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友人に気づかされた人間観察の新しい視点

唐突ではあるが、私は人間観察が結構好きな方である。
街中でもすれ違う人の身体的特徴(背丈、身につけているもの、服装)や歩き方などをなんとなく観察したり、普段の周りの人の会話からこの人の価値観は…とかこんな性格なのかなと予想したりしている。

自分が目指している職業的にも観察という観点からの物事の解釈はとても大切であるため大学に入ってからはかなり意識して観察してきたつもりである。それなりに観察の視点もついてきたところなのでは無いかと思っていた矢先、別方向からの攻撃にはっとした。

人間観察にはね「どんな人間か」と、
「どんな雰囲気か(今何を見ていて、それに対してどう思っているのか)」
があるんだよ。あなたは前者でしょ?

こう言われた時、自分の足りないところを的確に不意に突かれたものだからかなり驚いた。だがそれと同時に視野が広がった気がして感動した。(くそ安直)


その通りである。自分は人の発言や行動から観察対象者の物事の判断の基準、所謂価値観や性格にフォーカスを当てる。また周囲の人や自分に対しての発言や態度からその人に対しての心の開き具合などを推察している。例えば…↓

  • 自分にはどのように声をかけてくれるのか、話しかけた時の対応の仕方

  • 持ちかける話題

  • 自分の意見に対しての反応(こうていか否定か、別角度からの意見か)

  • 様々な状況下でのその人の動き

  • 机の上の物の配置、持ち物(統一感があるか、派手か、シンプルか)

  • 人によってどのように言語表出が変化するのか

  • 何に対して面白いと思うのか

  • 癖、よく見られる行動

上記のようなことを日頃は観察している。結構難しいが解釈があっていそうだなと実感できる時は楽しい。おすすめです。


そして私に足りなかった後者の観察の視点、「どんな雰囲気か」
この観察が得意なのは自分の勝手な偏見だが女性の方だろう。

なぜかというと、これは場の空気を読む力と相関があると思うからだ。
女性って男性に比べて目線で会話をする生き物ではないか。「今のありえなくない?」とか「うわ、まじかよこいつ」的な目配せをよく行う傾向にあると勝手に思っている。だから目線で相手が今何を思っているのかがわかるし、あえて口に出したりしないのだろう。(俗に言う’’察する’’である)

だが私は目線で会話をするのはあまり得意ではない。だって目じゃ何も伝わってこないんだもん。目だけで話が通じないから人類には口がついてるのでは?絶対に口にしたほうが誤解なく伝わっていいんじゃないの?という考え方である。そして空気を察することも苦手である。

この性格のおかげかネチネチした人が友人になることはあまりないし、人間関係でトラブったこともほぼない。噂話を気にしたり誰と誰が仲違いだとか気にしすぎても結構息苦しいから自分としてはあまり困っていない。

だがそれを改めて友人に指摘された時はやっぱりか〜!!!と打ちのめされたような気分。そしてお前は馬鹿かと言われる始末。確かに、もう少し察する能力があってもいいと奥底では自分でも思っていたのだがね、、、


これまで精神的に疲れるからと言う自分でも意識できていないほどのレベルで避けてきたその人の今の雰囲気を読むという観察の視点。きっとこれが苦手なのは相手の感情を読むことに対しての疲弊とどうでもいいという感情が混ざっている上に、感情を読んだことで傷つくのが嫌だからだと思う。人生まだ先は長いので、この能力があってもきっと困りはしないだろう。
たまに、疲れない程度にやってみようと思った。


気づかせてくれた友人の存在と上手い言語化能力に感嘆したところでおしまいとしよう。素直じゃなくても素直すぎても上手くいかない、人間は何て面倒な生き物なんだ。不思議で不可解なバランスでゆらゆらしていることの難しさと尊さよ。

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