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わたしは「戦友」でいるべきだったのか

※自分を癒やすために思ったことを書きなぐっただけなので、読みにくいと思います。ごめんなさい。それでも、共感してもらえる人に響けばと思い公開します。


前回(https://note.com/nanohapi/n/n0607c47d9315)のnoteを書いて、しばらくは、モヤモヤを吐き出したためかすっきりしたとした気持ちで心も穏やかだった。

しかし、先日購入したストレスに対するセルフケアの本を読んで、また母への気持ちがどっと溢れてきて声をあげて泣いてしまった。

今回は、「納得がいかない」「何で責められないといけないの」という気持ちが強く出ていると感じている。

具体的には、前回も書いたけど食費を節約するため、わたしは高校時代に弁当を持っていかないということが多々あった。

でも妹や弟にはいちいち言わないので、そのことを母に話しても「妹ちゃんは弁当のおかず(冷食)、ちゃんとあったって言ってたよ」と諭すように言われたのが、今さらながら悲しく感じてしまい涙が出た。

また「ADHDかもしれない…」と悩みを話したときも「気のせいじゃない?」と言われ、小学校・中学校時代は友達関係で悩んでいた際に、「あなたがそういう雰囲気出してるから誰も近づいてこないんじゃないの?」とすべてを否定された。

わたしとしては母に「辛かったね」と共感してほしかっただけなのに、すべて否定されたのが辛かった。

弁当のおかずの冷食も、ADHDかもしれないという話も、友達がいないというのも真実や原因はどうでもいい。

ただ、母に「辛かったね」とハグしてもらいたいだけだったのだ。

だけど当時、母は母で父と離婚したことでいろいろと大変だったということもあり、仕事から帰ると「洗濯物取り込んでない!」「ご飯の準備してくれてないの!?」とイライラ。

また、弁当のおかずに買ってあった冷食がなくなると「もうないの?」「また買わなきゃ…」とため息。

こんな不機嫌になる母が嫌だったので、できるだけ家事も手伝ったし弁当も作らず、少しでも冷食を買う頻度を抑えられたらって自分なりに協力していたつもり。

でもさ、今思うとまだ15、16、17の子どもなのよ。

父と離婚するとき、たしかに「みんなで協力しようね」と約束したけど、それは義務じゃないんだよね。

できてないからって子どもを責めないでほしかった。

離婚を選んだのは母自身だ。

わたしは母が機嫌悪くならないようにいつも気にしてた。そんな母が嫌だったから。

そんな気を遣う習慣が身についたから、母も大変だったと知っているもりだから、こういう話は今まで吐き出さず胸に仕舞っておいた。

けど自分の気持ちに素直になったら、母の今までの言動を思い出し悲しくなる。

わたしだって苦しんでたし、悩みだってあった。

思春期まっただ中だったもの。

それについて「苦しかったね」と共感したりハグしたりはなく全否定。

なのに母自身は、わたしのことをずっと「戦友」だと思っていたらしい。

大人になって、「当時、こういうふうに感じていた」と伝えても「ふーん」
逆に「そんなこと言うなんて」「わたしはあなたのこと戦友だと思っていたのに」と言われ撃沈。

母は、わたしを「つらいシングルマザーの子育て期を一緒に乗り越えた”戦友”」だと思っていたみたいで、裏切られたと感じたんだろう。

わたしだって辛かった。苦しかった。
まだ子どもだった。

なのに、ずっと戦友でいないといけなかったの?

「戦友だと思っていたのに」って言われてどんなに悲しかったか。

わたしはわたしなりに協力したつもり。

でも、わたしだって苦しかったんだよって言って何がいけないの?

別に母を全否定していない。

母だって離婚して大変だったから。精神的にも経済的にも。

母の気持ちやつらさを全部、理解はできないけど、少しはわかってるつもり。

でもね、たまに思うときもある。

母が言うみたいに、わたしがただ話を大げさにしているだけなんじゃないか。

わたしが真実をねじ曲げて悲劇のヒロインになってるだけなんじゃないかって。

それにやっぱり「母も大変だったから仕方ない」って思い、心にフタをしちゃうんだよね。





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