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日陰と日向の境目が二分した

2024年1月前半の日記です。
写真はその日とほぼ関係ありません。


1月1日 月

母が作ってくれたお雑煮のぶりが美味しかった。

夕方テレビを観ていたら、能登地震のニュース。心がざわざわする。

叔母が来てくれて、家が一気に明るくなった。会話が少なめなうちの家族は、話し上手の叔母にかなり助けられている。

1月2日 火

田舎にある祖父母の家に行った。

祖父はボケているけど、悪いボケ方ではない。周りを攻撃しないし。
醜悪なボケ方をする人もいる。どうボケるかは自分の意思で決められるものではないように見える。
自分の両親や自分が、どんなふうにボケるのかちょっと不安だ。

羽田空港の大事故が起きた。やるせない。

1月3日 水

駅伝の最後だけちょっと観た。2位で喜べない駒澤大学。強豪はつらい。

たとえば避難所で、自己中心的で攻撃的な人間が1人でもいたら、自衛のために他の人も攻撃的にならざるを得ないし、支援する側も虚しくなるだろう。たった1人のせいで。

『あんたの夢かなえたろか』がめちゃくちゃ面白かった。
「ビリビリ椅子を受けるのが夢」という看護師の岩崎さん。コロナで仕事が大変だった頃に始まったラヴィット!は、彼女にとって朝から元気をくれる栄養剤のような番組らしい。
好きが溢れていて、素敵で最高だった。

1月4日 木

翌日正午に予約していた飛行機の欠航が決まったので、新幹線を予約する。もともと取ってた飛行機より1万2000円高くなってしまったのが結構痛い。

消化するのに少し時間がかかったが、新幹線チケットを購入することは、飛行機の利用者も引き受けるべく、年始に多くの臨時列車を出しているJRの皆さまへの感謝だと思うことにする。

JRの方だけでなく交通インフラ業界の皆さま、本当にありがとうございます。

1月5日 金

福岡最終日。

年末旅行中に読み終わった『きみは赤ちゃん』を母に貸した。
川上未映子さんが妊娠期間と子育て期間のことを書いているエッセイで、ぜひ母にも読んでほしいと思った。
読みながら、姉とわたしを産んだときのことや、赤ちゃんだった頃のことを思い出したりするだろうか。してほしいな。今度帰ったときに感想を聞かせてほしい。

母が最寄りの駅まで送ってくれた。この寂しさにはなかなか慣れない。

新幹線の5時間はずっと『すべて真夜中の恋人たち』を読んでいた。あっという間に東京についた。快適な旅だった。

1月6日 土

『枯れ葉』と『ファーストカウ』を観た。

レターパックで読み終わった本を送ってくれと母に頼まれたので、本を選ぶ。
こういうのが好きかな、この著者のことを知ってほしいな、息子の好みも感じてほしいな、などといろいろ考える。

人に本を選ぶ時間は幸せだ。
結構悩んだ末、リクエストされてた『ナナメの夕暮れ』に加えて、『時をかけるゆとり』『いつも旅のなか』『本当はちがうんだ日記』を送った。

いろいろ後ろめたいこともあったりして、家では口数が少ない息子なので、本を通じてでも、好きなものとか考えてることとかを共有できたらと思う。

📘

1月7日 日

午前中は『カヨと私』を読む。

湯島天満宮に行く。
おみくじが大吉だったので彼女にあげた。今年はすべての幸運が彼女にいってほしい。

お酒飲んで、上野公園を散歩しながら、紅白で仕入れた「オトナブルー」と「ビートdeトーヒ」のサビをエンドレスに歌い続ける。気持ちがいい。

1月8日 月

『カヨと私』を読んで、年末の旅行日記をきちんとまとめる。

エンタメ系のコンテンツは絶対に倍速視聴なんかしないと思ってたけど、最近YouTubeのアプリが画面を長押ししたら2倍速になるように変更されてから、結構倍速で再生してしまっている。
目当てのシーンに早く辿り着こうとしてしまってる自分にショックを受ける。

