授業でのスマホ回収はアリ?ナシ?
最近、授業中のスマホ使用についてSNSで様々な意見を目にする機会が増えたので、今回は「授業中のスマホ使用について」書こうと思います。
授業中のスマホの使用のお国事情
世界では授業中のスマホ使用についてどうなっているのでしょうか。色々調べているとこんな記事を見つけました。
イタリアは学力向上狙い、積極的に導入しているそうです。 政府は「学習障害のある子どもにとっても助けになる」と述べ、全体的な学力向上が期待できるとの認識を示しています。
日本の「小中学校は持ち込みを原則禁止」「高校は校内での使用を禁止」
日本の小中学校の多くは授業中の使用は禁止されていますが、持ち込みは東日本大震災後、災害時の対応などを考慮して認めているというところもあるようです。
現在、学校へのスマホ持ち込み禁止の指針を文科省が見直しをしています。見直されたとしても、持ち込みを認めるかどうかは、各教育委員会や学校が判断することになるそうです。
多くの日本語学校では「スマホ使用禁止」が多い
先日、日本語学校において授業中のスマホ使用について様々な意見を目にしました。
多くの機関では授業中の使用禁止か、または、辞書のみ使用可としているところが多いようです。
授業に集中させるためには必要ないということで、授業中のスマホ使用は禁止している日本語学校が多いです。また、日本語学校では、授業開始時にカゴなどに回収しているところも多いようです。そういう日本語学校で教えたことがありますが、かなり違和感を覚え、これはどうなのかと疑問に思っていました。
ある日本語学校ではウォールポケットに学習者の名前が書いてあり、そこに入れて授業終了後まで返さないというところあると聞きました。
これってアリ?ナシ?
日本語学校や専門学校でのスマホ使用についてこんな意見を目にして驚きました。
「辞書と言いながら、どうせゲームとSNSが殆ど。毎時間回収。出さなかった者は欠席扱い」
「出すたびに注意して、やめなかったら没収。再三再四注意しても改善が見られないなら、規則に応じて処分」
「授業前にスマホ回収。帰るまで学生に返さない。」
このような対応、皆さんはどう思われますか。
欠席扱いするということは、これって、人権侵害にも当たるのではと思うのです。
辞書としての使用は許可しているものの、注意しても辞書以外で使用している学生がスマホを使用していることに対し、
「辞書と言いながら、どうせゲームとSNSが殆ど」
というコメントを見て、違和感を覚えました。
学習者が授業中に辞書以外に使うのはなぜ?
「辞書と言いながら、どうせゲームとSNSが殆ど」というのは、これは学習者が全て悪いということを言っているように私は捉えました。そういう場合、皆さんはなぜ学習者が授業中に辞書以外に使うのか、考えていますか。
こんな記事を見つけました。
スマホの使用を禁止する前に、発声の訓練をして、人を引き付けるしゃべりの訓練をして、人を引き付けるビジュアルの努力をして、ショーの世界をのぞいて勉強をして、手や体の振り方を研究して、今のはやりを言えるようになることが先じゃないかな?。これらの努力をサボっておいて、「話を聞かないから」でスマホ禁止は、もう軍隊のやることだよ。「教師は聖職者だから、黙って言うコトを聞け」という時代じゃないんだよね。
つまり、スマホの使用を禁止する前にまずは自分の授業を振り返るべきではないかと思います。
目の前の授業は学習者にとって学びの機会になっているのでしょうか。学習者が面白い、楽しい、学びたいと思える授業になってるのでしょうか。
昔、ある専門学校で教えていましたが、そこは授業見学が可能で、留学生を教えている専門科目の授業を見学させていただいたのですが、授業の内容はひさすら座学で講義形式というもので、数名、スマホでゲームしている学習者がいました。
しかし、講師は一切注意していないので、それも違和感を覚えました。
学習者が面白い、楽しい、学びたいと思える授業であれば、学習者は授業に参加するはずです。
そして、勉強したいという気持ちになるはずです。
「どうせゲームとSNS」と学習者を避難する前に、まずは自分自身の授業を振り返るべきだと思います。そして、スマホでゲームしている学習者に対しても可能であればある程度の注意も必要だと思います。
確かに、注意してもゲームやSNSをやり続けるという学習者もいることも確かです。
だからと言って何も注意もせず、自分の授業も振り返らずに頭ごなしに「どうせゲームとSNS」と学習者を避難するのはどうなのでしょうか。
私もこういう学習者を経験したことがあります。
何度注意しても改善されずもしかするとスマホ依存症やゲーム障害の恐れも考えられ、あとは学校側に報告し、対応をしてもらいました。
