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シャガール美術館(Museé national Marc Chagall):ニースの宝石箱、シャガールの美術館

南仏の都市ニースには、主にフランスで活躍した20世紀の画家マルク・シャガール(Marc Chagall; 1887-1985)の美術館がある。

この美術館は、シャガールの86歳の誕生日、1973年7月7日に開館した。

1887年、帝政ロシア領ヴィテプスク(現:ベラルーシ)のユダヤ人家庭に生まれたシャガール。

ユダヤ系リトアニア人のシャガールの生没年を見ても分かる通り、シャガールはかなり長命であったとともに、20世紀のユダヤ人の歴史を経験した芸術家であることが分かる。

ここでは、シャガールの生涯を簡単に説明した後、ニースのシャガール美術館に所蔵される作品を紹介していきたい。

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1. マルク・シャガール(Marc Chagall)

1-1. 故郷ヴィテプスクでの生活(1887-1911年)

1887年7月7日、帝政ロシア領のヴィテプスクにて、シャガールは、9人兄弟の長男として慎ましいユダヤ家庭に生まれた。

1880年代当時のヴィテプスクの人口は、約6万6000人、そのうちの半分はユダヤ人であった。

シャガールの家庭は貧しかったが、少年時代のシャガールは、絵の勉強をしたいという気持ちを強く持っていた。

1907年より、シャガールは、ロシア帝国の首都であったサンクトペテルブルクに移り、様々な美術学校に通う。

この頃、後に結婚するベラと出会っている。


1-2. パリの芸術家たちとの交流(1911-1914年)

1911年になるとシャガールはパリに移り、画家モディリアニ(Amedeo Modigliani; 1884-1920)、画家キスリング(Moïse Kisling; 1891-1953)、詩人マックス・ジャコブ(Max Jacob; 1876-1944)などといった芸術家たちと交流を深めた。

当時のパリは、キュビズム(cubisme; 20世紀初めにフランスを中心に興った美術運動。対象を複数の角度から幾何学的に分解し、再構成する技法を生み出した)がトレンドであったため、シンプルで詩的なシャガールの作品はなかなか受け入れられなかった。

そのため、シャガールは、異国の地パリで苦しい生活を送っていたが、少しずつ理解者などを得て、1914年にベルリンで開いた個展では大成功を収めた。


1-3. ヴィテプスクへの帰郷、ベラとの結婚(1914-1922年)

その後、故郷ヴィテプスクに帰郷したシャガールは、翌1915年には恋人ベラと結婚した。

1917年、ヴィテプスク美術学校長など名誉あるポストに任命されたシャガールであったが、周囲の人間との関係に悩み孤立することになる。

以降1922年まで、シャガールは、モスクワやサンクトペテルブルクなどで、劇場装飾など様々な創作活動を行った。


1-4. 再びパリへ、ナチス占領下のパリ、ユダヤ人の受難

1923年、シャガールはパリに移ったが、それはユダヤ人としての辛い生活の始まりでもあった。

シャガールは、フランス国内外での旅行を楽しみつつ、『聖書』のための銅版画制作を依頼を受けて手がけていたが、1935年、ナチスより《退廃芸術家》に分類されてしまう。

1937年にシャガールはフランス国籍を獲得するも、ナチス占領下のフランス国内でユダヤ人に対する弾圧が日に日に強くなるのを目の当たりにし、ついにヨーロッパを去る決断をする。


1-5. アメリカでの亡命生活(1941-1947年)

1941年、シャガールは亡命先のニューヨークにて、フェルナン・レジェ(Fernand Léger; 1881-1955)、アンドレ=エメ=ルネ・マッソン(André-Aimé-René Masson; 1896-1987)、ジャック・マリタン(Jacques Maritain; 1882-1973)、ピエト・モンドリアン(Piet Mondrian; 1872-1944)などの亡命芸術家たちと再会し、交流した。

