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おばぁちゃんになっても

毎日、片道2時間かけて通学しています。

長いように思われますが
全く長いと感じたことがありません。

「あれ?もう着いた」みたいな感覚です。

なぜそのように感じるのかには
明確な理由があります。

その2時間を
ひたすら「学びを得る時間」を注いでいるからです。

●通学時間の新しい知識

この「学びを得る時間」がとっても楽しいんです。

靴や足の知識だけではなく、
お金のこと、経営のこと
歴史・古典のこと 等々

主にオンラインサロンの記事やnote
Kindleでの読書
音声ラジオで学ばせてもらっています。

これが楽しいんですよね。
本当に。

新しい知識。へ〜!みたいなこと

歴史に関して言えば
最近知人からオススメされた
音声ラジオ Podcastの
「歴史を面白く学ぶコテンラジオ」にはまっています。

昔つめこむように覚えた
歴史上の「あの人」が実はこんな性格だったんだ!とか
こんな悩みを抱えてたんだ!とか

いつの時代も人間の世界って大変だな〜
みたいなことを
ヒシヒシと感じて楽しいんでいます。

そしていつの時代も
誰もが「挑戦」をして
「失敗」からの学びを繰り返すことで
時代が築かれていったんだな〜と
考えさせられる日々です。

●どんなおばあちゃんになりたいか

私はたまに
「老後をどう生きるか」について考えます。

人生を3分割したときの
最後の30年です。

普段から老後のことを考える理由

それは、田舎町に住んでいるため
普段から60代以上の方と接する機会が
増えたからだと思います。

老後どのように過ごすか
それは人それぞれですが、

分かりやすく2パターンに分かれているように思います。

1つ目は

仕事を辞め、年金暮らしの中で、
たまに現代に対する愚痴を言い、
過去の思い出と栄光を周囲に語りながら
未来は残り少ないからと嘆き、
ただ毎日流れていく日々を生きていく人。

もう1つは

仕事を辞め、新しく生まれた時間の中で
趣味や新たな夢を見つけ、
常に新しいことに興味を持ち
自分のいない未来にも希望をもちながら
毎日を大事に生きていく人。

だいぶ極端にかいていますが、

人生が終わる残りの30年です。
どのように生きていきたいですか?

もちろん後者の人だと思います。

この2パターンの人たちの違いは
何でしょうか?

私は

それまでの30年に
常に蓄積される「学び」があったかどうか

だと思います。

30歳〜60歳の間の30年
いろんな会社では後輩や部下を迎え
偉い立場になった人もいるかもしれません。

それでもいろんな事、いろんな人から
新しい学びを得てきた人は、

自信がみなぎっています。
新しいことへも寛容です。
何かに興味をしめしたり、挑戦することにも慣れています。

挑戦し、苦労もしてきたからこそ
誰かに威張り散らすこともありません。

「老後という、お金にも時間にも困らない
この時間を楽しまなくてどうする?」

と言わんばかりです。

そんな方々のような人生を
歩みたいですよね。

今私が、通学の片道2時間の学び時間が
楽しいように

時間をつくっては、
様々な「学び」を得ようとすること

これは一生とめないでいたいと思います。

【ちょこっと靴のこと】

〈パンプスの革を裁断〉

まだ練習段階だけど、
パンプスづくりをまず学ぶため、
革を裁断しました。

靴になっていく感のある革を見ると、
ちょっとテンションがあがります。

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