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「優しい」と「親切」を使い分ける、ということ。

 夫はとても優しい人だ。私が寝込んで家事を一切していなくても「ちゃんと寝ててえらいね、食欲はある?うどんか雑炊どっちがいい?」と食事の用意までしてくれる。テレビを見ていてつらいシーンがあると手を握ったり背中をさすったりして「チャンネル変える?」って訊いてくれるし、私が遠出した時は車で迎えに来てくれる。その時に友人と一緒に居たら、その友人も送ってくれる。基本的に彼は誰にでも優しい人である。と、私は思っていた。

 しかし先日、ふとした会話の中で夫が「私があなた以外の人に優しいのはおかしいでしょ」と言った。
夫婦として、パートナーである私を特別扱いしてくれているんだなあとしみじみ嬉しく受け取った。しかし、なんだかその言い方が頭を離れなかった。そしてやっと、モヤモヤしていた考えにパッと当てはまる言葉が浮かんできた。

 彼は人に「優しくすること」と「親切にすること」を別だと考えているのではないだろうか。周囲の人に「親切にすること」と大切な人に「優しくすること」は、確かに違う。けど、結構ごっちゃになりやすい。少なくとも、私はその違いについてしっかりと考えたことがなかったように思う。

 そういえば、私の大好きな漫画『逃げるは恥だが役に立つ』の中にも、
男性「優しくされたら好意があるかと勘違いするだろ!」→女性「勘違いさせた私が悪いのかな」→第三者「いや、基本的に他人に優しく接するのはマナーの範疇内で、それを好意と勘違いするのはその人の経験不足が原因」という描写があり、「それそれ~!!なんで笑顔で挨拶したり仕事を快く引き受けたりするだけで好意と勘違いする人間がいるのか不思議だったの~!!」となった覚えある。「周りの人に親切にしていただけ」なのに、自分だけ特別だと受け取る人はまま居る。

 では「優しい」と「親切」は全く別物かと言われると、そうではない。基本的に同じベクトルを向いていて、深度が違うだけなのだ。浅い部分は「親切」で深いところは「優しさ」みたいな。もしかしたら夫は、「親切」は周囲に配れても、「優しい」は大事な人にしか渡さない。そう決めているのかもしれない。だからあの発言になったのかも。

 育ってきた環境の違う私たちは「優しさ」と「親切」の境界線がそれぞれに違う。「他人に優しい」というのは大いに結構だが、そのせいで自分が損をしたり大事な人を傷つけてしまうようなら、今一度自分のなかで区別をつけるなり、境界線を見直すなりした方がよさそうだ。自戒を込めて。

何色何番 たかつかな

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