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「煩悩の数と同じ坊主の群れ」の中で生まれた「いけ好かないサブカル高校球児」時代の話

本当はライトな雑記のつもりで「高校生の時にハマってたけど解散/活動休止してしまった邦ロックバンドを5つ紹介したい」
という記事を書こうとしていたのに、その前段が長くなってしまったので、今日は高校時代の話だけをする。

高校まで野球をやっていた。
プロなんて程遠いことは中1くらいに悟ったが、
それなりにきちんと頑張っていて、「甲子園を目指す」と言っても恥ずかしくないような、東京の中堅上位くらいの私立高校の野球部で毎月1日に髪の毛を3分刈りにして野球に打ち込んでいた。

野球特待生をとらない高校で、その割には安定して戦績が良かったので人気があった。
部員が異様に多く、自分が3年生の時には108名もの部員数がいたのだが、
野球は9名でやるもの、背番号を貰って公式戦に出場できるのは20名だけで、3年間一度も出れない人間のほうが多いような環境、メンバー争いは本当に激しいものだった。
もうすぐ27歳になるが、あそこまで露骨な生存競争、競争社会の経験は、
社会に出てからもなかったし今後もないだろうと思う。

そんな環境の中で、昔から小賢しかった僕は、
「どのように生き残るか、そしてどうやれば「個」を立たせることができるか」を考えた。
その結果、

「野球部のヤツらがまるで知らないような知識をできるだけ得て、アイツらと違う人間になろう」

という結論にたどり着いた。
今になると「いや、野球を一生懸命頑張って目立てよ」という話なのだが、
そういうことではない。108人、ちょうど煩悩の数と同じ坊主の群れの中で自己を確立するために、僕なりに考えた生存戦略だ。

「野球部のヤツらがまるで知らないような知識をできるだけ得る」だが、
具体的にやっていた主な行動が下記だ。

●野球部の活動がオフの月曜日には必ず渋谷の単館系の映画館(だいたいユーロスペースかイメージフォーラム)か吉祥寺バウスシアターでマイナーな映画を見る
●その後タワレコで誰も知らないであろうアーティストのCDを視聴して買う
●最後にヴィレバンでカルト系の漫画やドラッグ体験記みたいな危なげなエッセイを読む
●学校から野球部の専用グランドまでの1時間弱の移動時間には、月曜に買ったCDを、ポータブルプレーヤーで爆音で聞きながら荻窪のブックオフで買った大槻ケンヂか中島らもの本を熟読する

今思い出しても恥ずかしいを通り越して怖すぎる。何だこれは。ある意味誰よりも煩悩の塊である。

ふれあいの街荻窪出身で、銀杏BOYZの峯田が30回のセックスよりもその1回の読書体験に価値があると叫んだ「グミ・チョコレート・パイン」を4周したり、魂に染み付いたサブカル志向は元々中学辺りから顔を出していたのだが、これを律儀にやったことで開花してしまった。
毎日の厳しい練習の中で唯一のオアシスである月曜の放課後に難しいアート系フランス映画を観て睡魔と戦ったり、
静岡への合宿での移動中のバスでオーケンの「縫製人間ヌイグルマー」の単行本版を広げて読んだりしていた。
(じきにオーケンとらもは読み切ってしまったので何故か江國香織と原田宗典に移り、こちらも文庫は完全制覇した)

結果、ものすごく、それはもうものすごく浮いた。
現役のときも薄々感じていたが、卒業後、野球部同期で行った飲み会の2次会のカラオケで、他の同期がEXILEや3代目を気持ちよく歌う中で、
「歌舞伎町の女王」を熱唱してしまった時に改めて間違いを悟った。
(ちなみに、その時にハナレグミを歌って同じように場を鎮めたヤツとだけは未だに仲がいい。)

しかし、それの効果か結果的に最上級生の代では無事「リリーフ専門の控えピッチャー兼伝令」というものすごく渋い位置で全大会で背番号をもらうことができたので、その健気な努力は実を結んだのだと思う。

「野球部の坊主の群れ」というのは本当に異質な集団だ。
強豪になればなるほど、その統率性と肉体の無駄な躍動感によって、宗教じみた恐ろしさがある。
しかし、その群れの中でなんとかアイデンティティの確立による無駄な生存闘争を繰り広げている文化系坊主もきっといるはずだ。
昨今の状況で活動もできずさらに悶々としている彼らを、微笑ましく見守っていてほしい。頑張れ高校野球。(なんだこの締め)

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