ほんとうのじぶんを受け入れてほしい
小学4年生から芽吹き出した希死念慮は、24歳になりそうな今には心に深く根を張って年々肥大化していくばかりである。
「私はどうしてこんなにも死んでしまいたいんだろう」と14年間近く悩み続けてきたが、このところその回答に仮説が浮かんできた。それは“人生最大の願いが叶いそうにない”というものである。
その人生最大の願いこそが表題である。幼い頃から誰かの目を気にしてかなり無知をして自分を演じてきた。常に誰かの目を気にしながら自分を取り繕っていた。あるときは相手の望む反応をし、あるときは舐められないように自分を大きく見せていた。それはある種の防衛本能であり、「頑張っている」状態が普通だったし、周りの人間にはその姿が通常時の私だと捉えられている。
もちろん自分の首を自分で締め続けているのは重々承知なのだが、それでも作っている自分の向こうにいる臆病で常に愛と優しさを求めている幼い自分を見つけてほしい、頑張らない自分を承認してほしいという願いは消えることがない。
これからもきっと、いや絶対に本当の自分の姿を人に見せて愛してもらうことは叶わないのだろう。そんなことを思うと目頭が熱くなって息苦しくなってきた。もう生きていたくない。そのくせほぼ確実に死ねる溺死を選ばない自分が情けない。
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