見出し画像

母は娘に過去の自分を重ねる

母とは、わたし。娘は、わたしの娘のことだ。

わたし達は似ている。顔もそうだけれど、中身も。息子は夫似なので、うまいこと分かれるものだなあと感心してしまう。

だからだろう。娘の考えることが手に取るようにわかることもあれば、わたしの人生をなぞるような娘の言動に危うさを覚えることもある。

例えばわたしは、小さな頃から人付き合いが得意ではなかった。といっても、まったくできないとか友達が一人もいないとか、そういうレベルではない。ではないが、得意じゃない。そういうタイプだった。

娘を見ていると、そのあたりも似ているようだ。仲の良い友達はいるけれど、かといってさほど社交的ではない。声をかけてもらえれば応えるけれど、自分からはなかなか動けない。

危惧していた通り、小学生になってからの娘は、あまり友達作りがはかどっていないようだ。少なくとも、わたしの目にはそう見える。それでも娘は「べつにいい」と言って、実際いつも楽しそうに登校していく。

わたし自身、大勢で群れるのが好きな方ではなく、誰かから誘われなければひっそりとお絵かきしているような子だった。その一方でクラスの中心的な子を羨んだり、友達の多い子に憧れたりしたこともある。

娘はどうだろうか。本心から「ひとりが好き」と言っているのか、強がっているのか、そこまではさすがにわからない。かつてのわたしと同じように、同時に2つの感情がないまぜになっているのかもしれない。

この性格が原因で、苦労したこともあった。だからできることなら、娘には同じ思いをさせたくないなあと思ってしまう。どうしても。

でも娘の真意は娘にしか知り得ないものだし、そもそも親であるわたしが先回りしてあれやこれやと口出すことが、本当に娘のためになるのかと言われれば、それはわからない。

同性で似てしまったが故の葛藤なのか、なんなのか。うまいやり方はいまだみつからないけれど、もしも娘が何かしらしんどい思いを抱えたときに、聞き役になってあげられるくらいの存在ではいたいなあと願っている。

ほんと、育児って難しいね。

#エッセイ #コラム #日記 #私のこと #育児 #子育て


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?