深夜に『ファミレス行こ。上』を読む。

明日から仕事か・・・。

1月9日 火

仕事始め。結構忙しくて、ちゃんとしっかり働いた。疲れた。

ディズニープラスで『季節のない街』を観始めた。
池松壮亮と仲野大賀と渡辺大知と又吉が出てるなんて贅沢すぎる。

池松壮亮と仲野大賀って、ちょうど補完し合うような俳優に思える。
影の中にエネルギーを感じさせるのが池松壮亮で、エネルギーの中に影を感じさせるのが仲野太賀。

あくまで個人の感覚です。

1月10日 水

ちゃんと失敗や挫折を経由することは大切なのだと自分に言い聞かせる。

1月11日 木

在宅勤務といえど朝の時間は惜しい。
インスタントコーヒーの方が楽ですぐできるだろうけど、ドリップバッグを使い続けている。
全然味の違いとかわからないけど、何かへの抵抗としてドリップバッグを買ってる。

夜用事があって電車に乗ってたら、隣の女性のスマホのホーム画面に「転職」というフォルダがあって、転職関連のアプリがたくさん入ってた。
ファイト!

1月12日 金

仕事で納得いかないことがあった。
原因はコミュニケーションの齟齬なのに、こっちだけが悪いような言われ方をされた。

それからわたしの悪いところが出る。不満を全く隠せないこと。
あからさまに態度に出す。たまにプライドが高そうと言われることがある。当たりだ。頭ではわかっていても改められない。幼稚な自分に呆れる。

夜『季節のない街』を観終わった。とても良いドラマだった。

被災して12年経っても仮設の街に住む人間たちは、善人でも悪人でもない、ただの人間だった。叩けばほこりが出るような人たちが、生きていた。

彼ら彼女らを観ていたら『断片的なものの社会学』に書いてあったことを思い出した。

 私には子どもができない。重度の無精子症だからだ。あるとき連れあいが、病院から検査結果を、泣きじゃくりながら持って帰ってきたとき、私はその話を聞きながらぼんやりと、「おれ安全だったんや、結婚する前にもっと遊べばよかった」と思っていた。
いや、そうではなく、もっと正確にいうと、「これは『おれ安全だったんや、結婚する前にもっと遊べばよかった』というネタにできるな」ということを考えていたのだ。私は咄嗟に、この話をどうすれば笑いを取れるネタにできるかを考えていた。
 私は咄嗟に、無意識に、瞬間的に、その話をネタにすることで、どうにかそのことに耐えることができた。もちろん、それから何年か経つが、そのことと「折り合い」をつけることはいまだにできない。ただ、私たちは、人生のなかでどうしても折り合いのつかないことを、笑ってやりすごすことができる。必ずしもひとに言わないまでも、自分のなかで自分のことを笑うことで、私たちは自分というこのどうしようもないものとなんとか付き合っていける。
 それはその場限りの、はかない、一瞬のものだが、それでもその一瞬をつなげていくことで、なんとかこの人生というものを続けていくことができる。

『断片的なものの社会学』

 私たちは、つらい状況におちいったとき、ひたすらそのことに苦しみ、我慢し、歯を食いしばって耐える。そうすることで私たちは、「被害者」のようなもようになっていく。
 あるいはまた、私たちは、正面から闘い、異議申し立てをおこない、あらゆる手段に訴えて、なんとかその状況を覆そうとする。そのとき私たちは、「抵抗者」になっている。
 しかし私たちは、そうしたいくつかの選択肢から逃れることもできる。どうしても逃れられない運命のただ中でふと漏らされる、不謹慎な笑いは、人間の自由というものの、ひとつの象徴的なあらわれである。

『断片的なものの社会学』

例えば第2話の終わり方が正にそんな感じだ。
与⽥タツヤ(仲野太賀)は“ナニ”で⽗を失いながらも、この街で⺟や妹弟を⽀えて暮らしてきた。
2話では、与田家にヤクザものの兄・シンゴが帰ってくる。
タツヤにとってシンゴは困った時だけ⾦の無⼼にくる疫病神だが、⺟・しのぶ(坂井真紀)はシンゴを溺愛し、いつもありったけのお⾦を渡してしまう。

2話の終盤、シンゴを守りたい母が、タツヤに向かって最悪なことを言う。
呆然とするタツヤは友だちのオカベ(渡辺大知)と病室から帰って、家で妹弟と半助(池松壮亮)と、白菜鍋を囲む。ハッピーなエンディング曲とともに、2話は終わる。