またシャガールは、『アレコ』(チャイコフスキー)や『火の鳥』(ストランビンスキー)といったバレエの舞台装飾も担当し、成功を収めたことにより、彼の名前は知られるようになっていった。

ところが1944年、最愛の妻ベラがウイルスに感染し急死。

また、シャガールは、報道によって当時のヨーロッパでのユダヤ人の虐殺を知った。

最愛の妻の死と同胞たちの悲惨な運命は、シャガールの創作に大きな影響を与えることとなった。

深い悲しみに包まれていたシャガールであったが、1945年、ニューヨーク近代美術館にて回顧展を開催するなど、芸術家としての名声を着実に得ていった。

またこの頃、新しい恋人ヴァージニア・ハガードと出会い、男児も生まれている。


1-6. そして再びフランスへ(1948-1985年)

第二次世界大戦終了後、シャガールは、パリに戻る決意をした。

最初はパリに住んでいたが、1950年以降はヴァンヌに移り住んだ。

1952年、ヴァランティーヌ・ブロツキーという女性と再婚したシャガールは、ヨーロッパ各国を旅し、展覧会を開催していった。

また『聖書のメッセージ』の作品群にもこの頃着手している。

1958年、パリ・オペラ座の『ダフニスとクロエ』の舞台装飾と衣装を担当したシャガールは、以降、ステンドグラス、大型絵画、モザイク、タペストリーといった大型制作の注文を引き受けていた。

その中で最も有名なものは、パリ・オペラ座の天井画である。

当初、ユダヤ人であるシャガールが、フランスを代表する建築物の天井画を担当したことは議論の的となったが、一般公開された天井画は、高い評価を得た。


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1973年、シャガールがフランス国家に寄贈した『聖書のメッセージ』作品群を所蔵したシャガール美術館が、ここ、ニースに落成する。

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この美術館には、当時のフランスの文化大臣であったアンドレ・マルローの協力のもと、シャガールの絵画、デッサン、リトグラフ、ステンドグラスなどが集められた。

建設当時、このシャガール美術館は、フランスでは唯一、存命の芸術家に献じられた美術館であり、開館後も、シャガール本人によって数々の作品が寄贈され続けた。

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美術館の建築を担当したのは、建築家アンドレ・エルマン。

また美術館の敷地内には地中海樹木が植えられ、のどかな庭園もこの美術館の魅力の一つとなっている。

祖国ヴィテプスク、パリ、ニューヨークの三つの世界を行き来し、愛に忠実に生きたシャガールは、1985年3月28日、フランスのサンポール・ド・ヴァンスにて亡くなった。

自らマイノリティとして、ユダヤ人としてのアイデンティティーを大事にし、辛い運命を辿った同胞たちに対する憐憫の情を忘れることがなかったシャガールは、どのような作品を生み出していたのであろうか。

以下、美術館で撮影した写真をもとに作品を紹介していきたい。




2. 『聖書のメッセージ』より創世記と出エジプト記

『聖書のメッセージ』作品群は、シャガール本人の希望によって、シャガール美術館において常設展示されている。

第二次世界大戦中、ユダヤ人の虐殺とイディッシュ文化の崩壊にひどく心を痛めたシャガールは、1950年代初頭から創世記と出エジプト記を主題とした大型絵画の作品群『聖書のメッセージ』の製作に取り掛かった。

最終的にこれらの作品は、1966年、フランス国家にシャガールの意図によって寄贈されたのであった。

『聖書のメッセージ』の作品群は、2つのパートに分けられる。

まず一つ目は、一番大きな部屋に展示される創世記と出エジプト記を描いた12点のタブロー。

そしてもう一つは、六角形の部屋に展示されるソロモン雅歌に着想を得た5点のタブローである。

ここでは、まず創世記と出エジプト記を描いたタブローについて説明するとしよう。



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『人類の創造』(The Creation of Man; 1956-58; 299×200.5cm)。

