見出し画像

「自己肯定感貯金」を貯める

 こうみえて、かつてものすごく自己肯定感が低い人間だった。よく親からは怒鳴られていたし、きょうだいからは、上からも下からもみそっかす扱いだった。さらに大学3年生のときそこそこ大きな病気をして、交友関係はおろか基本的な生活が1年間くらいままならなかった。相対的には恵まれた家庭環境だったし、社会に出てほどほどにやっていくのに充分な賢い頭はあったが、そういったことは自己肯定感の改善にあまり貢献してくれなかった。

 その頃は、こんなことを言える日が来るとはとても思えなかったのだが、いまのわたしは自分のことがけっこう好きだ。まあいいじゃんと思っているし、なんとかなるでしょと思っている。毎日、自分に対してなかなかやるじゃんと感じるし、失敗した日は落ち込むがそれも含めてそんなに悪くない。これからいくつかの楽しみなことが待っているし、将来への希望的な計画もある。誰かスゴイ人に会えば素直に(ちょっとは嫉妬するが)すごいなと思うし、その人がすごいという事実とわたしの存在価値とは別々の事象だ。

 さまざまなことがあったが、偶然、幸運にも、上手くいっていまに至る(完)。という感じだ。それじゃ話が終わってしまうので、わたしなりに「自己肯定感をコツコツ高めるコツ」をお伝えしたい。いわば、「自己肯定感貯金」である。

自己肯定感、高めるの難しい

 自己肯定感を高めるには、というテキストには、よくこんなことが書かれている。

✔ 自分を否定してしまう自動的な思考のクセを見直しましょう
✔ 物事の悪い側面だけでなく良い側面に目を向けましょう
✔ 人からの好意を素直に受け取れるようになりましょう
✔ 自分のことが好きだと毎日唱えましょう
✔ 小さなゴールを成し遂げていくことで、達成感を得ていきましょう

  概ねこんな感じだろう。

 これらの方策は、とても正しい。正中にある、しごくまっとうな意見だ。だが、これがやれていれば、自己肯定感に悩まされることなんて無かったはずだ。言われてできれば苦労はしない。根拠の無い自信なんぞ持てない。周囲はごまかせても、自分は欺けない。もっとスゴイ存在が居るのに、わたしはスゴイ存在じゃない、つらい…。

 …これが、かつてのわたしだ。同じような人は居るだろうか。たぶん居る。

 実は、上にあげた項目はすべて、中上級者向けの内容だ。読むとなんだか抽象的だし、自分自身とじっくり向き合い、心の内面に立ち入る内容である。臨床心理学を学んだ今でこそ、こんなことを一般の人が独力でやるのは無理だとわかる。「自動的な思考のクセ」なんかは完全に認知行動療法のメソッドなので、せめて初期は誰かしらメンターがあってほしい。意気消沈している初心者が、ここから始めるのはけっこうハードルが高い。

腹を空かせて飯を食うことから始める

 わたしは食事から始めた。こう表現すると、いかにも栄養バランスとかを気をつけて健康管理を行ったかのように理解されるが、それは半分正解で半分不正解だ。食事という行為の積み重ねで自己肯定感を高めようとした。

 「小さな課題を設定し、それを達成することで達成感を得て自己肯定感を得る」というメソッドがある。さて、何を課題に選ぼうか、それが肝心だろう。
 「早起き」のように目に見えて失敗しそうなものはだめだ。仮に2日できたとしても、3日目に失敗したら、もうだめだとがっかりしてしまう。そもそも、習慣を身につけるというのは難易度がかなり高めの課題だし、継続した成功よりもたった一度の失敗のためにけちがついてしまう心のはたらきがあるので、自己肯定感を高めるためにいきなり課してはならない。だから、毎日ヨガをするとか観葉植物に水をやるとか、そういうものも、ゆるく始められない人には向いてない。

 食事はどうか。ほとんどの人が毎日何かしらものを食べるだろう。努力しなくとも既に毎日行っている行為で、失敗とか上手く行ったとかの定義がゆるい(失敗してもとりあえず自分を責めずに済む)。頻度も多いので、試行回数を稼ぐことができる(※行動療法には「少量頻回=少しずつ、且つ間隔を空けずに繰り返す」の原則がある)。

