである。
この頃のエクス・リブリスは、木版が主流であり、そのシンプルさがゆえにルーカス・クラナッハ(Lucas Cranach)やアルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer)といった芸術家たちによって様々な図案が編み出された。
その後、エクス・リブリスは、エッチングやリトグラフといった様々な手法で作られるようになり、その繊細な作りやデザインを評価して美術品としてそれを収集する者もいた。
本展も、そんなエクス・リブリスを美術品として収集した一人の政治家・文化人イヴァン・マッテオ・ロンバルドのコレクションから成り立っているのである。
2.エクス・リブリスの蒐集家イヴァン・マッテオ・ロンバルド( IVAN MATTEO LOMBARDO)とは?
次に本展で展示されるエクス・リブリスを収集したイヴァン・マッテオ・ロンバルド(Ivan Matteo Lomardo)について説明していこう。
1902年にミラノで生まれたイヴァン・マッテオ・ロンバルドは、少年の頃から執筆やジャーナリズムに関心を注ぎ、18歳の時には、イタリア社会党の機関紙『ラヴァンティ!』(L'Avanti)の編集長に就任した。
そんな早熟なロンバルドの興味関心を育てたのは、音楽出版社を営んでいた父であり、数千冊の蔵書があったその家庭であった。
またロンバルドは、建築家ジャンニ・マンテーロ( Gianni Mantero;1897-1985)やグラフィックアーティストのイタロ・ゼッティ(Italo Zetti;1913-1978)、画家アッティリオ・カヴァリーニ(Attilio Cavallini;1888-1946)らと交流していた。
第二次世界大戦中、ロンバルドは、ファシスト政権によって圧力をかけられていたイタリア社会党の再建のために奔走したほか、ナチス・ファシズムに対抗するためにレジスタンス活動にも積極的に参加した。
第二次世界大戦後には政治家として活躍したロンバルドは、重要な役職についたほか、本、原稿、印刷物、自筆証書、そしてエクス・リブリスを熱心に収集した。
ロンバルドが収集したエクス・リブリスは、16世紀末から1980年代にかけて作られた貴重であり、彼によってそのカタログも作られた。
またロンバルドは、自身のコレクションを購入した作品と若手のアーティストから受け取った作品、他の蒐集家との交換によって得た作品に分類していた。
生涯イタリアの文化と歴史を愛したロンバルドは、1980年にローマで亡くなったが、そのエクス・リブリスのコレクションの規模は、その時点で世界で3番目であったとされている。
3.雄弁な紙片、リバティ様式が可憐なエクス・リブリスたち
実際に作品を一つ一つ見ていく前にリバティについて簡単に説明する。
なおリバティ様式については、ミラノの建築物カーザ・ガリンベルティの記事でも触れているのでそちらも参照されたい。
リバティ(Liberty)とも呼ばれるアール・ヌーヴォー(Art Nouveau)は、19世紀末にヨーロッパで生まれ、20世紀初頭まで世界中に広まった芸術・建築の運動である。
その名は、家具、テキスタイル、装飾美術品を扱うロンドンのブティック リバティ&カンパニー(Liberty & Co.)がこのスタイルを積極的に用いたことに由来している。
アール・ヌーヴォーは、建築、デザイン、ファッション、グラフィックなど、さまざまな芸術も分野を横断する運動であり、自然や花、植物、動物の形に着想を得て、流動的でしなやかなラインをよく用いた。
特にアール・ヌーヴォーの芸術家たちは、女性を力強く、官能的に描いたのであった。
それでは一つ一つの作品を見ていくこととしよう。
こちらのエクス・リブリスの作者ウィリ・ムンク・ケ(Willi Munch-Khe;1885-1960)は、マイセンの製造所ローゼンタールで活躍したグラフィックアーティスト・陶芸家であった。
こちらは作者不明の作品。
この展示は特に会場が設けられているわけではなく、書架が並ぶ図書館の一室の壁にエクス・リブリスが額縁に入れられて展示されているというものである。
それゆえに綺麗に写真を撮るのはなかなか難しく、時々図書館の本棚が反射して写ってしまっているものもある。
こちらはウォルター・クレイン(Walter Crane;1845-1915)が手がけたエクス・リブリス。
ラファエル前派の影響を受け、アーツ・アンド・クラフツ運動(Arts and Crafts Movement)を牽引したウィリアム・モリス(1834-1896年)の弟子であるイギリスの画家クレインは、多くの装飾芸術や児童書の挿絵を手がけ、パリのオルセー美術館にもその作品が展示されている。
作者不明の作品。孔雀の羽と蜘蛛の巣がモチーフである。
こちらも作者不明の作品。
こちらはオーストリア・ウィーン美術アカデミーの会員としても活躍し、高い評価を得ていたグラフィックアーティスト・彫刻家アルフレッド・コスマン(Alfred Cossmann;1870-1951)の作品。
ドイツ生まれのアンドレ・ランバート(André Lambert ;1884-1967)は、画家や彫刻家として活動したほか、特に雑誌の挿絵画家として人気を博した。
ゴーギャンやロートレックとも親交を持った彼は、『Janus』という雑誌を刊行した人物でもあった。
イタリアの画家・陶芸家アントニオ・ルビーノ(Antonio Rubino;1880-1964)は、週刊コミック誌『コッリエーレ・デイ・ピッコリ』(Corriere dei piccoli)の創刊者の一人であった。
