「自分の弱みを取り戻す」という選択/弱みを取り戻すことのメリット(仮説)

最近、ひょんなことから、特性ということについて考えていて、特性の一つである「弱み」を自分の中に再発見したことで、色々な気づきがありました。

自分のノンフィジカルな弱みって、ある程度普通に生活をしていると、忘れることができている。しかし、それを思い出したり言語化したりすることによって、それを自分の一部として「取り戻して」みた。すると、自分の肯定感に納得感がまし、さらに強みや得意が、よりシンプルに際立つように感じる気配がある(まだ途中過程)。

もしかしたら、キャリアプランなどでも、強み・弱み分析とかで「強みは弱みの裏返しをちょっと書いて…」みたいな小手先のことをするのではなく、自分の本当の弱みから出発した方が、しなやかで、持続性のある、自分に優しいものができるのじゃないか。

ここで言う「弱み」は、簡単に言えば「苦手なこと」。ただし、本人が忘れがちな「弱み」には、下記のような特徴があると思う。
・他の人と同程度のレベルで実施するのに工夫や頑張りや忍耐が必要
・社会人として「できない」ことが許容されないタイプのもの
 (跳び箱飛べない、泳げない、算数が苦手などは含まれない)
・社会人としてできれば隠しておきたいタイプのもの
 (基準としては面接で大ぴらに言うには相応しくない類の苦手なもの)

誰でも苦手なことはあって、それを克服(と言っておこう)または覆い隠して社会人生活を送っていると思う。けれど、苦手なことを多大な労力を払って、他の人と同じかやや上のレベルでやろうとすると、必然的にストレスが溜まって自分が疲れていってしまう。しかも、自分の弱みを自分で忘れている場合、ストレスの原因がわかっていないため、結果として、自己肯定感に波が出たり、モチベーションが低下したり、会社に恨みをもったり、環境に責任転嫁したり、他人にフラストレーションを感じたりするのじゃないか。

社会人たるもの、苦手なことをやらざるを得ない時は、もちろんある。自分の特性の理解を深め、弱みを再発見しておくことは、そんな時に自分にかかるストレスを織り込み済みにできると言うメリットがある。自分の苦手意識や弱みをオープンにしたり、せめて自分でだけでも認めることで、他の部分で自分の負荷を減らしたり、未来のためにそれが得意な相棒をトレーニングしたり、自分主導の選択ができるようになる。ゆくゆくはキャリアの方向性を修正したり、部署の移動を希望したり、自分に優しい働き方の選択をできたりもするかもしれない。

弱みを忘れ去っている状態、自覚していない状態というのは、自分の苦手を無視して(もしくはそれに無自覚で)頑張ってしまうリスクを負っている。結果、高負荷状態が続き、原因不明のストレスがたまる。高負荷状態になっている原因に本人が無自覚なために、解消法がない。側から見ても、その状況を察知することは難しい。まさに、普通のパフォーマンスを出すのに、なぜか勝手に高負荷状態になっているだけなので。人間にコンパネがついていて、負荷の程度がわかれば面白いのにと思う。

しかし、その状況が続くと、負荷のために当然自分に不具合が出る。また、防衛本能によって、誰かや何かに対して転嫁してしまう可能性がある。転嫁のパターンでは、そもそもの原因を本人がわかっていないため、相手にとっては言いがかり的な状況となり、現状改善が見込めない悪循環となる。

そもそも、なんで自分の弱みを忘れ去ったのか…?と振り返ると、学校教育では「みんなと同じことができるようになる」という目標があったなと思う。また、日本社会の持つ割りと強めの「同調圧力」により、自分の弱み、不得意なことは、大人になる過程でカバーできるように教わった。「社会人としての振る舞い」をそつなく行えることが、良い社会人だと思っていた。

教育も社会の同調圧力も、根本的に悪いことだとは思わない(学校教育を否定する人、社会の同調圧力をものともしない人々の様子を、特に外国で生活していると目の当たりにする機会が多いため)。他の人と同じことができる、というのはある意味自分に自信を持つことにもつながる。また、同調圧力を柔軟に乗りこなせば、集団生活のメリットを享受できる。しかし、それにより、自分の弱みは自分自身によって忘れられたのだな、と思う。

カバーされ、他の人と比べても目立たなくなった弱みや不得意なことは、あたかも克服され、消え去ったかのように、自分自身からですら目を背けられていく。しかし、それが「特性」の一つであるのであれば、自分の一部から完全に去ることはないのではないか。そして、自分にも気がつかれないくらい上手にその部分をカバーするのに、知らず知らずのうちにかなりのエネルギーを使っているとしたら。それによって、負荷がかかることに無自覚的でいることは、危険なのではないか。自覚的であったら、圧倒的に自由になれるのではないか、思うのです。


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