うまそう・うまい・うまかった

 では、始めよう。まず、きちんと腹を空かす。当たり前と思うだろうか。空腹を(正しくは、「空腹をきちんと身体に起こすことを」)軽んじてはならない。あなたの心身の連携は、身体が訴えてくる空腹を感知できる程度に、適切なはたらきをしているだろうか(ここでつまづく人はあきらかに失調を来たしているので、自己治療はせずに専門機関に相談されるとよい)。ぜひとも達成したいと心から願う課題に取り組むぞ=食欲を満たす・栄養を摂取するぞ、と意識を高める。不味いものよりは、美味いもののほうがよい。なにも高級料理である必要はない。おかかご飯でいいし、味噌汁でいい。冷たいものが大好き、とかでなければ、どちらかといえば暖かいものが向いている。

 一人で食べる場合にも、立ったまま食べたりせず机上に配膳して、「いただきます」を言ってほしい。ちなみに、食べられる量だけ見積もって茶碗に盛ることも重要だ。「満腹になったら途中で残し、あとは明日食べればいい」よりも、「完食できた、皿の底が見える」のほうが達成感としては上等だ。このへんも、身体の腹具合を心がうまくキャッチできるようになる訓練として、繰り返しやろう。無事に完食できたら、存分に自分を讃えよう。食べたものを頭のなかで反芻する時間を設けよう。

 見事、完食できたらあなたはスゴイ。達成したいと心から願った課題を達成することができた。その課題を達成したいとすこし過去の自分は思っていたし、栄養とエネルギーを摂取したから、すこし未来の自分に感謝される。さらに、課題に向かって集中力を高める経験を積めた。とても満足だ(満足を感じよう)。実際、食事は生命維持活動そのものなので、かなり強い強化子としてはたらいてくれる。自分の素直な欲求やしたいことを否定しがちな人も、自分の欲求(うまそう、食べたい)に対し、肯定を与えることができた。

 食事という行為で、ミニマムに、しかし確実に自分へ肯定を与えるサイクルを作る。なお、この「うまそー!、超腹減ったー!すげー!食べたいー!」というのは超マヌケである。マヌケは承知だが、どうせ食事は必ずするのだから、毎日機会はやってくる。愚直にやってみる価値はある。

゛練習は、量より質が重要。質を上げる為には、
「やれる」と思えること、
「やる」と集中すること、
「やってよかった」と満足すること。
これは案外難しいことだが、あることに関しては簡単に出来る。
それが「食事」だ。
食事の前、これが食べられると期待する。
食事中、うまいと思っている時は食事に集中している。
食事後、「あぁ、うまかった」と思って満足感を味わう。”
『おおきく振りかぶって(1)』(アフタヌーンコミックス)ひぐちアサ

栄養バランスのことは、次からやろう

 栄養バランスとか食の健康とか、内面から美しく系の話かと思った、という人は聞いてほしい。節度を持ってジャンキーなものを控えたり、健康的な食生活を意識するというのは、すでに自己肯定感の土台がある程度培われている人が次のステップとして行うべき心がけだ。自己肯定感が低い人間は自分を大切にするという感覚が薄いし、そもそも自分を大事にするというのが具体的にどういうことかについて理解が乏しいので、栄養バランスや健康な食生活の大切さに真剣になれない。もしくは禁欲的やストイックにやりすぎてしまう。

 だから、栄養バランスはいったん置いておこう。まずはきちんと腹を空かせる、目の前の活動(食事)だけに集中する、身体が食べたいと欲するものを食べる、空腹から満腹になる身体の活動の過程を感じ、自分で自分を肯定する、というところから始めてほしい。

 過食傾向の人には役に立たないんじゃないかという反論が聴こえてきそうだ。どうなのだろう。過食の経験が無いのでわからないが、思うにカロリー過多気味の人ほど身体が欲していないカロリーをだらだらと摂取していていて、空腹をきちんと感じる習慣が無かったりはしないだろうか。空腹を処理するために、たいして食べたくもないものを機械的に摂取してないだろうか。最初の一口が脳にダイレクトに美味かったとしても、後半は惰性で食べていないだろうか。

 改めて言うが、現在のわたしが自分のことをけっこう肯定できているのは偶然に寄るところが大きい。あまり自分でなにかを努力したから、ということではなく、いつだって周囲のみんながほんとうによくしてくれたし、いまもそうだ。そのなかでほんとにささやかなものでひとつ、自らコントロールしようとし続けてきたことを挙げるとするならば「食事という行為の繰り返し」だ、というお話でした。

自分のことが嫌いという人、旨いものを旨いと思って食べましょう。

ーーーー

追記。
続編を書きました。有料記事ですが、投銭式です。よかったらどうそ。


いただいたサポートは、ことばの相談室ことりの教材・教具の購入に充てさせていただきます。