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曖昧さを享受しながら生きていくという話

全く関係のないサムネイル大変失礼します。(美味しかったカプレーゼ🍅🧀)

我々は毎日何かしらの決断を1日の間で数え切れないくらい行っている。
無意識を自覚しようとすることはとても難しいが、無意識のうちに決めていることって意外と多いんですよ。これ本当に偉い。朝起きることも、学校や職場に行くために玄関の扉を開けることも、勉強することも、音楽を聴くことも、歩くことだって、なんだって自分で決めていることなんだ。

余談だが、高校の時の進路の先生が「何かを選ぶということは、別の選択肢を捨てるということなんだよ。」と言っていたことが今でもなぜか頭から離れない。(前提として自分が通っていた学校は大学進学を目指している人がほとんど)この文言の意味合いとしては大学進学が当たり前だと思っているだろうけどその分高校卒業後に就職する選択肢を捨てているということなんだよということである。要するに大学進学だけがこの世の幸せという訳ではないし、どんな選択をするのかはその人の自由で何種類もあっていいってことで私たちの視野を広げるためだったのかなと思う。まあ言葉の真意は不確定だが。

あ、話が脱線しましたね。毎日選択を数え切れないくらいしているのは当たり前なんですよ。風呂に入る、歩く、食べるとかってスパッと決断できるじゃん。YESかNOみたいに無意識的にできるから選択してる感じがしない理由だと思う。

でも生きているとそう簡単に全ての事象に白黒つけられないのが難しいところ。まだ曖昧な感情にYESかNOかで今すぐ答えて!なんて言われたらたじろいでうまく言葉が出てこない。
例)友達のことは好きだけどこの先(じいさんばあさんになっても)も仲良くいれるか、連絡を取って会おうってなるかは分からない。友達として接してる人が恋愛対象になるかならないかは今後の関わりとかきっかけ次第、、、とか。いざこざに対してどっちが悪者と言い切れないこと。など

恋愛も人間関係もそうである。私たちには不確定な未来がある。今すぐ決断できないこととか、結果がどうなるかわからないものとか。今すぐ決めつけては自分の可能性を狭めてしまうかもしれない。

だから一旦置いておくのがこういう時の得策。ヨシタケシンスケさん(絵本作家)も言っていたが今がこの先にどう影響するかなんてわからないしそれが近い未来か遠い未来かなんて予測できない。
今日は死にたいわーって思っても明日はもしかしたらいいことがあるかもしれないよね。(いいことがあるという可能性を100%否定することは不可能)物事は必然的・絶対的な部分を必ずしも持ち合わせていないという要素が白黒つけられない曖昧さを必要とする原因なのかな、と。

https://youtu.be/s1CGt5gHvzU?si=3X7nTEDDhJ29fykX

Youtube:ヨシタケさんにきいてみよう!(4)「いつも死にてーと思いながら生きている」より引用


過度に人に期待せず、来るもの拒まず去るもの追わず的な心持ちで生きろってことだよな?曖昧ばっかりだとどっちだよ!って言いたくなるし疲れるけど、はっきりしないもの時には大事なはず。

三年前のヨシタケシンスケさんの動画が今出てきたってことは、きっと今の自分に必要だったんだなと思うことにした。今は視野が狭まっていても気づかないうちにバッドモードが解消されているかもしれないよね!?

気楽にとは言えないけど、夏休みの不確定な予定を楽しみに!!勉強は嫌だけどいつかのためになるかもしれないと思って頑張ります。

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