見出し画像

中受して2年で退学したけど人生全然大丈夫だったよという話(+高専からの進学)

はじめに

こんにちは。私は中学受験にモチベーションがないまま挑み、公立の中等教育学校に不合格をいただき、適当に自分で言い訳をつけて納得していた四谷大塚偏差値43程度の私立中学に進学した現在20歳になる女です。
中学受験したけど子供が辞めたいと言っている、馴染めていない、他の道を模索している…などの方にとって、トイレにいるときに暇つぶしくらいにはなる記事だと思います。
noteを使い慣れていないのと、思いつきで書き殴っているため読みづらい文章になっていると思います。すみません。
「子供はこういうことを考えている」1つの例として収めていただけましたら幸いです。読みたいところだけ読んでください、身バレが恐ろしいのでところどころフェイクを入れています。

経歴

幼少期〜中学受験まで

私は3歳ごろから公文式を親にやらせてもらっていました。特に漢字については伸びがよかったようで、年中の頃に漢検10級を取得しました(保育園は全く普通の公立保育園でした)。その後は小学4年生まで公文3科、小学5年生から地元密着型の中学受験塾に通い始めました。本当に全く裕福な家庭ではなかったので習い事はスイミングのみ。あまり書くと身バレが怖いので詳しくは書きませんが、家庭環境は友人の誰に話しても心の底から同情されるほど酷い環境でした。塾の費用などは全て祖母が出してくれていました。

やはりある程度小さい頃から公文式をやっていたこともあり、小学生までの自分の自分への認識は本当にお恥ずかしい話、「私は天才なんだ!」でした。これは割とあるあるな話で、掛け算や足し算の計算がクラスの誰よりも早いとか、50問テストが100点だとか、そういうことで子供って自分のことをめちゃくちゃ過大評価するんですよね。(ここでいう過大評価というのは"他に自分より賢い子供を知らない"という意味での過大評価です)親に褒められるとでも○○ちゃんも100点だったよ、とかそんなに難しくなかったよ、とか言いますけどあれ実はめちゃくちゃ嬉しいんですよね。

多分そもそも受験に対するモチベーションがありませんでした。前述した通り、幼少期からなんちゃって勉強をしてきて「私は天才だから、このくらい本気出せばいけるでしょ」って本気で思ってるんですよ。
だから受験に最後まで真剣になれなかった。祖母には今では本気で申し訳なくなってるのできちんと(ほぼ)毎日肩を揉んであげています。
書いていて情けなくなってきました。
正直塾に通っていた時何を考えていたかあまり覚えていないんですが、とにかく塾の友達とふざけまくっていた記憶はあります。勉強していた記憶はありません、合宿でも夜に恋バナをしていた記憶と、途中の休憩でどっかの滝に行ったことしか覚えてません。
今、子供が塾に行っていて成績が伸びておらず友達とあまりにも仲が良い様子を見せているなと思っている親御さんは転塾を考えた方が良いですよ。
1億%遊んでいます、勉強なんかしていません。

さて、肝心の受験結果ですが以下の通りです。
1日午前 四谷偏差値54 不合格
1日午後 四谷偏差値48 スライド合格(下のコース)
2日午前 四谷偏差値56 不合格
3日 県立中等教育学校 不合格

元々本命が公立中高一貫だったこともあり、1日目に合格をもらった中学に入学を決めました。その時は校舎は綺麗で、タブレット学習で、制服が可愛いということからその学校も魅力的に思えていたし、むしろ公立中高一貫は校舎はボロいし何がいいんだかよく分かってなかったので何も悔しくなかったです。あー、落ちたんだ、って感じだったと思います。
ここで私の中学受験は幕を下ろしました。


