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簡単な約束⑥母と私

抗がん剤投与をやめた母は不安定ながらも自宅療養できていた。
神経難病からくる歩行障害もあってひとりで出掛けられないので、一日中自宅で過ごす日々だったけれど、できる範囲の家事をしながら母はいつも通りの生活を送っていた。
母の「いってらっしゃい」と「おかえり」が聞こえる日々は、何物にも代え難い。

髪が抜けたことを気にするでもなく、
「暑くて頭から汗かくわ~」と言って鏡を見ながら笑っていて、私が想像していたよりも淡々と受け入れていたように思う。
事あるごとに「かわいい!」と褒めていた私の言葉が多少は作用したかもしれないし、心配させないための母の強がりだったかもしれない。
いずれにしても母の闘病の証だ。気に病むことなど初めからない。

6月29日。母と一緒に着物の整理をした。

「これは捨ててもいいよ」
「ちょっと古すぎるよね~えへへ」
「これは、ばぁちゃんが縫ってくれたものよ」
「てんちゃん、これなら着てくれる?」

沈んだ様子など微塵もなく、着物や帯、私には良く分からないカラフルな紐を部屋中に広げて母はとても楽しそうにひとつひとつ着物やそれに関連する小物のの紹介をしてくれた。
母も祖母も着物が好きだった。
祖母は和裁をする人で、中学に上がる前だったか私は浴衣を縫ってもらったことがある。
長年、縫製会社に勤めていた母も手先が器用で、私が子供の頃には手提げ袋やワンピースを良く作ってくれたし、テレビを見ながらレース編みをして、とても可愛いテーブルクロスやコースターもたくさん作ってくれた。
(私にはこの種の才能はどちらからもひとつも継承されなかった。)

母は処分しても良いと言ったけれど、どの着物も母と祖母が大切にしていたものだ。二人分の思い出がある。
私が譲り受けることにした。母にそう伝えると、口下手な母らしく少し照れくさそうに笑っていた。
その日整理した着物の中には、私のために仕立ててくれた喪服もあった。
(母の通夜前日、この喪服で私は大泣きすることになる。)

着物の整理が概ね終わると、母は棚の引き出しを開けて
「この辺のは壊れているし、てんちゃんいらんやろ?」とお菓子の空き箱を差し出した。
開けてみるとネックレスやイヤリングが入っている。
確かに、留め具が壊れているものが多い。
母の説明を受けながらそれらを見ていると、見覚えのあるネックレスとブローチがあった。
私が小学生の頃の修学旅行先で買ってきたお土産だ。
大好きな母におしゃれをしてほしくて選んだものだ。忘れていた記憶が一瞬で思い出された。
当時のお小遣いで買える値段のものだから、おもちゃのようなそれを大事に持っていてくれた。

「懐かしいね、これ」
「てんちゃんがお土産に買ってくれたやつ」
「壊れているの多いから、新しいネックレス買おうか?」
「いい、いい、いらんよ」

留め具が壊れたネックレスもそのまま箱にしまって棚の引き出しに戻した。
捨てられる訳がない。
壊れていても構わない。
何も言わずに引き出しに戻した私の様子を見て、母は「捨てなさいよ」と言いたげだったけれど、日頃から自分のものは何も買わない母が自分のために買った物だから、私には充分価値がある。
「嵩張るものじゃないし捨てなくていいよ。また今度、整理するときに考えよう」と伝えた。
これ以上、片付けを続行したら私の涙腺が危なかった。

この日、母と私は約束をした。とても簡単な約束だ。
母が若い頃着ていた浴衣を崩して手提げを作ろう、と。
今度一緒にミシンしようね、と。
私がミシンかけるから、隣で作り方を教えてね、と。
母は嬉しそうに笑って何度もうなずいていた。

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