この『人類の創造』は、『聖書のメッセージ』の作品群で一番最初に完成した作品であった。

当初、祭壇のタブローとして製作されたものであった。

作品の下部の「地」では、打ち捨てられたアダムを抱く天使と人類以前に作られた動物たちが描かれる。

上部の「天」では、回転する太陽の歯車の中にユダヤ人の歴史的挿話が描かれている。



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『楽園』(Paradise;1961;198×288cm)。

左にはエヴァの創造、右には、誘惑が描かれている。

楽園は、深い緑と青によって表現されており、その楽園の中で、アダムとイブは禁断の果実、りんごを手にとって見つめている。



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『楽園を追放されるアダムとエヴァ』(Adam and Eve expelled from Paradise; 1961;190.5×283.5cm)。

このカンバスの中には、ヤギの頭持つ鳥や羽を持った魚が描かれるなど事件によって混乱した楽園が表現されている。

また右上には、製作中のシャガール自身の姿も描かれている。


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『ノアの方舟』(Noah's Ark; 1961-66年;236×234cm)。

ノアの方舟は、次のように説明することができるであろう:

「神が人類の堕落を怒って起こした大洪水に際し、神の指示に従ってノアは箱型の大船を作り、家族と雌雄一対の全ての動物を引き連れて乗り込み、そのために人類や生物は絶滅しなかった。

しかしながら方舟を作っているノアを嘲笑った人々は水に沈んだ。」

(参考:デジタル大辞泉、小学館)

方舟をモチーフとした絵では、船に乗ったノアや動物たちと沈む人間たちという対比が描かれる場合が多いとされるが、シャガールの方舟では、群衆が方舟に乗せられている。

これは聖書の解釈とは全く異なることであるが、シャガールは、この群衆にユダヤ人を投影し、絵の中では彼らを救いたかったのかもしれない。



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『イサクの犠牲』(The Sacrifice of Isaac; 1960-66;230×235cm)。

アブラハムが息子を犠牲にしようとしていた時、天使が制止したという場面を描いた絵。

左上の天は鮮やかな青緑、右上・右下は炎の色といった対比がなされている。

右上の人々や横たわるイサクは、まさにホロコーストの炎に照らされているようであり、ユダヤ人のつらい運命を暗示しているようでもある。



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『青の薔薇』(La Rose Bleue;1964)。

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大きな展示室を出ると、美しい青のステンドグラスが目に入ってくる。

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シャガールの名前入りのこちらの作品。

美しい青の薔薇についつい魅入ってしまう。




3. ソロモンの雅歌、妻ヴァヴァに捧げる

創世記をモチーフにした大きな展示室を抜けると、六角形の展示室に行き着く。

こちらではソロモンの雅歌をモチーフにした作品が展示されている。

ソロモンの雅歌は、ソロモン王(イスラエル王国第3代の王、在位前960年頃〜前922年頃)が書いたとされている。

その内容は、イスラエル国王ダビデ(在位前1000年頃〜前960年頃)とバテシバの男女の愛を唄った性的意味合いを持つものであったが、雅歌は、旧約聖書におさめられた。

ヒッタイト人ウリヤの妻バテシバは、水浴中にダビデ王に見初められ、関係を迫られる。

人妻バテシバを自分のものにするために、ダビデ王は、バテシバの夫ウリヤを戦地に送り殺害する。

シャガールが描く雅歌は、暴力による血と情熱ほとばしる官能を体現したかのような赤とピンクがふんだんに用いられている。

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「ヴァヴァへ、私の妻、私の喜び、私の歓喜;マルク・シャガール」

(A Vava, ma femme, ma joie et mon allégresse; Marc Chagall)

このメッセージは、シャガールの2番目の妻ヴァランティーヌ・ブロツキーにこのようなメッセージを残している。

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シャガールを若い頃から支えた最初の妻ベラの死による喪失感を癒し、シャガールがなくなるまで彼に寄り添ったのがこのヴァランティーヌであった。


