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「自分を磨く」ということ

2024年上半期をめどに、新1万円札の顔となる日本を代表する実業家、渋沢栄一の「論語と算盤」の中で、

「修養」 - 自分を磨くということ 

について説いている一節があり、その中で語られている内容にかなり共感を覚えたので、頭の整理も兼ねてまとめてみました。

「自分を磨く」とは、

「自分を磨く」という言葉を聞くと、大多数の方が、知恵や知識を蓄えることを思い浮かべると思います。

そして、本書の中でも知恵や知識を蓄えることを「学問」と謳っております。ただし、知恵や知識ばかりをひたすら蓄えると、頭でっかちになってしまい実践が伴わないと危惧しております。

自分を磨くことは、理屈ではなく、実際に行うべきこと。
だから、どこまでも現実と密接な関係を保って進まなくてはならない。

ここで語られている内容の通り、自分を磨くということは実際に学んだことを現実の世界で表現していくこと、まさに「現実と学問との調和」が重要であると語られております。

現代の社会ではどうか

私自身、大手企業とベンチャーの計2社を経験してきましたが、「自分を磨く」ということに対して、仕事での結果(「現実」の部分)が一番の評価軸になっています。ここは一つ安心しましたが、知恵や知識の結果(「学問」の部分)についてもある種、評価軸の一つになっていることは否めません。

例えば、新卒から在籍していた大手SIer企業では、情報処理技術者資格が査定の一つになっていたりしました。

しかしながら、内部事情で言うと、いくら情報処理技術者資格を沢山持っていても現実の業務に直接的に結びつくということはないということは誰しもがわかっていることではあったので、全社的に「現実の業務+α」という位置付けであったと感じてます。

逆にベンチャーでは、「学び」に対して貪欲な人が多く、現実と学問を混同して考えている人がそれなりに多いような印象があり、「知識が豊富=市場価値が高い」と捉えている人も少なからずいそうな雰囲気ではありました。

私自身も入社当初はビジネス知識が足らなさすぎて、体系的に学ぶことに躍起になっておりましたが、いくら頭でっかちになっても実践できなければ「絵に描いた餅」で終わってしまうことを悟ってから、実践(アウトプット)を心がけるようにしております。

「自分を磨く」のもう一つの意味

「自分を磨く」という言葉の中には、もう一つ重要な意味が込められているのですが、それが以下になります。

「自分を磨く」というのは、自分の心を耕し、成長させること。

もう少し詳細を述べると、「練習」「研究」「克己」「忍耐」といった熟語の内容を全て含み、理想の人物や立派な人間に近づけるように少しづつ努力することを意味しております。

つまりは、いち社会人として、そして、一人の人間として、正しい判断(決断)ができるようにするための精神力、社会的な道徳心を鍛えることになります。

儒教の『四書五経』の一つである『大学』という古典の中では、

格物致知 - モノの本質を掴んで理解する

であったり、王陽明という思想家が説いた、

致良知 - 心の素の正しさを発揮する

といった考え方について、すべて自分を磨くということを意味していると「論語と算盤」の中では語られております。

それでは、精神力、社会的な道徳心を磨くために具体的にどうすれば良いのか、ということなのですが、

私は、過去の儒教や聖書をかいつまんで、そこから学びとることが必要なのではと感じました。

まとめ

ここまで色々と書かせてもらいましたが、まとめると、

「自分を磨く」ということは、本を読んだり動画を見たりして単純に「学問」を養うことだけではなく、「現実」の社会に生かすために実践することが大切だということです。

また、実践する中で正しい決断を行えるための精神力や社会的な道徳心を養うために日頃から古くから語り継がれる「儒教」などの思想家の教えに目を通しておくことが大事だと思います。

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