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哲学と宗教の違い

 こんにちは。Naoです。

 いつもご覧いただき、ありがとうございます。

 さて、今回は哲学と宗教との違いについてお話します。

 皆さんは『世界十五大哲学』という本をご存じでしょうか。
佐藤優氏(作家・元外務省主任分析官)をして、「人生の伴侶」「この本のおかげで、哲学の入り口を間違えずに済んだ」と言わしめた哲学入門書です。
 15人の大哲学者の解説を通して、西洋哲学の基礎を身に付けることができる名著ですが、本書の冒頭で、哲学と宗教の違いについて以下のように説明しています。

宗教⇒「信じる」ことが基本姿勢
哲学⇒「疑う」ことが基本姿勢

 どちらにもきちんと意味があります。
 何でもいいので救いを求めたい、信じられるものが欲しい場合は、哲学よりむしろ宗教に頼る方が良いでしょう。
 どこまでも真実を追求し、成長し続けるには哲学を身に付けることが役立ちます。

 哲学は疑うことが基本姿勢ですから、以下の態度が肝要です。
 ① 議論に入る前に前提をはっきりさせる。
  ㋐ 論点(問題意識)は何か
  ㋑ 論点に対しどのような議論が行われてきたか
 ② 常識と思われる前提を疑う。
  ㋐ 権威(大哲学者)の考えであっても疑う。
  ㋑ 自分が信じていることを疑う。
 ③ 探求を止めない
  新たに求めた「真理」も、いつか覆されるものと知る。

 さて現実世界において、哲学と宗教は「役に立たない」学問の代表格のようですが、そうではありません。
 宗教は精神安定やコミュニティの形成に役立ちます。何も信じることができなければ、精神的に不安定なままです。それが正解との保証はどこにもありませんが、宗教は人生の様々な悩みに対し、「正解」を用意してくれています。色々な宗教の考え方を身に付け、自分が腹落ちする答えを身に付けている人は、何も持たない人より強いメンタルを持てるでしょう。また同じ世界観を共有している人たちで集まることで、コミュニティを形成できます。たとえば創価学会は、集金業務にばかり目が行きがちですが、構成員にとって、世界中どこにいても「支部」があって、メンバーとつながることができることがよいと感じられるそうです。
 一方、哲学は真実を探求することに役立ちます。信じることが重要(疑うことを罪とする)宗教と違い、探求に終わりはありませんので、つらい道ではあります。実際、過去には人生問題をどこまでも探求しても、一向に答えてくれない哲学に絶望し、自殺した人間もいます(哲学と折り合いをつけるために宗教があるのかも知れません)。明確な「正解」は誰も与えてくれませんが、探求し続ける姿勢が科学の基本姿勢となり、先人たちの知恵を繋いで、今の文明社会が築かれました。
 「信じること」と「疑うこと」は正反対の動きですが、どちらも他方にとって欠かせないものなのです。


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