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「これどう思います?」→「知らんがな」


時事問題に対して「これどう思います?」という質問は、世間話の一環としてされがちなんですが。毎度困る訳です。ちゃんと考えるのが面倒くさいので気の置けない間柄であれば、タイトルのように解答し、同僚とかであれば「よくわからないですね」と答えることに最近は決めています。ただ、自分の考えをまとめるのから逃げてばかりもいられないので、偶には時事問題でも考えてみようかと思います。

始めに

上記の記事はトランプ米大統領が、「対立を煽るような投稿」をした際、他のSNSは投稿を制限したり何かしらの対応を行ったにも関わらずFacebookは何も行わなかった。それにより、イメージが大事なクライアントが広告の出稿を停止した。という話です。

「これどう思います?」の意図について考えられるのは以下の3つとかでしょうか。
・現象としてどう見るか
・SNS運営会社は投稿を規制すべきか
・表現の自由と、対立を煽る投稿について

現象としてどう見るか

上記に書いているように、イメージが大事な企業からすると対立を煽る内容や、一部の層を敵に回すような投稿を許容するサイトに広告は出したくないので、当然の流れだと思う。

SNS運営会社は投稿を規制すべきか

運営会社の自由だとは思うが、今後はどのような投稿を規制し何は規制しないのかというガイドラインが、SNSの特色になっていく可能性があるのではないか。と思う。

表現の自由と対立を煽る表現について

もう少し広い話で、SNSに限らず表現の自由と、対立を煽る(誰かの気分を害する)表現について私はできるだけそう言った内容を発信しないようにしたいと思っている。

ヘイトスピーチの文脈でよくポパーの「寛容のパラドックス」が持ち出されることがあるが、誤用であることが多いし、

多くの人間が意見を発信できるようになった現代には馴染まないのではないか?と考えている。

少し説明すると、不寛容な表現を始めにする人というのは、寛容であることの土壌になっている表現の自由を攻撃しないことが多く、ポパーの(意見を発信できるのは一部の特権だった)時代では「寛容のパラドックス」は成り立ったんだろうけど、多くの人が意見を発信出来るようになった現代においては、不寛容な表現に対するフォロワーが、不寛容な表現を武器に表現の自由を攻撃することがあるのではないだろうか。

言い換えると、不寛容な表現はインターネットによって一人歩きし、ポパーの時代のように対話することができなくなった。と言えるだろう。

ポパーの「寛容のパラドックス」を知ったときにはこれが答えだ!!ぐらいに思ったものだけど、結局こう言った問題を容易に解決できるものではなさそうだ。


#COMEMO #NIKKEI

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