私立中学入学〜退学まで

さて、待望の中学入学です。
同じ塾の仲良し女子が一緒に入学だったこともあり、私は興奮しっぱなし、これから始まる中学校生活に胸を躍らせていました。
それで、5月。

速攻ハブられました。1人でした。

友達0人。
私含め、気が強い子が多かったんだと思うんですけどなんか陰湿だったんですよね。いじめではないけど…みたいな。なんでハブったの?とか今更聞く気はありませんが、強いていうなら私の見た目と言動、またクラスで1番気の強かった子がそれらを生理的に受け付けなかったことによると思います。
しかも成績も最悪でした。小学校の時のカラーテストは勉強しなくても100点取れました。ね、そりゃね。で、中学はどうかって、普通に下から数えた方が早かったんです。これは私の鉄板ネタなんですが、中学1年生の終わりまでHeとSheの違いがわかっていませんでした。
勉強はできない、女子にはハブられる、で割と満身創痍でした。メンタルがなんでかアホみたいに強かったので、音楽でペアを組んで発表する授業で誰も組んでくれなかった時は1人で名前を書いて提出しました。
そのまま中学2年生になって、転機が訪れました。勉強の仕方がわかったんです。なんとなく惰性で、適当にやっていたテスト勉強が、めちゃくちゃ楽しいものになりました。(もちろんメンタルの浮き沈みでムラは激しかったし、諦めが働いてやらなくなることもありましたが…)これ本当に恥ずかしいのであまり見せたくないのですが、参考になればと思って載せます。中学2年生の私の成績表です。


中学2年次の成績表

クラスの分母は26人くらいで、コースはその倍の52人くらいだったと思います。見てもらえると分かる通り、急に1学期の期末から成績がわりと伸びてるんですよね。最後の方ですが代数で100点も取りましたし、理科に関してはずっと成績上位者に入っていました。英語はずっと苦手でした。
この時に「勉強すれば勉強ってできるんだ…」と思いました。そこから、合わない校風、合わない同級生、楽しく無くなってしまった部活など様々なことを考えてこのまま内部進学するのではなく、外部の高校を受験することを視野に入れ始めました。(ここまでもこれからも、ほぼ親の前向きな関与はありません。祖母は中学に入って成績が落ちてしまったことをもうどうしようもないと思って諦めていたそうです。なので成績が上がった時は喜んでいました。本当にもうしわけない。)
本当は外部受験なら3年まで中学に通い切ってからでもよかったのですが、

  • 見て分かる通り内申が全く取れないこと

  • 別にあと1年残る理由もなかったこと

  • 学費もったいないな、と感じてしまったこと

から、公立中学への転入を決意しました。
まぁ、なんだかんだお別れの色紙と打ち上げ会をしてもらえるくらいには女子との仲は戻っていました。その時の私の名誉のために言っておきます。

公立中学への転入、高校受験

3年生からの公立中への転入です。
その時色々あって、小学校の学区からは電車で15分くらいの叔母の家へ移り住んだため、小学校の時の同級生は全くいない状態での転入でした。
先に言っておくと、小学校の学区が同じ中学に行っていたら絶対にこれ以降の人生はメチャクチャになっていたと思います。私の小学区の中学は例えると「地元のヤンキーが高卒後そのまま働くか専門学校に行って若いまま結婚して早めに子供作って…の繰り返しのようなうだつの上がらない地区」の中学校だったためです。私の両親もモロそんな感じでした。
転入後の中学は、場所柄もあり活発だけどいじめはなく、1番の"ワル"はピアス開けて学校に来る、くらいの平穏な学校でした。最初変な自己紹介をかましてしまって1軍男女に目をつけられることはあったものの特にいじめなどに発展することもなく、合唱コンクール後にはかなり仲良しになり高校に入ってからメイクを教えてもらうくらいには仲良くなりました。

肝心の成績の話ですが、結果として取れた成績は「オール4+1」でした。内申点で言えば37ですね。というのも、私はずっと実技教科にめっぽう弱く技術・家庭以外は3だったのが大きいです。体育に関しては2スレスレでした。
ちなみに、同じ私立を辞めた同級生は中3の2学期から地元の公立中に行ってオール5取ってました。ひょ〜て感じですね。すごい。

志望校は最初公立の偏差値55程度の高校にしようと思っていて、そのまま11月まで模試S判定のまま勉強していました。
気が変わりました。
中学生の移り気は恐ろしくて、それまでずっと真剣に目指していたその高校はどうでも良くなってしまいました。そこまでさせた別の学校ってじゃあなんなの?って思いますよね。中学受験界隈の皆さんはもしかしたら全くご縁のない学校かもしれません。高専です。

