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『スカラ座の夜』:改めましての自己紹介

0. はじめに

2020年1月、今回のnoteは、改めましての自己紹介です。

というのも2019年大晦日、ついにnoteのフォロワーが1万人を越え、色々な方に読んでいただいていることにびっくり、自己紹介と今後のnoteの方向性を綴りたいと思ったからです。

いつもは、一人称は「筆者」で、イタリアや日本のカフェ、美術館、お店などなどを淡々と紹介する文調で書いていますが、今回のnoteでは、一人称は「私」、「です・ます」調で書いていきます。

1. 自己紹介:京都から東京、東京からミラノへ

そもそも私、増永菜生の本業は、研究職です。

専攻は、ルネサンス期(15世紀)のイタリアの政治文化史。

今は、ミラノ大学の博士号取得し、世界のどこかの大学で働くことを目的としてミラノに滞在しています。

なぜ私がミラノに来ることになったのか、京都時代から書いていきます。


(1)京都にいた頃(2009年春から2015年春まで)

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(元気ハツラツなリトルナオ(私))

福井県で生まれ育った私は、2009年春に京都大学文学部に進学し、京都での生活をスタートしました。

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(2009年4月、大学入学時の私)

当初、父親の影響もあり、日本史か国文学か東洋史を専攻しようと思っていたので、中国語を第二外国語として選択し、2年間履修。

京都といえば、これらの専攻を勉強するのに一番の環境だと思っていたのですが、マキェヴェッリの『君主論』と惣領冬実作・原基晶監修『チェーザレ:破壊の創造者』などルネサンス期イタリア関連の本や漫画を読むうちに心は次第にイタリアに傾き...

一番最初に手をつけたイタリア語学習は、NHKのラジオ講座でした。

イタリア語を独学しつつ、大学では、イタリア語集中コースやイタリア文学の授業を受けました(当時、京大文学部ではイタリア史学の授業がなかった)。

京都大学文学部は、必修単位さえ取得すれば、あとは自由に時間割を組むことができたので、学部時代は日本史や東洋史、ラテン語、ギリシア語講読など色々な授業に出席していました。

学部の3回生になると、西洋史学の研究室に入ることを希望し、以降、修士課程2年が修了するまで4年間こちらのゼミに参加しました。

高校生の頃から研究職を希望していたので、ほぼ迷うことなく博士課程進学を希望しており、このタイミングで「東京行こう!」と東京の大学に願書を出願。

こうして今の所属先である一橋大学大学院社会学研究科の博士後期課程に進学することになり、6年間住んだ京都の街をあとにしました。

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(2015年3月、大学院の卒業式にて、つまみ細工の髪飾りがお気に入り)


(2)東京にいた頃(2015年春から2017年秋まで)

2015年4月から2017年9月までは、一橋大学に通いつつ、都内の他大学のゼミや研究会、学会に参加する日々でした。

この頃、三鷹・吉祥寺を起点として、国立、本郷、たまに高田馬場に行くくらいだったので、私の東京ライフというよりは、吉祥寺ライフといった方がしっくりくるかもしれません。

2016年秋、日本学術振興会から特別研究員(DC2)採用の知らせを受け取りました。

先立つ物はお金ということで、ようやく海外留学の資金調達のめどが立ったわけです。

こうしてビザなどの準備をし、2017年秋、2年半住んだ東京(吉祥寺)をあとにしました。

一橋大学にはまだ籍を置いており、帰国時には教授との面談で、研究の方向性や進捗、展望などを話しています。



(3)ミラノに至る(2017年秋から)

2017年秋、ミラノでの生活がスタートしました。

ミラノ大学では、単科留学(Corso Singolo)、つまりVisiting Stundentとしての身分で登録しました。

ゼロからのスタートだったので、生活に慣れるのに3ヶ月ほどかかったのを記憶していますが、徐々に自分のペースを掴んでいきました。

2017年秋当初は、Twitterにぽちぽちと生活の細々したことを書くくらい、2018年春になると、Instagramに美術館やカフェなどのことを書き始めました。

「note書こう」と本格的に始めたのは、2019年の2月。

次の章では、noteを始めた2つの理由について書いていきたいと思います。

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(2018年1月の私、この3時間後に財布盗まれる)