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『ソロモンの雅歌 I』(Le Cantique des Cantiques I;1960;146.5×171.5cm)。


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『ソロモンの雅歌II』(Le Cantique des Cantiques II;1957;139×164cm)。

中心には、しなやかに横たわる裸体の女性と彼女を見つめる恋人(シャガール自身?)、右端には翼の生えたダビデ王が描かれている。



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『ソロモンの雅歌III』(Le Cantique des Cantiques III;1960;149×210cm)。

この絵の中に、シャガールの人生が描き込まれていると言える。

絵の下半分において、水面に映ったように逆さに描かれている街は、シャガールの故郷ヴィテプスク。

ここではシャガールの戦前の生活が投影されており、戦中に亡くなったシャガールの最初の妻ベラが下の方で横たわっている。

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その一方で、絵の上半分には、シャガールが戦後に移り住んだヴァンスの大聖堂と花嫁姿の2番目の妻ヴァヴァが描かれている。

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妻を亡くした悲しみと妻を迎える喜び、生と死といった2つの相反する概念が混在する絵である。



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『ソロモンの雅歌V』(Le Cantique des Cantiques V;1965-55;150×266cm)。

この作品にも2つの街が描かれている。

右側にはシャガールの故郷ヴィテプスク、左側にはエルサレム。

左端には、ダビデ王の玉座がある。
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見事なタッチで彩られた花は、未来の繁栄を暗示しているようである。




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『預言者エレミヤ』(Le Prophète Jérémie; 1968)。




4. ステンドグラス、人類の創造

美術館を出ると、シャガールの希望で作られたコンサートホールに行き着く。

ここには、シャガールが製作したステンドグラス『人類の創造』が設置されている。

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このステンドグラスには、天地創造の七日間が描かれ、右のステンドグラス「最初の四日間」からストーリは始まる。

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筆者がシャガール美術館を訪れた2019年10月は、一部工事中のエリアもあり、写真に収めることができたのはここまでである。

その他、特別展などが開催された時には、普段公開されていないシャガール美術館の所蔵作品が展示されることもあるとのことである。

庭園と併設カフェ。

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以上  、シャガールの生涯と本美術館に所蔵される作品を紹介した。

今回は、シャガールの作品の中でも特に宗教的意味合いが強い作品を中心に扱った。

シャガールのユダヤ人としてのアインデンティティーと、20世紀のユダヤ人の歴史というものは、シャガールの作品を読み解く上で、重要な鍵となっているのである。

悲惨な運命を辿ったユダヤ人たちへの救いの手、そして揺るぎない愛への信仰。

これらは、亡命生活を送った芸術家シャガールの作品に色濃く現れているものなのである。





参考:

・『マルク・シャガール国立美術館ニース:見学ガイド(日本語版)』パリ、2011年(ISBN: 978-2-85495-478-4)。

「マルク・シャガール / Marc Chagall:ロシア系ユダヤ人の土着文化と前衛芸術の融合」『Artpedia』(2017年11月22日付記事)



シャガール美術館(Museé national Marc Chagall)

住所:Avenue Dr Ménard, 06000, Nice, France

開館時間:10:00-18:00(5月から10月まで)、10:00-17:00(11月から4月まで)

(火曜休館、他1月1日、5月1日、12月25日は休館)

入場料:8ユーロ(一般)、6ユーロ(割引料金)、6.5ユーロ(団体料金)

※特別展がある場合、プラス2ユーロ。

※26歳以下のEU圏内の国籍を持つ者あるいはEU圏内のビザを持つ者は無料。

※身体が不自由な方は無料。

※プラス2ユーロでフランス語、英語、イタリア語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語、中国語、日本語のオーディオガイドあり(パスポートあるいはIDカード必須)。

公式ホームページ:musee-chagall.fr


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