私のイタリア語勉強法:語学学校に行く?独学する?おすすめテキストは?
1. はじめてのイタリア語、それはNHKのラジオ講座
1-1. NHK ラジオ講座の使い方
前々から一度、筆者がイタリア語を学習した方法をまとめておこうと思っていたため、今回のnoteでは、
・独学するにあたりはまず何から手をつけたかということ
・独学にオススメのテキスト
・語学学校や個人レッスンに対する考え
を中心に書いていきたい。
なお、特に語学学校のレッスンについては、個人的な意見・体験に基づくものであるため、あくまでも割引いて読んでいただければと思っている。
まず、筆者のnoteの「改めましての自己紹介」(2020年1月3日付記事)でも書いたように、大学入学時の筆者は、国語国文学や東洋史学を先行することを念頭に置いていたため、第二外国語に中国語を選択していた。
そのため、一番最初のイタリア語学習は、NHKのラジオ講座を毎日やるというものであった。
第二外国語としてイタリア語を選ぶことができる大学・学科は、フランス語やドイツ語、ロシア語など、他の西欧の言語と比べてとても少ないのであるが、もちろん第二外国語としてイタリア語を選んだ方が、将来イタリアに行くというプランがあるならば有利であろう。
また外国語教育に力を入れた大学であれば、イタリア語学科というものが存在する。
外語大のイタリア語学科の友人の話を聞くと、徹底した語学教育を大学で受けることができるため、大学卒業時には、イタリア語を活かした職業に就きたいという人にとっては、最初からイタリア語学科に入るのがベストかもしれない。
ところが筆者が在籍した京都大学文学部は、自由の気風のもと、学生たちは、24時間365日勉強することもできるし、24時間365日遊び続けることができる、つまり全ては自己責任という雰囲気であった。
この環境のために、逆に空いた時間で、授業で取っていないことの勉強を進めることができたのである。
話が少しそれたが、筆者は大学1年生(1回生)の時に毎日15分のNHKラジオ講座をやった。
毎月発売されるテキストは、このご時世に500円以下ととてもお手頃で、大学生協で買い求めることができる。
このラジオ講座には、入門編と応用編があるほか、テレビ講座もある。
テレビ講座の方は、学習のモチベーションを上げてくれるようなタレントさんが起用されており、日常会話で使えるイタリア語が学べる他、美しいイタリアの風景も視覚的に楽しむことができる。
とはいえ、まずはラジオ講座の入門編の方で、文法と発音をしっかりやることが重要だとも思っている。
その上、NHKで放送されたラジオ番組は、NHKのサイトで聴き逃した回にアクセスできるようになっている。
またラジオ番組というものは、毎日決まった時間に平日は放送されるため、否応無しにテキストを開き、イタリア語の時間というものを強制的に作らねばならなくなる。
従って独学で語学を学ぶ人にリズムを与えてくれるという意味で、安価である上でにとても有益であろう。
1-2. 大学で開講された集中講義と市販のテキスト
次にイタリア語のテキストについて書いていく。
こんな感じでゆるゆるとラジオ講座でイタリア語を半年以上続けた後、筆者は、大学2年生(2回生)の時にイタリア語の集中講座を履修した。
そこで使われていたテキストはこちら。
杉本裕之『基礎イタリア語講座』朝日出版社、2007年。
当時、大学生協で定価1900円(税抜)で購入したが、今は中古でこの価格のようである。
ページ数は、73ページととても語学の教科書にしては薄めであるが、名詞と冠詞から接続法まで、必要最小限のことは全てここに書いてあり、使いやすかった。
筆者が思う最良の語学学習法をここでさらっと言うが、それは、
きちんとしたテキストを自分の手で書き写し、ノートを作ること
である。
「そんなことはない、とりあえず文法を忘れて、フィーリングで言葉をつかめ。だってネイティブの赤ちゃんは...」
という声ももちろんあるが、ここでは基本的な文法を学ぶためのテキストを推奨していきたいと思う。
きちんとしたテキストと筆者が個人的に思うものは、大学など教育機関でその語学を教えている先生が監修しているものである。
出版社としては、NHK出版、白水社、三修社、大学書林のテキストが良いと個人的に思っている。
文法を一通り理解するには、これらの出版社から出されている「イタリア語 基礎 文法」などと書かれたテキストを選び、自分でノートを作り一冊やり切る方法が良い。
(大学書林はだいぶ日本語が固いので好き嫌いはあるかもしれない)
種類豊富なテキストをあれこれ揃えるよりは、必要最低限の基本の一冊を徹底的に使い込む。
そのために、最初にどのきちんとしたテキストを手に取るかが重要になのである。
1-3. おすすめイタリア語初級文法テキスト
本章の最後に実際に筆者が使ってみてよかったテキストを2点紹介したい。
浦一章『ゼロから始めるイタリア語 文法編』(三修社、2000年)。
こちらは、先ほど紹介した大学生協で購入したテキストに比べて分量があるため、一人でやり切るのが大変かもしれないが、1日何ページと自分で決めてやれる人にはおすすめである。
