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小川未明『月夜と眼鏡』読書感想文(たかつかな)

 静かな夜は、ともすれば耳の奥である一定の高さの音がずっと聴こえていることがある。ファーと鳴るその音は、耳の奥、つまり体の内部から聴こえていたはずなのに、いつの間にかそれが空間全体に広がっている。そんなときは不意に近くで物音がすると、空気がぶわわわわんと揺れる。耳だけでなく、肌で「音」を聴いているのだなあと思う。そんな感覚が呼び覚まされるような物語だった。

 穏やかな月のいい晩に、静かな町のはずれの家で、おばあさんが針仕事をしている。そんな夜に扉をコトコトと叩いた来客は、背の高くない男の眼鏡売りだった。針に糸を通すことが難儀だったおばあさんは、その男から喜んで眼鏡を買う。そうしてまた針仕事をし、夜も更けてきてさて寝る準備をしようとしたところへ、再び扉がトントンと鳴った。「なんという、ふしぎな晩だろう」おばあさんが扉を開けると、そこには美しい少女が立っている。町の香水工場で働く彼女は、花の香りを纏いながら「指を怪我して血を出してしまった」と涙していた。おばあさんがその傷に薬をつけてやるため、眼鏡をかけると……。

 冒頭の、この文章を読んでみてほしい。

 町も、野も、いたるところ、緑の葉につつまれているころでありました。
 おだやかな、月のいい晩のことであります。しずかな町のはずれにおばあさんは住んでいましたが、おばあさんは、ただひとり、窓の下にすわって、針しごとをしていました。
 ランプの火が、あたりを平和に照らしていました。(中略)
 月の光は、うす青く、この世界を照らしていました。なまあたたかな水の中に、木立も、家も、丘も、みんなひたされたようであります。(中略)
目ざまし時計の音が、カタ、コト、カタ、コトとたなの上できざんでいる音がするばかりで、あたりはしんとしずまっていました。(中略)
 おばあさんは、いま自分はどこにどうしているのかすら、思いだせないように、ぼんやりとして、ゆめをみるようにおだやかな気持ですわっていました。

 静けさが、このように丁寧に表現されている。私には「静か」という音の状況だけでなく、色や温度、湿度、触り心地までもが染み込んできた。
ランプの火や時計の針の音の波長さえも見えてしまいそうな気がする。

 そして「なまあたたかな水の中にみんなひたされたような」という感覚や、「いま自分がどこにどうしているのかすら、思い出せないように」といった感覚になったことは、私にもたびたびある。

 私は集中すると周りの音が何も聞こえなくなる時がある。と、初めて気が付いたのは高校生の頃だった。友人と本屋さんへ行きいろいろと物色していたら、試し読みをしていた本にぐぐっと引き込まれたことがある。この世には目の前の文字しかないような、その文字は確かに黒い縁どりをした何かだけれど、その奥にあるものを見ようとしているような、キュウウと研ぎ澄ました感覚だった。
「ねえ」と友人に体を揺さぶられて、私を囲っていた殻がバラバラバラと割れた。指先や頬がしびれていて、体が熱く、一瞬自分がどこにいるのかさえ分からなかった。友人が言うにはもう1時間以上経っているし、何度も声をかけたらしい。しかし、私は何の返事もせずただ本のページをめくっていたと。私の体感ではほんの5分程だったし、掛けられた声は全く聞こえなかった。本気でタイムトラベルしてしまったのかと思った。

 そして「周りの音が聴こえないくらい集中する」前触れに「ファーーー」とぼやけた音が聴こえてくることに気が付いた。その音はじわじわと空間を支配していき、時計の音も扇風機の音もPCの音もその中に溶け込み、音も形もすべての輪郭が曖昧になってしまう。そうなるともう全てが一体化して私自身も含めて丸ごと「ファーーー」になる。
それは本を読むとき、PCで作業をしているとき、そしておばあさんと同じく、縫物や編み物をしているときだ。はっと気が付いて時計を見ると、1.2時間がスルリと過ぎ去っているのだ。

 まさか100年ほど前に描かれた物語の中のおばあさんと、自分の記憶が重なるとは思ってもいなかった。肌感覚でスポリと入り込める瞬間があるから、読書って面白いんだよなぁ。

小川未明『月夜と眼鏡』読書感想文 たかつかな

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