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そろそろ、心地よく生きよう

昔から、自分の心地よさというものをどこか置き去りにしてしまうところがあった。

つい、「わたしが我慢すれば」とか「もうちょっと時間が経てば状況が良くなるかも」とか思ってしまうタチで。「つらい、しんどい、もう嫌」といっぺん口に出せば、もう後戻りはできないような気が常にしていて、だからギリギリのギリギリまで、悪口は言わずに耐え忍ぶ。そんなタチで。

それは、自分自身に数えるほどしかない長所の一つだと思っていたし、それでこそわたしは、みなさんに多少なりの価値を与えることができるのだと思っていた。わたしには差し上げられるような良きものは何もなく、だからこそせめて、我慢や根性でお役に立ちましょうと。

実際には、そこまでの自己犠牲精神があるわけでもないのに、それでもどこかでそう考えていた。ほしいものを「ほしい」と言うこと、嫌なことを「嫌だ」と言うこと、それはわたしにとって、過ぎた願いのような気がしていたんだ。どこかで。

でももう、そろそろいいんじゃないか。自分にとっての心地よさを求めても。我慢も耐え忍ぶ美徳も根性論も、全て捨てることはないだろう。ないだろうけれど、ちょっとは手放したって、いいんじゃないか、と。

たぶんだけど、わたしはもともと、もっと自由気ままに生きていたい人間だったのではないかなと思う。会社を辞めて好きな仕事をするためにフリーになって、これまでとは生き方をガラリと変えてみて、そんな風に思えるようになった。縛られるのを嫌い、興味の赴くままに行動したい。そんな、ちょっぴり身勝手なところがある。ここ数年で、強くそう感じるようになった。

わたしはわたしを、勘違いしていたのかもしれない。我慢するのも空気を読んで耐えるのも、その場を和ませるために無理して笑うのも、全部得意だと思っていたし、それこそがわたしの役割だと信じていた。けれど、実はそんなの全然得意じゃないし、やりたくもなかったのかもしれないなあ。

そろそろ、「心地よい」を追求したってきっと、罰は当たらないはずだ。うん、もっと楽しく生きよう。せっかく、人生楽しくなってきたんだから。

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