スマホは自律学習するためのリソース
私はスマホ使用推進派です。だからと言ってスマホでゲームやSNSなど自由に使用させているわけではありません。
授業ではスマホを使う時と、使わない時を設けています。
例えば、自国の料理を紹介するときに、写真をネットで調べさせたり、地図で場所を調べさせたりなど、インターネットで調べさせることもあります。スマホがあれば即座に調べられ、全員に見えることができるので効果的です。
また、言葉の意味を教師が一方的に説明するのではなく、学習者に言葉の意味を答えさせてわからない場合も、クラス全員で調べさせ、辞書に意味が多く載っている場合などどの意味なのか辞書に調べ方も教えることもあります。
その理由は2つあります。まず、調べた学生のスマホをプロジェクターに投影して、即座に全員で意味を説明させ、その場で全体で確認できるのでこれは非常に効果的だと思うからです。それに、スマホで辞書の調べ方がわからなければ、自宅学習も困るからです。
しかし、「辞書は紙の辞書か電子辞書しか認めない」という日本語学校もあるといいます。日本語教育にもICT教育がどんどん取り入れられている中で、これも学習者の自律学習するための学習機会を奪っているのではないかと思います。
また、学習アプリを授業で使うこともあります。自宅学習の際に使えるようにお役立ちアプリがあれば紹介したり、実際に授業で使ったりしています。
さらには、小テストを一斉にオンラインですることもあります。
他にも様々な授業中のスマホの使い方はありますが、スマホは使い方次第で学習者への自立学習にも繋がるのではないかと思います。
ですから、そういうリソースへのアクセスを教室内で禁止するのは効率的な学習の機会を奪うことになると思います。
日本語教育は単に語学を教えるだけではなく、スマホなどのツールでも学習できることも教えることも今の学習者には必要なのではないでしょうか。
学校は軍隊ではない
「話を聞かないから」でスマホ禁止は、もう軍隊のやることと同じだと思います。
日本語学校や専門学校、大学などに通う外国人留学生は立派な大人です。中には高校を出てすぐ留学をして自立できていない学習者もいます。
学校側からすると、管理するにはいいのかもしれません。
しかし、無理やり学生を軍隊のように管理し、調教しようとすると、学生自身は理解・納得しないのではないでしょうか。中には反発する学習者も出てしまうのではないでしょうか。これでは、学習者の気持ちを逆なでしてしまうことにもなりかねません。
授業中のスマホ禁止は学習者の自律学習するための学習機会を奪っている
スマホは使い方次第でいくらでも授業が変わるということです。ICT教育がどんどん取り入れられている中で全面禁止をするというのは学習者の自律学習するための学習機会を奪っていることになります。
先日、漢字の授業ではある学習者が使っているアプリを紹介してくれたのでそれをクラスで紹介したところ、それを機に様々な学習者が漢字アプリを紹介してくれて授業が活発化しました。また、授業内で紹介したアプリで休憩時間に語彙の勉強をしている学習者がいました。学校での休憩時間や通学途中の移動時間、アルバイトの休憩時間などにも勉強できるので便利で、このアプリを紹介されて感謝されたことがあります。
このように、他にも様々な便利なアプリやツールがありますが、それを知ればあとは学習者が自律して学習するのではないかと思います。
しかし、このような機会が授業内に与えられなければ、自律学習の機会を奪われていることになるのです。
「授業中スマホ禁止」は学習の選択肢を奪っていることにもなるということも考えて欲しいです。
スマホは使い方次第
まとめると、「スマホは使い方次第」だということです。
今後はICT教育も取り入れていくことも必要です。
新出語彙の絵カードを未だに推奨している機関もあります。しかし、それは教師がアナログに慣れていてるだけで、効率的とは言えないのではと思います。授業では学生にスマホへ送ったり、小テストもオンラインで行うようにすると、スマホで行え、ペーパレスにもなり効果的だと思います。実際、学生にスマホへ送ったり、小テストもオンラインで行なっていますが、学習者の授業への取り組み方が変わり、モチベーションが上がったように思います。
そうするためには教師ももっとICT教育について学ぶ必要があります。
教師は、無理やり学習者を管理するのではなく、学習者自身に使う時と使わない時を教師が明示すればいいのではないでしょうか。
もう、授業中にスマホを回収したり、取り上げるというのはやめましょう。
そして、学習者の自律学習するためのリソースを奪うのはやめましょう。