メタバース、横から見るか、上から見るか
最近、平野啓一郎氏の『本心』という小説を読んでいます。今大体半分ぐらい読み終わったところなんですが、登場人物たちは所謂格差社会の負け犬でつらい現実から逃避するためにVR(メタバース)を利用しています。
上記の記事には現実の生活こそが大切で、メタバースで過ごす偽の生活は取るに足らないというようなことが書かれています。メタバースで現実で出来ない自己実現を達成する人がいるとか、ちょっとでもフォローしてあればよかったんですが、それもなく。
ちょうど『本心』を読んでVRに逃避している登場人物たちに感情移入しているところだったので、上記の記事の方は考え方がマッチョ過ぎるなぁと思った次第。
メタバースだからこそ、貧富の差が現実よりは少なく、美醜や性別にとらわれることもなく、距離も関係なく価値観のあう人とコミュニケーションが取ることが出来ると考えると下位互換ではなく、メタバースは現実と並列に並ぶものなんじゃないかと思ったりしますけどね。
もちろん、現実が改善できればそれに越したことはないですが、そう出来ない状況ってのも世の中にはあるんじゃないかと思うんですよね。
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