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【お題】9.日向ぼっこ

 タナカは、ふと主の気配を感じ部屋を出た。とある昼下がり、冷房も効いて室内は快適な状態だ。そこで何かが転がっていた。日射しが柔らかいベランダの窓の側、主がすやすやと眠っている。
 今はカネチカの部屋で暮らしているはずだが。なぜ、ここにいるのだろう?何か約束でもしていたか?と考えたが思い当たらない。仕方なく、タナカは主に近づいた。

 高校生として生活している主は、見た目が変わってしまっている。単に若返っただけのはずだが、普段の主が纏う「愁い」や「疲れ」といった雰囲気はなかった。これもカネチカの仕業だろうか?と、首をかしげながらまじまじと見つめていると。

「う……ん」
 そう言って、主が目を覚ました。思ったより優しい眼差しだった。
「主様、どうされたんです?」
「ん……」
 寝ぼけながら起き上がるとあくびをした。見慣れた所作だったが、やはりどこか違う。この変化は一体何だろう?
「待ってる内に寝ちゃったみたいだ」
「それで、ご用件は?」
 タナカが促すと、主は少し照れくさい笑みを浮かべた。
「あのさ………教えて欲しいんだけど」
 奴隷の自分に何を教わる気なのか、さっぱり見当がつかない。戸惑いで押し黙っていると、主が今まで見せたことのない眼差しを向けた。

「料理、教えてくれない?」

 食べることを面倒に思っていた主が、自ら料理なんて!
 タナカは呆気にとられた。

「——だめ、かな?」
「いいえ。構いませんが、どうして?」
「うん………それくらい出来るようになりたいだけだよ」
 主は目をそらした。多分、料理を振る舞う相手はカネチカだと思うが、言いたくないらしい。
「わかりました」
 タナカがそう言うと、主はホッとしたようだった。
「ありがとう」
 見た目が変わったのもあるが、なんだかこっちが気恥ずかしくなるような表情だった。

 それから、主はちょくちょく料理を習いに通っている。「特別」な力は料理には使えないのだろうか?タナカには分からなかったが、主は実に一生懸命だった。だんだんとレパートリーも増えたし、根が真面目なのかレシピもメモして保管している。そのレシピが増える度に、主は柔らかい表情を浮かべていた。こんな表情も出来るのかと、タナカは内心驚いていた。
 カネチカと暮らしだす少し前辺りから、主は変わっていったと思う。一体この心境の変化はなんなのだろう?あんなにけだるそうで、何事にも無関心で、カネチカのことも仕方なく付き合っている感じがしたのに。

 そんなある日、いつものように主がやってきた。主は手にしていた紙袋をタナカに手渡した。
「これは?」
「……あけてみて」
 不思議に思いながら中を覗くと、紙の箱が入っていた。触るとひんやりしている。何だろうと思いつつ、箱を取りだしあけてみた。
「シュークリーム?」
「……うん。上手く焼けたから…その…」
「いただきます」
 タナカはひとつ取り出して、一口頬張る。
「おいしいです」
 パッと明るい表情を浮かべ、主は笑顔を浮かべた「そう」
「コーヒーをいれますから、一緒に食べましょう」
「いや、いい。………今日は帰る。またよかったら教えて欲しい」
「はい。いつでもかまいませんよ」
「ありがとう」
 主はそう言ってふわりと姿を消した。
 タナカは主がいなくなった場所を見つめながら、シュークリームを頬張った。

 ………と、あることにやっと気付く。
「そうか、主様はカネチカさんを………」
 受け入れたんだろう。だから、あんなに変わったのだと、やっと腑に落ちた。
「僕も…変わるのかな?」
 奴隷とは言え、ほぼ自由なタナカだったが、今まで恋愛をした事がなかった。寄生種として生きる前でもそうだった。あまり他人との濃厚な接触をしてこなかったのもある。
 ただ、全てに冷めた感じだった主が、ああも変わったのを目の当たりにすると、人を好きになるのも悪いもんじゃないな、なんて柄にもなく思ってしまった。

 嫌いで面倒な「食べもの」を好きな人のために「作る」なんて。
 最初は酷かった料理が、今では人に振る舞えるほどになっている。
 それに、あの嬉しそうな表情。………初めて見たかもしれない。

「ごちそうさまでした」

 気付くと全て食べてしまっていた。……空き箱を見つめながら、タナカは自分が料理を振る舞うとしたら、誰に?……などと考えていた。
 パッと浮かんだのは主だったが、だいぶ慣れたとはいえ、彼は食べるのが苦手だ。きっと迷惑だろう。
 タナカは頭を振って、席を立った。と、以前主が寝転がっていた場所が目に入った。
 日向ぼっこに最適だな、などと思いながらタナカはそこに横になった。
 ぽかぽかして気持ちよい。

 タナカは少しだけ、主が眠ってしまった気持ちが分かった気がした。

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