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私は演劇を目的ではなく手段だと考えている。

たかつです。久しぶりにnoteを書きます。

「脚本を書く」ということを始めて、もう22年も経つ。がむしゃらにとにかくたくさん書いていた時期もあったし、行き詰まって放置してしまっているものもたくさんある。「書きたい」ときも「書かなきゃいけない」ときもあった。

書いたものすべてを上演しているわけではないが、通常の演劇公演ができなくない状態の今、私は何故演劇をしているのか?なぜ脚本を書くのか?という点を改めて振り返る時期なのかもしれない。そしてふと考え、文章にしようとして書きだしては消してを繰り返して一ヶ月ほどが経った。

なんでnote書けないのかなあ、と考えてみると、ここ2ヶ月ほど非常に「アウトプット」の機会が多かった。
衣装を作成したり、演劇と朗読の稽古をしたり、コラムを書いたり、画像加工をしたり、映像作品を作成したり。人生初の出張もあった。忙しくて普段よりも圧倒的に「インプット」する時間が少なかったように思う。

私は何をするにもしっかりと考えておきたい。必要な情報をたくさんインプットして、自分の中で反芻して熟考してからアウトプットしたい。できるなら。時間が許すなら。
高校生くらいのときから自覚していたことだが、私は「バランスを取りたがる」ところがある。
例えばインプットとアウトプットのバランス。10~100以上のインプットに対して、やっと1つのアウトプットになる。そしてそのアウトプットは経験としてまた1つのインプットになる。簡単に言うと「アイデアが出てこない時はインプットが足りてない」という経験をたくさんしたからそう思っている。個人差があるだろうけど。

そういう性格をしているので、自分の考えをなかなか文章にできなかった。先日ようやく幾つかの仕事が一区切りついたので、書いては消してを繰り返していたnoteに再び手をつけよう。

私は演劇を目的ではなく手段だと考えている。
脚本を書くことも同じく手段である。高校生の時から基本的に自分で書いた脚本を自分で演出していたが、ここ数年は既成脚本を使用してみて、いろいろと発見し学んでいる。
では、なんのための手段なのか?何を発見し、何を学んでいるのか?

今現在、私の終着点は「よりよく生きること」である。
私が私として、私の人生を「よりよく生きる」ための毎日を過ごしていると思っている。将来のことを夫と話し合うときも重点を置いている。私にとって演劇をすること・脚本を書くことも「よりよく生きる」ための手段の一つなのだ。

脚本にしろ、衣装にしろ、宣伝美術にしろ、私は何かを形にすることが好きだ。楽しいと感じる。達成感が味わえる。その経験を生かしてまた次のことを積み上げていくこと、それが「よりよく」に繋がっている。
最近は動画編集を勉強し始めた。わからないことだらけだが面白い。楽しい。腰は重いが、やり始めると長く付き合うのが私の付き合い方なので、これからもちょくちょく映像作品を作ってい行きたいと思えるようになった。

(留守の朗読劇公演の撮影は終えて、鋭意編集作業中!)

そして私は、とても体が弱い。心の容量も小さい。だから無理をしないで休み休みやることが重要だ。癒されることが必須だ。理想は週に一回は「何もしない日」を作りたいくらいだ。現実には月に一回、かな。
とにかく「頑張りすぎ」には注意。細く長く。
しっかり睡眠をとって、丁寧に料理して食べて、程よい運動をして、愛犬と戯れて、夫とたくさん話して、友人と出かけて、ゆっくりお風呂に浸かって、私は毎日をちゃんと「生きたい」と願う。

これが平々凡々な私の「よりよく生きたい」に、「演劇」がある理由。

しばらくゆっくりとインプットをして、もう少し私自身の「なぜ」に向き合いたい。そして、それらを文章にしてnoteに記録しておきたいと思う。


村井さんとお富ちゃんの朗読映像作品は見ていただけましたか?私が携わった初めての動画作品になります。各々の魅力が詰まったものになってます!ぜひご覧ください★


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