2. noteを始めた2つの理由

(1)写真と文章の整理をしたかったから

とても唐突な話ですが、私は2016年6月よりiPhone SE(16GB)を使用しています。

ストレージ容量が小さい16GBということは、当然のことながら、こまめに使わないアプリや写真を消さないと、次の写真が撮れなくなってしまう状況です。

Cloudにあげるにしても、せっかくならば見やすくあげたいということで、Instagramとnoteを使おうと思ったわけです。

またただ写真をあげるだけならば、「映え」や「いいね」のためにしかならないけど、情報をまとめキャプションをつけると、誰かの参考になるかなと文章も書き始めました。

noteを始める前のInstagramでは、写真に長いキャプションをつけることが多かったのですが、Instagramは、ぱっと見可愛い写真が「いいね」される場であって、誰もキャプションを読まないなと、noteの方に文章を書くということで方向性が定まりました。

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(2018年4月の私。この頃、インスタに文章書き始めていた)


(2)研究以外で「書く」という仕事をしたかったから

このもう一つの理由は、もっと切実でシビアなものです。

というのも、2018年夏から秋にかけて、私は、学振(DC2)の次の資金源として給付型奨学金に次々と願書を出していました。

なかなか採用されず、辛い日々。

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(2018年10月の私。史料調査で来た街で泊まった民宿より、ちょうどこの日も奨学金の不採用を告げるメールを受け取っていた)


最終的に2019年2月に大本命の財団から採用通知を受け取るのですが、この採用期間も最長2年。

そう、博士課程の院生とは、先の見えない派遣社員のようなもので、いつどこで糸が切れるか分からない人生なのです。

これは博士号を取ってからも同じような状況であり、いつになったら金銭的に安定するか分からない不安が常に付きまとっています。

それならば研究職以外にも仕事をやった方がいいなと実感し、「書く仕事」をしたかったので、実名でnoteのアカウントを作り、自分の行った美術館やカフェについて書いていくことにしました。


3. 今後のnoteの方向性

色々ラッキーが重なり、noteでは面白いねと反応をくれる方もいらっしゃり、嬉しいなとしみじみしています。

このnoteの他にも、個人のSNS以外で書いている媒体が現在1つあります。

academist(アカデミスト):研究者の支援に特化したクラウドファンディングサイト。私は、月額型クラウドファンディングの方に登録しており、2020年12月まで続ける予定です。書いている内容は、より研究内容に特化した専門的なものです。

このnoteでは、ミラノを中心とするイタリアと日本のカフェや美術館の情報をまとめていますが、場合によっては美術館の情報を書くことができない時期も出てくるかもしれません。

というのも美術館の展示のまとめを書く時には、その展示や作品の背景を調べるために、関連サイトや図録を翻訳しながら読むので、とても時間がかかるからです。

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(ミラノで一番好きな美術館Fondazione Prada)

もちろん書きながら自分でも勉強になるのでとても好きな作業なのですが、あくまでも私の向こう3年の本業は、博士論文を書くことなので、その時間を削ってまで今やるべきことではないなと思っています。

とはいえ、イタリアでも日本でも魅力的な展覧会があるのは事実です。

自分の状況に合わせつつ、興味のある展示などには足を運びたいと思います。

またカフェの方は、実際に私が足を運び撮影してきたところばかりを紹介しています。

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(ミラノのお気に入りバール マルケージ本店)

特にイタリアのカフェ・バールは、日本に比べてリーズナブルに楽しめるので、ちょいちょい息抜きに出かけています。

ミラノでも日本でも、友人との食事の日以外は自炊メインのため、滞在3年目ですが、なかなかミラノの美味しいとっておきのレストランの食べ歩きというのはできていません。

そのために、大学の帰りにでも行けるカフェやバール、ジェラート屋さんのnoteの比率が高くなりがちです。

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最後になりましたが、私は留学先に選んだミラノという街がとても好きで、ドゥオーモからガレリアへ、そしてスカラ座へと抜ける道を歩きつつ、留学することができてよかったなと幸せをかみしめています。

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そこで10年来好きなバンドのQueenのアルバム『オペラ座の夜』とミラノの街をかけまして、『スカラ座の夜』というタイトルをnoteにつけることにしました。

こんな感じでnoteを書いていきたいと思っていますので、今後とも宜しくお願いします。

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(2019年クリスマスのヴェローナでの私)

2020年1月3日

増永菜生

Instagram:@nao_masunaga

Twitter:@Nao_Masunaga

※お問い合わせはこれらのSNSにDMを頂ければ幸いです。


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