京藤好男『CDブック 基礎徹底マスター! イタリア語練習ドリル 』NHK出版、2009年。
こちらも基礎文法に特化しており、CD付きで練習問題をたくさん解けるのがよかった。
2.語学学校、それは向き不向きと運による
まず最初に断っておくが、この章で書く語学学校に対する考えは、著者個人の意見であり、全ての人に合うとは限らない。
結論から言って、語学学校の授業は筆者には合わなかった。
その理由と、逆に語学学校が合う場合を説明していきたい。
2-1. 夏休みに通ったフィレンツェの語学学校
筆者は、京都の大学に通っていた頃、夏休みを利用して1ヶ月、フィレンツェの語学学校に通うことにした。
京都のイタリア文化会館で手続きを仲介していただき、大手の語学学校での登録が完了した。
最初に振り分けられたクラスは、初級と中級の間くらい。
しかしながらこのクラスが動物園であった。
先生はとても熱心で優しい、が、クラスメイトたちは、遅刻や途中退席、授業中の飲食、スマホいじりは当たり前。
中には週に一回しか来ずに、先生に当てられたものの、答えられずに気まずさのあまり不貞腐れている生徒もいた。
クラスメイトとペアになって行う会話のレッスンも、相手にやる気がなく反応が薄いかちゃんと会話ができずに終わりということも多かった。
生徒の中には、バカンス中に語学学校に通っているという年配の女性がいたが、この女性だけが熱心に先生の授業を聞いていた。
最後の方にクラスを変えてもらうことができたが、3週間ほどは、そのクラスの授業の内容も身に入らず、イタリア語の勉強どころではなかった。
もちろん語学学校の先生は、きちんとした資格を持っている方ばかりで、本当によくしてくれたのだが、しっかり勉強したという実感は残らなかった。
このように不満ばかり書いたが、その時の筆者が自分の状況をきちんと伝えるだけの能力と根気を持っていなかったことも付け加えておく。
また1ヶ月という期間も短かかったこともあるし、夏休みという一番人が語学学校に集まる時期で、学校側の対応もままらなかったのかもしれない。
長々と書いたが、語学学校で語学が上達するかどうかは、クラスメイトによるということが大きいのではないかとも思う。
もちろん上のクラスに行けば行くほど、能力が高く熱心な人もいると思うが、こればかりは出席してみないと分からない。
また予算的に可能な人は、もう少し通う期間を長くして、語学学校の事務の人に掛け合い、自分の能力に見合った良いクラスに行けるようにしっかり相談するのが良いであろう。
2-2. 逆に語学学校で語学力が伸びるケース
「そんなことはない、とりあえず文法を忘れて、フィーリングで言葉をつかめ。だってネイティブの赤ちゃんは...」
ということを先ほどの文法のテキストの選び方のところで言ったかもしれないが、もう一度繰り返す。
それはある意味、語学学校は、「とりあえず話す。耳で語学を覚える。」タイプの人に向いていると思うからである。
筆者はその逆でまずは文法規則を頭で理解していないと、耳にすら入ってこない損なタイプである。
当然ながら、語学学校はイタリア語初めての初級コースでも全てイタリア語で進行する。
この状態で、「先生が全く何を言っているのか分からなくてストレスに感じる」タイプの人は、一応日本語が通じる先生に教わった方がいいと思っている。
逆に、「とりあえず先生が何言ってるか分からないけど、ボディランゲージや雰囲気で何となく分かる・分かろうとすることができる」タイプの人は、語学学校の授業が向いているのだと思う。
残念ながら筆者は、英語に触れたのも13歳の中学1年生からというゆとり世代であるが、小学校から義務教育で英語を学習する次の世代を取り巻く外国語学習環境は、これから変わっていくのであろう。
ただ、まずは文法と綴り、文字がきっちり頭に入らないとダメというタイプの人にとっては、外国語の言葉のシャワーは、ストレスフルでしかない。
「母国語じゃなくて、その学ぼうとする外国語で思考できるマインドを作らなきゃダメだよ」という意見も勿論ある。
しかしながら、自分が、ガチガチの文法から入らねばならないタイプかそれとも耳から入るタイプか、しっかり見極めた上で、自分に合った方法やクラス、テキストを選ぶのがいいと思っている。
(夏休みのフィレンツェ滞在中には、学校が終わってからのフィレンツェの街の散策がひたすら楽しみであった。写真はミケランジェロのピエタ)
3. プライベートレッスン、それは根気とお金
3-1. ミラノ滞在を機に始めたプライベートレッスン
こうして大学生の夏休みにフィレンツェで一時期イタリア語が嫌いになりかけた筆者であったが、卒業論文や修士論文でイタリア語の文献や論文を扱ううちに、辞書を使ってイタリア語を読むというスピードはどんどん上がっていった。
ただ読んでいるのは、論文であり、この形式の書き方にしか慣れていなかったため、語彙力にも偏りがある上に、聞く・話す力はあまり高くなかったと思っていただいて良い。
博士課程に入り、長期滞在を見据えて、きちんと就学ビザを取り、ミラノでの在外研究生活をスタートさせてから、否応無しにイタリア語に毎日触れなければいけなくなった。