母との問題は全く解決していないのに。あくまでコメディドラマとして、悲壮感を引きずることなく終わる。

こういう登場人物たちの強引な前向きさが、仮設の街に住む人たちの強さであり、このドラマのおもしろさである。

それと同時に、あらゆる問題から目を逸らし、負の感情に蓋をし続けている(蓋をし続けるしかない)彼ら彼女らの生き方もまた人間の強さであり、このドラマの素晴らしさである。

🌎

1月13日 土

午前『カヨと私』を読む。

よく晴れたの日の昼間の信号待ち。
わたし含め大人たちが横断歩道からちょっとだけ離れた日陰で待っていたところに、後から来た高校生たちが、楽しそうに喋りながら、何の躊躇もなく横断歩道一歩手前の日向まで進んで行った。

この日差しへの無警戒さが若さだなあ。
目の前にある日陰と日向の境目が、信号待ちの人びとを大人と青年に二分した。手を伸ばしても向こう側には戻れない。

午後『拾われた男』を観る。仲野太賀強化月間だ。松本穂香がかわいすぎる

1月14日 日

駅まで歩いててなんかリュックが重いと思ったら、会社のパソコンが入れっぱなしだった。
今日一日無駄に重い荷物を背負わないといけないとは。
一気にテンションが下がる。

仲野太賀強化月間なので、池袋で『笑いのカイブツ』を観た。

本当は思いっきり褒めてあげたい、労ってあげたいのに、どうして目を見て優しい言葉をかけてあげられないんだろう。自分のそういうところが嫌い。

1月15日 月

めっちゃ真面目に仕事した。

シャワー上がりに鏡の前でドライヤーをかけていると、耳の中にシャンプーの泡が残っていることに気づいた。なんかかっこいいので、自然消滅するまで拭かないでおく。

1月16日 火

今日は修羅な一日だったけどギリ耐えた。

夜は『拾われた男』を観る。

布団カバーをつけるのが家事のなかで一番苦手。

🌿

1月17日 水

『拾われた男』を観終わった。最終話は号泣してしまった。

武庫川でピクニックする父、母、兄、娘を眺めながら、家族といるときの居心地の悪さを妻に話す松戸諭(仲野太賀)。それに答える妻、結(伊藤沙莉)のセリフが印象的だった。

「そういうもんなんじゃないの?家族なんて。 お兄さんもお父さんもお母さんも、きっと福子だって、なんかなあーとか思いながらあそこにいるんじゃないのかな」 「そういう居心地の悪さとか、良さとか、ありがとうって思えたときの感じとか、お父さんと素直になれたときの気持ちとか。そういうのちゃんと心で覚えておくべきなんじゃないの?俳優さんは」

それからしばらく経って、兄が亡くなり、ピクニックで撮った家族写真を見返した諭には、「その写真は、あの時の記憶とは違い、みんな心から楽しそうな顔をしていた」ように見えた。

家族ってそういうものだよな。

大切な存在だからこそ完璧を求めてしまう。身近にいるのが当然だからわがままにもなれる。でも、あくまで家族も他人であって、思い通りにいかないこともある。

家族といるときにしか湧いてこない、なんともラベル付けされていない感情があって、それもまた人生を豊かにするものなのだ。

”ただ一緒にいる”だけでも十分なのだから、一緒にいたい気持ちがあるのであれば、一緒にいるのが良い。
(無理する必要は絶対にないけれど)

俳優として駆け出しの松戸諭が、演技にも恋にも体当りする前半。
結婚して子どもを持ち、兄を巡って形を巡る家族と、大切な人の死にも向き合う後半。
まさに人生を感じたドラマでした。

10代憎しみと愛入り混じった目で世間を罵り
20代悲しみを知って 目を背けたくって 町を彷徨い歩き
30代愛する人のためのこの命だってことに あぁ 気付いたな

エレファントカシマシ 俺たちの明日

1月18日 木

ここ半年間でワーストの一日だった。
心にすっぽり穴が空いたような感覚。なんだか虚しい。
部屋の静けさに耐えられなかった。

この1週間ほとんど運動してないのも良くない。

1月19日 金

オフィスに出社。食欲がない。

定時で逃げるようにして退社する。

どうして働かずに生きることはできないんだろう。嫌なことをせずに生きることはできないんだろうか。

生活費を稼ぐために働いてるだけで、別に成長したいわけではない。成長を期待されても困る。得意なことを伸ばす方の努力はできるけど、苦手なことを克服する方向の努力はしたくない。

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