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大正時代の女中暮らしについて勉強中。

『留守』が発表されたのが1927年4月。
昭和2年となるが、昭和は1926年(昭和元年)12月25日から始まっているので、たった4か月後だ。
そのため、私はこの『留守』という物語は大正時代に着想・執筆されたのではないかなと考えている。

大正時代は1912年(大正元年)7月30日から1926年(大正15年)12月25日まで。約14年ほどの短い時代だ。
しかし「大正デモクラシー」という言葉が残っている通り、民主主義の発展が目覚ましく激動の時代だったようだ。

『留守』で描かれているのは、女中たち。
一家に一人女中を雇うことが当たり前だった時代。
女中として働き、それを「花嫁修業」とした女性たち。

彼女たちの生活がどんなものだったのか、彼女たちが生きた社会はどんなものだったのか。
時代背景をすこしずつ勉強している。

例えば、『留守』の中には「髪を洗う暇がない」「これで二月目」という台詞がある。
「二ヶ月も髪を洗っていないの?!」
と、読んでいた私たちは騒然とした。だって現代人はほぼ毎日髪を洗う。暑い夏なら1日に2回シャワーする人もいるだろう。
そのため、「お手伝いさんになんてひどい仕打ちをしているのだろう」とも感じた。労働環境が酷すぎるんじゃないか?と。

しかし、調べてみると、昔はそれが当たり前だったらしい。
昭和の団地ブームあたりまで、家に「風呂がない」という作りだったことも関係しているだろう。わざわざ銭湯に行くしかないのだから、たしかに「暇がない」と行けない。
「月に一度はシャンプーを」と書いてある昔のポスター画像も見つけた。

もちろんお風呂に入らない=何もしないわけではなく、体を拭いたり髪を梳る行為で代用していたようだ。(代用、というのも現代の私からの視点が強いな。昔はそれが当たり前だったんだから。)

「髪を洗う」という習慣1つにしても、約100年前と現代とでは全く違うのだなあと、改めて感じた。

そこで思い出したのが、古典の授業だ。1000年程前の平安時代には、月に一度の「髪を洗える日」があったが、陰陽道的に良くない日と重なってしまったら、その日には髪を洗えず来月に持ち越した……というエピソードを教えてもらった覚えがある。髪の毛を洗う・洗わないを占いで決める時代があったことに驚いた。
当時の女性の髪の長さを考えると身震いした。なんせ身分の高い家の女性は一生髪を切ったことがないとか。どれだけ首や肩が凝ったことだろうか。髪を梳るだけで数時間はかかったんじゃなかろうか。

とにかく、時代が違えば何もかもが違う。
昭和二年に発表された戯曲を、令和二年に再構築する作業に、日々勤しんでいるたかつでした。


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