高専、高等専門学校とは16歳から20歳まで、5年間かけて通う特に工学系に特化した学校で、卒業後は就職は大手メーカー、進学についても東大、東工大、筑波大、阪大など名だたる大学を3年次編入で狙うことができます。実際、私の同級生も東大、阪大、東北大あたりには行っていました。トップ層じゃなくても都立大、農工大、海洋大など上位国立理系単科大学は余裕で狙えますし、学校の成績で推薦で入れてしまうこともあります。
しかし男女比が学科によっては9.5:0.5、赤点も60点、入ってからすぐに旋盤加工やフライス加工、鋳造などの実習があったり、留年率は普通高校の100倍程度で生半可なところではないのも事実です。(私のクラスはおそらく15人くらいは学校を辞めました)

私は実のところ、工学に興味があるわけではなかったんですが、頭髪・制服の縛りがないことや編入制度が魅力的すぎて、もうここしかない!ここにいく!絶対に通う!と親を説得し、急遽最後の進路相談表に高専と書いて学校にも出しました。 
2月、思惑通り無事に推薦で合格できました。

たった1年の中学校生活でしたが、卒業する際には大泣きして成人式もその地区のものに出て、飲み会でも大暴れしました。お世辞みたいですが「本当にたった1年いただけとは思えないほど馴染んでるし、実際1年だけだったの忘れてた」みたいなことを結構な割合で言われました。嬉しかったです。

高専入学〜現在まで

高専に入学してからの話は話すと長すぎるので割愛しますが、めちゃくちゃ充実してたしめちゃくちゃ楽しかったです。これから一生付き合っていくんだろうな、というかけがえのない友人を性別の垣根を超えて作ることができたというのは、たとえ今後そのつながりがなくなったとしてもいい思い出になるだろうなと今からじんわり感じています。卒業旅行では8人で沖縄に行きました、人生で1番楽しい3日間でした。

高専次の成績についてですが、最初は頭のいい人たちばかりだな..と思ってかなり気圧されていたものの2年からは割と上手く立ち回って頑張っていたのでずっと上位10%くらいで、そのまま大学にも3年次編入でまぁ早稲田とW合格したら6割はこっちに来るだろう、くらいの国立大学に進学しました。やりたい研究があって第一志望だったし、小中の自分の学力からしたら十分だったので満足しています。(私はネットに転がっている編入体験記のように旧帝を目指したわけではないです)
ちなみに高専の編入試験は国立でも私立でも日程が被ってさえしなければ何個でも受けられます。(東大、京大、東工大、その辺全て受かっていた人をネットで見たことがあります)私はもう1つ、都内の某国立医系単科大学にも合格をいただきました。
大学生活に関しても楽しいです。正直、1年から上がってきた子よりも高専から3年で編入してきた子の方が全然成績もいいですし、研究に対する熱意も全く違います。私が高専に入ってよかったなと思うのは、工学が好きで入ってきている人がほとんどなのでいろんな分野について"学ぶのを辞めない"人が本当に多いことだなと感じます。

最後に

私以外にも、中学受験して入った学校を辞めた同級生は何人かいました。残念ながらネガティブな理由で辞めた同級生についてのその後は知りませんが、高校受験のために辞めた子たちは軒並み割といい高校に入れています。
せっかく中学受験したのに!と思う気持ちはわかりますが、意外と辞めてからの道って沢山あるし、それなりの偏差値の公立高校ではそれなりの子たちが揃っていて、公立中学とはまた話が違ってきます。6年間同じ環境に身を置くのももちろん良いと思いますが、何か悩み、思うところがあるならば思い切って高校は別のところにしてしまうのも手かと思います。高校受験は中学受験に比べて親の負担は少なく、干渉することもあまりありません。どこの家庭もそうです。内申があって、その子の学力があって、あとは塾に任せるって感じだと思います。

今、いろんな理由で悩んでいる中学生・中受生、またその親御さんたちに少しでも他の道を知っていただけますように。質問などありましたら、コメントの方にどうぞ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?