滞在許可証の手続き、教授とのやり取り、大学生活、郵便物の受け取りなどなど生活に関わる全てのことを自分でこなしているうちに、少しずつ語彙は増えていった。
イタリアに来てからCILS(チルス;イタリア語能力検定)を受けようと決めたので、大学生活の合間にも行うことができるイタリア語のプライベートレッスンを受けることにした。
自分の先生は、他の語学学校でも教えつつ、プライベートレッスンを10回300ユーロで行っているというミラネーゼであった。
レッスンは1回1時間であったが、その先生はとても熱心に自分がランチを食べる時間を削ってまで、1.5時間は毎回やってくださっていたため、逆に申し訳ない気持ちでもいっぱいになるほどであった。
この先生のレッスンが自分にはベストであったと思っている。
というのも、試験を受けるという明確な目的が設定されていたのと、自分の能力に不足しているところ(Reading とWritingはわりとできるけど、ListeningとSpeakingができない)をきちんと把握していたため、それにあったレッスンを先生が毎回提示してくれたからである。
例えて言うならば、フィレンツェの語学学校に1ヶ月通っていた時には「とりあえず山に登る」というモチベーションであったのが、ミラノに住み始めてからのプライベートレッスンでは「富士山に登る」というモチベーションで学習を続けることができた。
つまり目標が具体化されたために、それを達成するまでに何をするべきであって、どういう対策が必要かということが自分でよく分かるようになったからである。
そのような意味で、確かに集団のレッスンより個人レッスンはお金がかかるかもしれないが、自分に合った先生と方法に出会うことができれば、飛躍的に自分の語学力は高めることができる。
また先ほどの章でも熱く述べたように、自分に足りない部分を把握していてかつそれを語学学校の集団の授業で補うことが可能であると考えている人は、プライベートレッスンより経済的な語学学校のレッスンを選べば良いであろう。
3-2. 語学交換アプリの功罪
また、今は様々な語学交換アプリがあり、お互いの言語を学びたいネイティヴの人とタダでチャットする環境を作ることができる。
確かに日常的に外国語に触れることになり、語彙力は上がるかもしれないが、その相手の方が語学学校の先生ではない限り、試験対策にはならないのではないであろうか。
ちょっと脱線するが、語学交換アプリであった残念な話を書いておこう。
筆者がまだ東京に住んでいる時、イタリア人学生の方と話してみたいと思い、語学交換アプリで「○○大学卒業」と書いてあるイタリア人の方を選んだ。
ところが、当日カフェに現れたのは、大学には行っておらず、東京のイタリアンレストランでバイトしているというイタリア人の青年だった。
その日は、楽しくセガフレードでお茶できたので良かったのだが、まさかウソの経歴が書いてあるとは思わず、イタリアの大学のシステムや試験のことなど、留学前に聞きたかったことを何一つ聞くことができなかった。
その青年の名誉のために付け加えておくと「今日は楽しく話ができたから良かった!イタリア生活頑張ってね!」と最後まで感じがよく紳士的な振る舞いであったため、とても憎む気にはなれなかったのであった。
話を戻すと、日本語を母国語とする私たちが日本語検定を受けたい外国の方に、日本語検定試験の情報や対策を教えられるかということを考えてみたら良いであろう。
それゆえに筆者は、もし自分の時間を使ってプライベートレッスンを行うならば、語学交換アプリでタダでチャットするのではなく、費用は惜しまずに、イタリア語を教えるプロである語学学校の先生に習うのが一番であると思っている。
ただ一通りイタリア語を学習し終えて、とりあえず常にイタリア語を話す・使う機会を作りたい人や、イタリア人の趣味の合う人を探したい人にとっては、語学交換アプリはちょうど良いツールであろう。
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以上、長々と語学学習に対する思いや考えを書いたが、
・方法は自分に合ったものを
・結局は自分で勉強する時間が必要
の2点に尽きるであろう。
たとえどんないいレッスンを取っても、またいいテキストを買っても、その時間以外は、忘れる・やらないというスタンスでは、なかなか力はつかない。
苦労は買ってでもしろという考えには同意しかねないゆとり世代の筆者であるが、学習についてはこの考えに同意する。
机に向かい、何度も辞書を引いて、考えて読んだ・書いた外国語は、しっかり自分の身になる。
基盤を作ることができれば、イタリア語の歌を聞いてクスッと笑ったり、映画を見て膝を打ったりなどなど、イタリア語の世界を楽しめるようになるのではないかと思っている。
(フィレンツェのシニョリーア広場より。そういえば、語学学校に通っていた時以来、フィレンツェには乗り換え以外で訪れていない。また行きたい街である)
文責・写真:増永菜生(@nao_masunaga)
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