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贖罪

父が兄に馬乗りになって殴っている光景が何度も夢に出てくる。
ハッと起き上がった。鼓動が早くて、汗をかいていた。
時計を見ると、午前三時半。
どうしたの、と隣の修二が掠れた声を出した。起こしちゃってごめん、ともう一度布団に入ると、後ろから抱きしめられた。そのまま目を閉じて、じっと朝が来るのを待った。

私は証券マンの父と大学教授の母から生まれました。横浜で育って、今は丸の内の広告代理店で働いています。
妹はお茶の水大学に通っていて、春からニュージーランドに交換留学に行くそうです。
外から見たら、かなりのエリート一家だと思います。
ただ、その分昔から厳しく育てられてきました。やはり、女親は女の子に厳しく、男親は男の子に厳しいのは人類の性なのでしょう、私と妹は小さいころから英会話、バレエ、ピアノ、習字、塾とたくさんの習い事をさせられ、家では祖母と母に礼儀作法を厳しく叩き込まれました。
一方で兄は、習い事は英会話と塾のみでしたが、家では常に父に宿題の出来をチェックされ、悪ければ叱責を受けていました。
幼い子供にとって、男の大人の大声というものは非常に怖いものです。私も妹も、いつも兄が怒られているのを横目に可哀想と思いつつ、一方で自分ではなくてよかったと、どこかほっとしていました。
小学校までは私たち妹兄の仲は順調でした。くすぐり合戦をしたり、外で一緒にサッカーをしたり、妹の自転車の練習につきあったり、この頃の兄は面倒見がよく、私と妹とよく遊んでくれました。勉強ができ、面倒見がよく、父の叱責にも耐え強い兄のことを尊敬していましたし、私の自慢でした。
しかし、中学になってすべてが変わりました。
第一志望の私立の中学に進学した兄は、父の期待でできたレールの上をついに走り始めたのです。
毎日課題と塾に追われ、家でテレビでも見ようものなら父の叱責を受けていた兄は、いつしか部屋に籠るようになりました。遊ぶ回数が減り、話す回数が減り、顔を合わせる回数が減り、やがて他人のようになっていきました。

私と妹も、無事第一志望の私立女子中学に入学しました。私が三年生の時に妹が一年生でした。二人で帰っていたある日、途中で雨が降ってきました。妹は傘を持っていなかったので、相合傘をしました。
その日は本屋に行くために兄の高校の近くのバス停から帰りのバスに乗りました。妹と、どしゃぶりだねぇと話をしながら、じめじめとした六月の気持ち悪い暑さで滴る汗を手で拭い、降りしきる雨の中行き交う車をぼんやり眺めていました。
複数の女子の声が遠くから聞こえてきました。制服を見ると、兄の高校の生徒のようです。
女子高生というものは普段どんな会話をしているのだろう、と興味をもち、私たちは静かに彼女たちの話に耳を傾けていました。どうやら気になる男の子の話をしているようです。
なんだか高校って楽しそうだなと、そう思って聞いていたのですが、瞬間、心臓がひゅっとなりました。
「東谷くんはないでしょ。肌はきったないし、なんか顔も声も話し方も気持ち悪い」
あずまや。兄の話だ。
私は硬直してしまうと同時に、恥ずかしさで顔が赤らんでいくのが自分でもわかりました。私が彼の妹だって知られたらどうしよう。私も馬鹿にされたらどうしよう。そう思って、顔を見られたくなくて、必死に傘を傾けて顔を隠しました。傘から零れ落ちた雨粒が地面に落ちて私の靴下を濡らしました。その様はまるで、私の中の“誇らしい兄”という像を砕き、私はその破片で刺されたようでした。

高校に上がった兄は、医学部を目指して勉強していました。相変わらず私たち妹と兄との間に会話はありませんでした。この頃の兄は、私たちを恨めしい目で見るようになっていました。父からの叱責を受けない私と妹。叩かれる兄を哀れな目で見て放置する私と妹。でも仕方ないのです、なんてたって、父は怖い。兄は、昔から怒られているから、慣れているでしょ。それよりも、もっと容姿や話し方などに気を使ってほしい、学校の女の子に馬鹿にされる兄を持っているなんて恥ずかしい。私の方こそ兄が恨めしい。この頃の私は、そう思っていました。

