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個別最適な学びについて考える(28)ー水越敏行(1973)一斉授業における指導の個別化をどうはかるかーから
おはようございます!
今回は,水越敏行氏の1973年の記事『一斉授業における指導の個別化をどうはかるか』をテーマに,一斉授業が抱える課題と,その中で個別化された指導をどう実現するかについて考えてみたいと思います。
一斉授業は多くの生徒を対象にするため,個別のニーズに対応するのは容易ではありません。しかし,水越氏はその難問に真摯に向き合い,個別化をどうはかるかについて独自のアプローチを提案しています。
さて,一斉授業と個別化の課題に共に立ち向かり,水越氏のアイデアを探りながら,一緒に,個別最適な学びの可能性を追求してみませんか?
それでは早速記事を読んでいきましょう!
個人差をなくすことが究極の目標でない指導の個別化という問題を考える際には,どうしても前もってはっきりさせておかねばならないことがある。それは「個人差をなくすことが,究極のねらいなのか,そうでないのか」ということである。
(中略)
しかしながら,その時点で究極目標を停止できないととろに,教育のむずかしさと深さがあるのでなかろうか。みんなの者が,同じ理解・判断・評価ができるという一線にそろえたということだけでは,教育の究極目標の半分にも達していないのでないだろうか。むしろ共通理解のうえに立っての個性的なずれの追究ということにこそ,指導の個別化の本来のねらいをおきたいと思うのである。だから「個別化(individualization)」をはかるというよりも,「個性化(personalization)」をめざすといった方が,私の気持を正確に表現できるといえよう。
個人差をなくためではなく,むしろ個性化を伸ばしたいという表現が正しいのでしょうか?
そのように論が書かれているように感じます。
確かにみんな一緒であれば,面白みはありません。
個性があるからこそ,いろんな学習に発展していくと考えられます。
今回は一斉指導時であるので,共通理解を持った上で指導の個別化を図り,さらに個性的なずれを発展させていきたいと考えているように思えます。
私自身は,こっちの考え方に近く,個人差をなくすだけでなく,その子の個性を伸ばしていきたいと考えています。
そのほうが,生涯的にも必要な力が身についていくと考えられるためです。
以上のことに尚若干つけ加えるならば,こうした個性化は,生涯教育の究極目標というような深遠なものとしてかかげられるだけではなくて,授業のケタにおろしても尚かつ,授業目標に位置づけられねばならない。
その後にこのように書かれているということを考えると,水越先生は生涯においての目標としても,指導の個別化を捉えていたのかもしれませんね。
この本は,現代教育科学の雑誌に掲載されたものなので,確認はできないかもしれませんが,ぜひ探して読んでみて下さい!
本日はここまで!また次回の記事でお会いしましょう!
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