彼が製作した短編アニメーション『カエルの国で』(Nel paese dei ranocchi;1942)は、ヴェネツィア映画祭で賞を獲得した。
こちらは本展のメインビジュアルとなっている作品。
こちらのEx Librisを作成したフリッツ・モック(Fritz Mock;1867-1919)は、ドイツとスイスで活躍した画家である。
チェコ出身の画家オットー・トラギー(Otto Tragy;1866-1928)は、ミュンヘンやパリで学んだ後、アーティストとして活動し、アール・ヌーヴォーのトランプセットで一躍有名となった。
スペイン出身のアレクサンドル・ドゥ・リケー(Alexandre de Riquer;1856-1920)は、家具や陶器のデザイナーやイラストレーター、彫刻家として幅広く活動した。
1894年にはラファエル前派に参加し、ポスターや雑誌・書籍の挿絵、ポストカード、エクス・リブリスの製作に力を注いだ。
このドレスデンとパリで活動した画家・建築家のハンス・エッギマン(Hans Eggimann;1872-1929)が手がけたエクス・リブリスは、非常に人気があったとのことである。
少しヴァロットンの作風に似ている気もする。
こちらの作品を手がけたオットー・グライナー(Otto Greiner;1869-1916)は、ライプツィヒやミュンヘンで彫刻家や石版画家として活躍していた。
オーストリア帝国ザグレブ(現在のクロアチア)に生まれたフランツ・フォン・バイロス(Franz Von Bavros ;1866-1924)は、ウィーン美術アカデミーで学び、グラフィックアーティストや挿絵画家として活動した。
エロティックな作風を特徴とするバイロスであったが、猥褻罪でミュンヘン警察から告訴されたこともあった。
フランスのシュンドゥーズ出身のジャック・グリュベール(Jacques Gruber ;1870-1936)は、パリのギュスターヴ・モローに師事し、ガラス工芸家やグラフィックアーティストとして活躍した。
スペインのイラストレーター・画家のエウロヒオ・バレラ・イー・サルトリオ(Eulogio Varela y Sartorio;1868-1955)は、マドリード劇場とカジノの装飾を手がけたほか、雑誌『Blanco y Negro』にイラストを多数掲載し、マドリードの美術工芸学校でも教鞭をとった。
こちらのエクス・リブリスは、ミュシャの絵にかなり似ている。
ミュンヘン生まれのグラフィックアーティストのエミール・デープラー(Emil Doepler;1855-1922)は、ヴァイマル共和政で1919年から1929年まで用いられた公式紋章をデザインした人物として知られている。
また彼はエッセン市やボーフム市の紋章、製菓会社などの企業の広告物や看板も手がけた。
バルセロナ生まれのヨアキム・フィゲロラ(Joaquim Figuerola;1878-1946)は、エクス・リブリス専門のアーティストであり、カタルーニャのブックアート研究所(L'Institut Català de les Arts del Llibre; 1898-1939)と協力し、木版画についての論考を刊行した。
作者不明の作品、日本の少女漫画に通じるところもあり可愛らしい。
こちらも作者不明の作品。
以上、本展の展示作品を作者の簡単な説明とともに紹介した。
エクス・リブリス自体は、大きいものでも大人の手のひらサイズのものが多く、それらはもともと美術館などで展示される目的で作られたものではない。
それにもかかわらず、「これを集めたい」というコレクターの心をくすぐり、このような展示が実現してしまうのはなぜであろうか。
単なる持ち主を示す札に収まらないエクス・リブリス。
きっとその小さな紙片には、それを依頼した本の所有者の希望とエクス・リブリスの作者の関係性や、リバティ(アール・ヌーヴォー)が流行っていた世の中の雰囲気が反映されているに違いない。
エクス・リブリスには、女性や植物、そして神話の一場面のようなものが描かれていることが多いが、いずれも見る人に強くその存在を主張するような作品が多い。
またエクス・リブリスは、所有者のアイデンティティーを反映するものでもあるが、その所有者がどのようにしてその製作を依頼していたのか、そのやり取りも考察できるならば、きっとその一族の事情や当時の社会情勢も知ることができるであろう。
まさにエクス・リブリスは、実に多くのことを語りうる歴史的史料でもあるのだ。
Liberty per le Donne: Le Donne negli ex libris della collezione Ivan Matteo Lombardo
会場:Biblioteca Sormani
住所:Corso di Porta Vittoria, 6, 20122 Milano, Italy
開館時間:14:30-19:30(月曜)、9:00-19:30(火曜から金曜)、10:00-18:00(土曜)、日曜休館
会期:2023年3月1日から4月1日まで
入場無料
参考:
・"EX-LIBRIS", Giannetto AVANZI, Enciclopedia Italiana(1932), in: Treccani.
・" LIBERTY, stile", Pietro D'Achiardi - Enciclopedia Italiana (1934), in: Treccani.
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