人生のステップを踏むと見方が変わる映画
我々は、ただ生きているだけのように思えても、その日々の中で着実に人生のステップを踏んでいるのだ。分かりやすいターニングポイントを並べるとすれば、
20歳になり大人の仲間入りを果たすこと、
学生から社会人になること、部下から上司になること、
大切なひとができること、天からの授かりものを得ること、
大切なひとを失うことなどが挙げられるだろう。
無論、人によって経験していく順番や回数は異なる場合があるし、全員が上記すべての体験を経るわけでもない。それでも人は生きていく中で、何かしらステップを踏んでいるのだ。
そして、この世には、そんな我々の変化の多い人生に寄り添ってくれる映画がいくつも存在する。
前回の記事で、同じ映画を何度も観る人について言及したが、劇場公開中のものに限らず、DVDやサブスクリプションで繰り返し同じ映画を味わったことのある方には、ここまでで私の言わんとすることが分かってもらえるかもしれない。
そう。知らず知らずのうちに取り巻く状況が変わっていると、鑑賞の度に違った視点から観ることができる映画があるのだ。
今回は、そんな”観方が変わる映画”を紹介したい。
複数回同じ映画を観ることに抵抗を感じる方も、ぜひこの機会にチャレンジしてみてほしい。
容疑者Xの献身(監督・西谷弘/2008年)
東野圭吾原作「ガリレオシリーズ」の映画第一弾。
本作は、それなりの経験を経た大人になると、観方が変わる映画だ。
故に、明確なきっかけがあるわけではない。人によっては、最初から内容をしっかりと読み解けるかもしれないが、残念ながら私はそうではなかった。
言い訳がましいがまず言っておきたいのが、本作は私が11歳の時に公開されたということだ。
その当時の感想を雑にまとめるとこうだ。
<全体的に暗いなぁ。特に石神哲哉(堤真一)が暗すぎて最早怖い!花岡靖子(松雪泰子)のことが好きだから庇ったんだろうけど、そこまでする気持ちがよく理解できないな...そしておい花岡靖子、泣くくらいなら自首せえよ!>
ところが、時を経て大学生時代、とあるサブスクリプションで見かけ、暇だからと再生したそれは、最早全くの別物に思えたのだ。
物語の結末を観た時は、息ができなくなるほど涙が溢れて止まらなかった。
<ここまでの純愛映画を、私は他に知らない。愛という言葉すら、薄っぺらく思える映画だ>
私の本作に対する感想は、ガラリと変わった。
まず石神について。キャラクターとしては相変わらず暗いという印象を抱いたが、彼のこれまでの人生や生活を見てみると、すんなりと納得ができるし、むしろ共感や同情の念が湧く。
そして何より、そんな男の不器用ながらも屈折を知らない愛に、強く心を打たれるのである。
不器用なことに加え、物理の抜きんでた知識を持ってしまっていたが故に、
惰性的な生活の中で、母娘の姿を救いとした彼の、母娘への恩返しが
結果として「殺人幇助」という形になってしまったのだ。
そんな悲劇的な愛の成り立ちに共感できてしまう自分にも、少し驚いた。
そして次に言及するのは花岡靖子について。彼女は、一人娘の将来を脅かしかねない元夫を、ついに衝動的に殺害してしまうが、隣人である石神に助けられ、罪を逃れるという役どころ。
最初の印象としては前述の通り「泣くくらいなら自首せえよ!」なわけだが、そんなことができるはずがないのである。そもそも、彼女は娘を守りたいがために殺人という強行に出たわけだから、そんな娘を一人置いて、塀の中に入るわけにはいかないのだ。
だからといって、罪悪感を抱かないわけがない。石神の助言通りに隠蔽工作や、警察から疑いの目を向けられないような行動をとるが、常人としての良心と、娘を守り抜きたい気持ちとの葛藤が苦しい。
母親としての強さが、最後まで娘を守り抜く行動に繋がったのだろう。
と、私が彼女について理解できるのは、正直ここまでが限界だ。
何故なら、子を持ったことがないからだ。私にも守りたいと思える人や、愛する人はいるが、それとこれとは違う。
愛にも種類があり、”子を想う愛”を完全に理解できるのは、子を持つ親だけなのだろう。私が今後親の立場になることがあったら、この作品をもう一度観てみたいと思う。
本作は、何を差し置いても守りたい人への深い愛を描いた作品であった。
1997年生まれ、丑年。
幼少期から、様々な本や映像作品に浸りながら生活する。
愛読歴は小学生の時に図書館で出会った『シートン動物記』から始まる。
映画・ドラマ愛は、いつ始まったかも定かでないほど、Babyの時から親しむ。
昔から、バラエティ番組からCMに至るまで、
"画面の中で動くもの"全般に異様な興味があった。
MBTIはENFP-T。不思議なまでに、何度やっても結果は同じである。
コミュニケーションが好きで、明朗快活な性格であるが、
文章を書こうとすると何故か、Tの部分が如何なく滲み出た、暗い調子になる。(明るい文章もお任せあれ!)