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余計なものを、捨てていく

いつからだったのか、それとも生まれ持った性質だったのか、それはもはやわからない。けれどとにかく数年前までのわたしは、なんだかいろいろなものにがんじがらめに縛られて、とてもとても生きにくかった。

最後に勤めた会社を辞めて、なんやかんやでフリーになって、なんとかそのままやってこれて今に至る。フリーとして活動をして2年が経過し、今は3年目になったわけだけれど、その間にわたしはどんどん余計なものを捨ててきたなあ、と感じる。

空気を読んだり、我慢をしたり、恥ずかしがったり、怖がったり。言葉にできるものもできないものもいろいろとあるけれど、これらはこの2年をかけて、少しずつわたしの中から剥がれ落ち、どこかへ消えていった。

まあ、もちろん、すべてが綺麗さっぱりなくなった――というわけではない。基本的にわたしは“そういう人間”なので、根本的なところは変わらないだろう。それでも、「捨てたっていいんだ」「それでもわたしは受け入れてもらえるんだ」という意識がわたしの中に根付いたことで、だいぶ生きることがラクになったし、楽しくなったように思う。

たぶん、この2年間は、今までにないコトの連続だったからだろう。これまでの人生では出会うことのなかった人、体験、言葉。そういうものに、たくさん触れてきた。価値観が変化し、これまで周りにいた人たちに対して「ちょっと違うな?」と感じるようになることを、「レイヤーが変わる」なんて表現することがあるらしいけれど、(それが良いとか悪いとか、どちらが優れているとかではなく)そういう印象を抱いたことも確かにあった。レイヤーが変わったというよりは、自分の中にいくつかのレイヤーが増えて、話す人によってそこを行き来できるようになったような感覚がある。多少、だけども。

余計なものを捨ててスッキリしたところで、そろそろ新しい道を模索してもいいのかな、なんて思える段階にやってきているのかもしれない。何がしたいとかほしいとか、そういうのが一切見えていなかった2年前と比べると、前よりはだいぶ視界がクリアになってきたようにも思えるし。あの頃とはまたちょっと違うのだ。きっと。

余計なものは、なるべく持たないで。身軽に、楽しい方へ、常に流れていきたい。余計なものに縛られている時間なんて、ないんだからね。

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