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小川未明『月夜と眼鏡』読書感想文(村井春奈)


 夜は暗い、夜は怖い、夜は気持ちをそぞろにさせる。見えにくいから。そう言われる「夜」たるものの美しさを詰め込んだような作品。曖昧に終わっていく結びも「夜」の暗さが内包しているのだと思えばあたたかい。小川未明作の『月夜と眼鏡』、作者の名前もタイトルもきれい。読み終わってから一層感じる。


月夜に針仕事をしているおばあさん、もう目が見えなくて糸が通せない、そんなところからこの物語は始まる。歳を重ねて閉ざされた感覚もあるが、その分穏やかな様子だ。夜一人でいるおばあさんのところに何らかの来訪者があって、という話は珍しくない。
まず来たのは眼鏡売り、おばあさんの要望を受けて針の穴までよく見える眼鏡をわたす。
細かなものまで見えるようになった彼女は、娘時分を思い出し気持ちが高揚する。
次に来たのはもう寝ようとしているところに十二、三の美しい女の子、怪我をしておばあさんに助けを求めにきた。香水工場で働く彼女からはとてもいい匂いがしている。怪我をした指先をよく見ようとして眼鏡をかけたら…。

 私は筋金入りの近視で、しかも乱視だ。時折緑が見えなくなることもあって、なかなかのものだという自覚はある。視力については見えることを「良い」、見えにくくなることを「悪い」と言うが、その表現はやや貧しいものに感じる。というのは私が「乱視」を気に入っているからだ。裸眼の私には、光の点がそれを中心に広がる。まるで花が咲いたように見えるので、「乱視がなければこの世界を知らなかった」と思うと喜んでしまう。も
ちろん、眼鏡を通してあちらの世界とこちらの世界を行き来できるからだが。おばあさんの目に『美しい少女』に見えている彼女は、眼鏡を掛けて見ると『こちょう』になる。本来の姿が『こちょう』なら、おばあさんの目に見えている美しい少女とは、一体何を象ったものなのか?眼鏡を掛けなくてもおばあさんの目の見る力は素晴らしいものなのでは?と思わせる。

また、聞こえにくくなった耳をそば立てる場面、少女からする花の香りや、手当をしようと案内した花園の色彩豊かな様など、五感に訴える描写が細かにある。それらがひとつひとつ丁寧に感じられるのは、おばあさんの感覚が静かだからだ。だからこそ『こちょう』が訪ねて来られたのではないか?正体を知ったとしても穏やかに受け入れてくれると思えたのは、窓辺で穏やかに針仕事をする彼女を度々見ていたからだ。明瞭ではない分、曖昧になったからこそ行き来できるものがある。その曖昧を受け入れられるのが「夜」という器なのだろう。

歳を一つ重ねるごと、感覚や感情の色彩が細かに感じられるようになっていく。また言葉の意味も、内容も味わっていくごと確かになる。失うのではなく新しい次元に進むかのように。新しい美しいものに出会えるようになっていく。私も月夜に浮かれた『こちょう』に出会えるような、そんな歳の重ねをしたいものだ。


小川未明『月夜と眼鏡』読書感想文 村井春奈

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