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【生成AIの光と影】創造性の本質、そして抗うべき「怠惰」の誘惑..

こんにちは、田原です。

数年前まで無気力な中卒フリーターで、アニメ&ゲームが世界の中心だった僕ですが、EAに出会ったことで金持ち世界に突入しました。

今は、いろんな案件を検証しながら月230〜300万くらいの利益が出てるので、経済的にはかなり余裕になりました。(上を見たらキリないけどねw)

まぁ、こうやって自由にやれてるのも、当時の僕が「投資」「自分で稼ぐ」という一歩を踏み出したのが全てなんですよね。

詳しくはこっちで書いてます、どうぞ↓

≫ https://bit.ly/3MqsgJ6

ということで、本題に入ります。

【生成AIの光と影】創造性の本質、そして抗うべき「怠惰」の誘惑..


「甘美な毒かもしれない..」

それが、今僕たちを魅了してやまないAI技術の本質なのかもしれません。絵を描き、音楽を作り、物語を紡ぎ出すAIの姿は、人間の創造性を凌駕する日も近いと予感させます。

その進歩の輝きに目を奪われる一方で、僕たちは、AIがもたらす「創造性の偽物」に自らを委ねてしまってはいないでしょうか?

AI動画生成ツールを起点に、AI技術の光と影、創造性の本質、そして僕たちが真に抗うべき「怠惰」の甘い誘惑について切り込んでいきます。

AIが描く創造性の未来は美しく管理された砂漠になるか?

「Luma Dream Machine」「Sora」などのAI動画生成ツールは、まるで夢を具現化する魔法の杖のようですが、その魔法が描き出す未来は、どこか冷たく、無機質な世界を感じさせます。

それは、効率と合理性を極限まで追求した結果、創造性の本質である人間の感情や感性が失われた、美しく管理された砂漠のような世界なのではないでしょうか?

AI技術は、確かに、誰もが簡単に作品を生み出せる世界、つまり創造性の民主化を実現する可能性を秘めています。

しかし、それは同時に、人間の感性や創造性を均質化し、画一的な表現に収束させてしまう危険性をはらんでいるのです。

AIによって効率化された世界は、一見便利で快適に見えますが、そこには人間の心が真に触れ合うことのできる、生き生きとした創造のエネルギーが失われているのかもしれません。

僕たちは、AI技術の恩恵を享受しながらも、それがもたらす「管理された世界」に警鐘を鳴らし続ける必要があるのです。

「真の創造性あふれる未来は、AIによって一方的に描かれるのではなく、人間自身が主体性と情熱を持って創造活動に取り組むことによってこそ切り拓かれるのではないでしょうか?」

AI動画の創造性は模倣という「虚無」の影?

AI動画生成ツールは、膨大なデータから学習し、人間のように創作を試みますが、その作品はどこかうわべだけの模倣に留まり、人間の心を揺さぶる深みに欠けるという声も少なくありません。

「それは、まるで魂が抜け落ちた人形のように、どこか冷たく、空虚な印象を与えるものです..」

AIは、確かに、与えられた指示に従い、大量のコンテンツを効率的に生成することができます。しかし、そこには、人間の苦悩や葛藤、そして歓喜から生まれる、生々しい創造のエネルギーが欠如しています。

AIが生み出す作品は、一見、美しく洗練されているように見えても、その実、人間の心を真に揺さぶる力を持たない「虚無」の影を宿しているのかもしれません。

AI技術の進化は、僕たちに、「創造性とは何か?」という根源的な問いを突きつけています。AIが生み出す作品は、あくまでもデータの組み合わせによって生成されたものであり、人間の心を動かす真の創造性とは異なる次元のものなのかもしれません。

AI技術の進化に目を奪われることなく、人間ならではの創造性の本質を問い直し、その価値を再認識する必要があるのかもね。

AI企業の思惑は創造性の再定義と、新たな「依存」構造の構築?

AI企業は、AI技術を駆使し、創造性の概念そのものを書き換えようとしているとしたどう感じますか?

