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ただ走ってるのが好き

会社の研修中。
ホテルの部屋に帰ってもやることないので、note。

 小学校のサッカー少年団では、コーチがとにかく走らせる人だった。練習後にグラウンド3周。決められたタイムに1人でも間に合わなかったら全員プラスで走っていた。試合でも、相手に負けた時は失点数プラス3周。2-0で勝っても1周走っていた。特に、僕はキャプテンだったのでチームの誰かが忘れ物やミスをした時は、怒られたチームメイトと僕がずっと走っていた。

 小6の時、ご褒美的な感じでいける沖縄遠征で、忘れ物か何かをしたチームメイトがいて、そいつと僕は宜野湾市の公園を試合の時間以外ずっと走っていた。

 中学のサッカー部時代も、めちゃくちゃ走った。練習の前後はもちろん、狭い学校だったので3日に1日はグラウンドが使えず、学校の周りを走るだけの日があった。

 その影響で、学校の持久走大会の上位もほとんどサッカー部だった。(僕は入ってない。笑)

 当然といえば当然だが、走りの日は人気がなかった。多分今もないと思う。どうショートカットするかしか考えてない部員もいた。そういう部員は、「ただ走ってもテンションがあがらない。」「ボールに向かって走らないと意味ない。」と言っていた。

 でも僕は、ただ走るのがそこまで苦じゃなかった。
 走るために走るのが、割と好きだった。

 理由を考えたら、サッカーの試合では思い通りにならないことがほとんどなのに、「走る」は思い通りになるからかなと思った。というか、サッカーに限らず、小学生の僕にとっては思い通りになることが、走ることぐらいだったのかもしれない。

 もちろん走ってる時は苦しいのだけれども、「走る」という目標があって、走ったらその目標を達成できるのが好きだったのかもしれない。「目的を達成すること」が自分にとっては貴重だったのだと思う。

 同じ場所を走り続けると、自分にとっての目印ができる。1周してそれにまた出会うと、「もう1周した」「まただ。」「これこれ。」という訳がわからないモードに入っていく。

 小6の時の沖縄遠征では提携してる沖縄のサッカーチームのメンバーの家にホームステイした。小学生にとってホームステイなんて超絶楽しいイベントなはずなのに、おぼろげにしか覚えてない。 
 でも、宜野湾市のとある公園にある銀色のオブジェは、はっきり憶えている。

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