兄は東大理Ⅲに落ちてしまい、浪人することを決めました。これが間違った選択だったのかもしれません。
浪人はうまく成績が伸びないという話をよく聞きますが、兄もそのパターンでした。毎日塾に行って、家でもずっと勉強していましたが、9月の模試でE判定でした。
次第に兄は、塾にもいかなくなり、勉強もしなくなっていきました。部屋に籠りっきりで、夜中の三時ごろになると階段を下りる音がし、次の日のリビングにカップラーメンのごみが置いてありました。
この兄の生活に父が黙っているはずがありませんでした。
父は一か月の出張で家を留守にしていたのです。
帰ってくるなり、兄をリビングに引っ張り出し怒鳴りはじめました。私はリビングで課題をやっていたのですが、階段を下りてくる音が聞こえたあたりから鼓動が早くなって、体が硬直してしまい、自分の部屋に逃げることができませんでした。
兄の態度は、初めて見るものでした。目を合わせず、父の話を聞こうとしない。こんな反抗的な態度をとっているのを、見たことがありません。
私は自分の課題に集中しようと、全く頭に入ってこない文字の羅列を何度も目で追いました。
突然、兄の叫ぶ声が耳に入りました。
父が、馬乗りになって、拳で兄を殴っていました。何度も何度も殴っていました。避けようとする兄の体を固め、上から何度も殴っていました。
声を聞きつけた母と祖母が和室からやってきて、父を止めに入りました。
こちらに向けていた背中が震えていました。兄は、私から俯いて静かに泣いていました。その日から兄の頬にできた今も残る青あざは、私たち妹への消えることのない激しいコンプレックスを表しているようでした。

その日から、父と母の言い争いが絶えなくなりました。父は、兄をあそこまで放置した母を責めました。母はここまで自分勝手に育てといて勝手に転嫁するなと言い返しました。
夜中にリビングから言い争いの声と物がとびかいました。そのたびに私の心臓はひゅっと小さくなって、鼓動が早くなって、呼吸が早くなって、体が硬直してしまうのでした。
父と母は、私が大学に入学した後に離婚しました。

今日は、すっかり気持ちの良い春の陽気でした。私は留学してしまう妹の送別ということで、ランチに来ていました。
窓際の席に案内され、桜が咲き始めた隅田川の川沿いの景色を見ながら、他愛もない話をしました。
妹がふと、そういえばね、と切り出しました。
「お姉ちゃん、覚えてる?中学の時にお兄ちゃんの学校の近くのバス停から帰った日、そう、○○書店行った帰り。その日に、お兄ちゃんの学校の女の子が、お兄ちゃんの悪口、言ってたの、それ聞いて私、かっこよくなくて話し方気持ち悪い兄がいるって、すごく恥ずかしいって思っちゃった。お兄ちゃんの妹ってばれたらどうしようって思っちゃった。すごくお兄ちゃんに申し訳ないことをしちゃったなぁって、今でも思ってる。」
兄は、結局大学には行かず、今も部屋に籠っています。
兄は、私と妹を恨むとともに、とてつもない劣等感を抱えていると思います。同じ親元に生まれたのですが、生まれた順番と性別が違っただけで、勝ち組と負け組になってしまったのですから。
妹は兄に寄り添っていこうとする優しい姿勢が見て取れます。実家に帰っても、兄に積極的に話しかけているようです。
私も、あの日、傘から滴り落ちた雨粒に刺された私の兄へのコンプレックスを、反省しようと思います。私も、兄に申し訳ないことをしました…。

なんて言うわけねぇだろ。
私が実家に帰り、廊下で兄と鉢合わせても、何の会話もありません。
私が兄に寄り添おうとしないのは、単純に私が兄のことが嫌いだからです。兄は確かに可哀想です。しかし、敷かれたレールから脱線したのはやはり兄自身です。全ては当人の能力不足なのです。もっと身だしなみに気を使って、学校でうまく立ちまわっていれば、女の子達からあのように言われることもなかったし、大学受験も腐らずなんとかやり切れば、今頃立派な医者になっていたのです。
私は成績が伸びず父から叱責される兄を、女の子達から馬鹿にされている兄を、父から何度も殴られている兄を、引きこもりになった兄を、小さいころからずっとこのような兄を見て育ってきました。その反面教師で人一倍努力しました。中学に入ってからは忙しくなりましたが、習い事もすべてやり切りました。東大文1に現役合格した後、兄が馬鹿にされていた容姿に、少なからず似ていた私は、ラウンジで稼いだ金で美容につぎ込みました。広告研究会に入ってミスコンを取り仕切っていたことをガクチカにして就職活動に成功し、今は第一志望であった博報堂で働き年収800万稼いでいます。三井物産の彼氏もいます。
横浜で育ち、県内トップの中高一貫の女子高に通い、東大から大手広告代理店。父は財閥系金融企業の証券マンで、母は大学の教授、妹はお茶の水女子大学の四年生で春から留学に行きます。兄はニート。こいつは、私の美しい経歴の中での、唯一の汚点なのです。

閉じた瞼の裏で、昔のことを思い返していた。
自分でもわかっている。
表向きは兄を責めたいと思っていでも、今でも夢で見るということは、兄が潰れてしまう前にレールを走り切る手を差し伸べなかった私を、私の潜在意識が責めているのだろう。私は心の底では、兄に申し訳ないことをした、とひどく後悔しているのだ。兄の将来を潰した罪に、一生呪われるのだろう。
時計に目をやると、もうすぐ朝の五時。今日は大事なミーティングがあるのに。仕方ないから起きて資料作成でもするかと、カーテンの隙間から外を見ると、私が兄へのコンプレックスで刺された日と同じような、ひどい土砂降りだった。

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