彼らは、「誰でも簡単にプロ並みの作品を生み出せる時代」という甘い言葉を巧みに使い、人々をAI技術に依存させようとしていると邪推することもできます。

例えば、OpenAIが開発したChatGPTは、人間のように自然な会話を行ったり、文章を作成しますが、あくまでも人間の言語を模倣した高度なアルゴリズムであり、真の意味での創造性とはかけ離れています。

AI企業は、AI技術を通して、人間を「創造」という行為から解放し、その代わりに「AIへの依存」という新たな束縛を生み出そうとしているのかもしれません。こう書くと陰謀論っぽいよなw

AI技術は、使い方次第で、人間の創造性を飛躍的に高める可能性を秘めている一方で、人間の創造性を奪い、AIへの依存を生み出す危険性もはらんでいます。

僕たちは、AI技術の恩恵を享受しながらも、その背後に潜む思惑を見抜き、AIに支配されるのではなく、AIを道具として使いこなすことができるよう、意識的に努力していく必要があるでしょう。

おそらく、このようなマインドセットを持つことはAI時代の基礎力になるはずです。今のうちから身につけておこう。

AIの登場によって問われる、「人間らしさ」の定義とは?

AI技術の進化は、僕たちに「創造性とは何か?」「人間らしさとは何か?」という根源的な問いを突きつけています。

「AIは人間と同じように創造性を持ちうるのか?」「AIが生み出す作品に、人間の心を揺さぶる力はあるか?」

創造性とは、単に新しいものを生み出すことではなく、それは人間の経験、感情、そして世界に対する深い洞察から生まれる、心の輝きです。

AIは人間の創造活動を支援するツールとしては非常に有効ですが、決して人間そのものを代替することはできません。

皮肉にも、人間にしかできないこと、人間だからこそ創造できるものの価値を改めて私たちに気づかせてくれます。

AI時代において、人間は、AIには決して模倣できない、人間ならではの感性や創造性を追求していく必要があります。それは、AI技術の進化に抗うのではなく、AI技術を理解し、共存していくための、人間としての大切な「進化」と言えるのでしょう。

AI時代に抗うべきはAIではなく「己の怠惰」

さて、色々と書いてきましたが、AI技術の進化によって人間の創造性は危機に瀕していると思いますか?

人それぞれの意見があるかもしれませんが、僕はそうは思いません。

『本当の意味で危機に瀕しているのは、AIの台頭を前に、自ら思考することを放棄し、AIに依存してしまう人間の「怠惰性」です』

AIは、僕たち人間に多くの課題を突きつけていますが、それと同時に創造的な活用をしていくことで、新たな表現の可能性を切り開くチャンスも得ているはずです。

AI時代にこそ、僕たちは、AIの模倣を超えた、人間ならではの創造性を追求していく必要があるのです。

「怠惰」とは、単に「楽をする」ことではなく、「考えること」「感じること」「表現すること」から、自ら目を背け、心を閉ざしてしまうことです。

AIに依存し、AIに思考を委ねてしまうことは、この「怠惰」に身を委ねることと同じです。

僕たちは、AI技術の恩恵を享受しながらも、AIに思考を支配されることなく、自らの感性を研ぎ澄まし、創造的な活動を継続していく必要があります。

AI時代においても、「創造の炎」を燃やし続けることが、AI技術の進化に飲み込まれることなく、人間としての尊厳と個性を守る、唯一の道なのかもしれませんね。

最後に

AI技術は、僕たちに多くの恩恵をもたらすと同時に、創造性の本質について深く考える機会を与えてくれています。

AI技術と人間の創造性は、決して対立するものではありません。AI技術を正しく理解し、創造的に活用することで、僕たちは、より豊かで人間らしい未来を創造していくことができるはずです。

真に抗うべきはAIではなく、AIの影に隠れようとする、僕たち自身の「怠惰」なのかもしれません。

それでは!


p.s

とりあえずAIの知識は絶対に付けとくべきです↓

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