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ある使節の記録 第9話

 ———雨音がする。いつの間に雨が降ったのだろう。窓を見ると土砂降りだった。

「何を言ってるんです?」
 あの時、私はそう聞いた気がする。
「覚えてないのか。………まあ、だから生かされているのかもな」
「兄が、あの時僕を?」
「カネチカくんに初めて会った夜だろ?………君が殺されたのは」
「暗くて分かりませんでした。それに………私は……」

「殺されるのに慣れていたんだろ」

 先輩の言葉が深く響いた。……そうだ。私はあの頃殺され慣れていた。もう何度も殺されていて、数えることもしなくなっていた。
「なぜ、兄が僕を?一緒に星を見ようって誘ってくれたのに」
「殺されただけなのか?」
「え?」
「あの夜されたのは、それだけ?」

 私は息を呑んだ。———あの夜はただ殺されただけじゃない。私は………。

「あんなこと、兄がするなんて。まだ兄は中学生だったんですよ」
「充分だろ」
「僕は10才で………子供で………それなのに、あんな、実の兄弟に」
「ヒトならやるよ。もっと幼くても」
 先輩の声は無機質だった。私は混乱する。あんなことをしておいて、なぜこんな振る舞いが出来るんだ?理解出来ない。

「兄は、責任を感じて………目を離した隙に暴漢に襲われたから………」
「君が犯人を覚えてなくて、かつ生き残っていたからじゃないか?異常なほど執着するのは、いつ思い出すか不安だから」

 そんな事って。
 あり得ない?———いや、分からない。ヒトは想像以上に残酷になるから。

「兄が睡眠障害なのは、僕が思い出すのが怖かったからですか?」
「自分でもわかってないかもな。……無理矢理誰かにされたって思い込んでるのかも。でも、やったのは自分だから誤魔化せない。それで睡眠障害や異常な執着があるのかも」
「……にわかには信じられません。そもそもどうしてあなたはそんな事を知ってるんですか?」
 先輩はフッと息を吐いた。
「特別のせいだよ。………俺はカネチカくんの力を奪ってるからね。強い記憶は例え本人が忘れていても見せられるんだ。だからだよ」
「見せられる?」
「ああ。嫌でも目に入る。知りたくなくても」
「奪ってるって、どうしてですか?カネチカさんはそれを知ってるんですか?」
「いろいろあったんだ。説明はしたくない。でもカネチカくんは承知してるよ」
「………はあ」
 なんだか、ややこしそうなのでそこら辺は聞かないでおくことにする。それにしても、恐ろしいことが判明してしまった。兄が、あの夜私をあんな目に。

 何故?どうして?何のために?———しかも、のうのうと暮らしているなんて。

 これもヒトの一部なのか。ヒトは本当にわからない。兄は私の心配ではなく、自分の心配をしてあんなに怯えて苦しんでいたのか。
 なら、なぜあんなことをしたんだろう?あの行動に意味はあるのか?
 キャンプに誘ってくれたのは、私を殺すため?
 私は兄に殺されるようなことをしたのだろうか?

 わからない。
 わからない。

 人間が分からない。

 あの日、兄が私と二人きりのキャンプに誘ってくれた。親は心配していたけど、しっかり者の兄に説得され、ある山中のキャンプ場へ行った。親は近くのバンガローに宿泊していた。
 その晩、兄は私に星を見に行こうと誘ってくれた。もちろん親が寝静まった後だった。

 星が見られる広場は、少し離れていてそこへ向かう途中私は兄とはぐれてしまった。突然、兄の姿が消えたのだ。………あれは、はぐれたのではなく、兄が仕組んだことだったのか。
 その後、灯りのない私は兄を呼びながらその場を動けなかった。

 そして、私は襲われた。———あんなことを実の弟に出来るのか?

 保護された私が、犯人の姿を見ていないと言ったとき、兄は安堵したのだろうか。
 そもそも、首をへし折られていた私が生きていたことに戦慄しただろう。
 兄も殺したときの記憶が混乱しているのかもしれない。
 だとしても、兄はなぜ私を殺したんだろう。
 何故、今も生かしているんだろう。

 わからない。


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