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23歳で仕事を辞めて、自分を整える時間を作りました。

2020年7月20日、私は1年と4ヶ月間お世話になった職場を退職した。そこそこの安定した大企業で、仕事は辛いが、給与の安定と社会的地位が保障されており、倒産の心配も無く、今のご時世では恵まれている会社だった。
退職したい旨を上司に伝えた時、23歳という若さで仕事を辞めることの社会的な痛手と、安定した大会社に属しているという、社会的地位の喪失について、滔々と話を聞かされた。しかし、それらの言葉は確かにある世界線では正しいと思ったが、自分の気持ちは揺らがなかった。

職場にいると、まるで深海にいるような気持ちになった。朝、始業のチャイムが鳴ってから、深く深く底へと潜る。残り少ない酸素ボンベを頼りに、いつ酸素が無くなるか分からない状況に常に怯えていた。思考もままならず、理性の手綱を自分でコントロールできなくなっていった。
一日中手が震え、仕事が全く手につかない日もあった。何が大きなストレスかというと、人と関わることや、みんなが自己保身で精一杯の場所にいることに、心底疲れ果てていた。やっと家へと辿り着いても一睡もできない日もあった。今思うと、心身の限界を迎えていたんだと思う。

思えば、入社する前からこうなることは予測できていた。
私は人間関係が本当に苦手で、学校や会社特有の「世渡り」が本当に下手だ。また、幼少期から不安定な世界で生きていたので、自覚していたがこころもぼろぼろになっていた。そういった諸々が、社会の中で生きていくのに致命的な壁になることは、薄々分かってはいた。
それでも、当時の私は「普通」というレールの上で、自分を誤魔化しながら生きていくことを切実に選んだ。それは家族のため、当時の恋人のため、そして何より、社会から自分を守るための選択だったのだと思う。

でも、誤魔化しながら必死に働いても、みんなとは見えているものが根本的に違っていた。
どうしても自分は社会にとって異分子で、同じ会社にいる「立派な社会人」を見ていると、全く別の人種に見えてしまう。自分だけ留学生のような気分になる。どう足掻いても、同じ人間には見えなかった。世界の見方が違うのだ。

そして今、まだ退職して日は浅いが、昔より自分を少し、客観的に見つめられていると思う。先が見えない闇の中ではあるが、ほんの少し、この先を見ている。
私は人の話を聞く力がどうやら人よりあるようだ。そして、他者の深い気持ちを知りたいという思いを昔から不思議と持っている。それを何かしら仕事に活かせれば、幸せに繋がるのでは、という曖昧な気持ちだけが今、ある。

なにより、昔より、少しだけワクワクしている。

これからの人生、もしかしたら死にたくなるくらい、この選択を後悔してしまうかもしれない。
でも、もっと健全に、豊かに生きれますようにと、覚悟を決めたあの日の自分を、私は尊重したい。今はこの選択を間違っていなかったと、胸を張って生きていたい。
目の前は真っ暗だけれど、今はこの暗ささえも、不思議と怖くないと思える。

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