デスストのレビューが書き終わらない。
昨日も書きましたが、未だに『DEATH STRANDING』のレビューが書き終わらないです。書いている途中でボツになったけれども、ただ消すのはもったいない部分をここで晒しておこうと思います。ヘッダと文章どちらもです。
『DEATH STRANDING』第一弾ティザートレーラー公開直後、小島監督へのインタビュー
僕は安部公房のファンで,(彼の作品に)「なわ」という短編小説があるんですが,ここである定義がされているんですよ。人類が最初に発明した道具は棒で,自分に敵対するもの遠ざける特性をもったものであると。その次に人類が発明したのは縄で,これは逆に自分がつなぎとめたいものを引き付けて縛るものであると。そして,今も棒と縄という道具を,人類は使っています。
よくよく考えてみると,今のゲームはオンラインでマルチプレイやCo-opなどができますが,これは棒なんですよ。人を殴ったりすることでコミュニケーションがなされている。DEATH STRANDINGは,その次に行こうとしています。当然,棒も出てきますが,ゲームをしながら,縄的な思考でつながるんです。それはストーリーも世界観も,ユーザー同士も,あるいはプレイを見せる実況者なども含めて,全部ストランドします。
(上記記事一部抜粋)
当時はこのインタビューを読んでもゲーム性について全く想像つきませんでしたが、「縄的な思考で繋がる」と言うのは『DEATH STRANDING』独自の緩やかな協力プレーを非常にうまく表していると思います。また、インタビューでは『DEATH STRANDING』のゲームジャンルについても語られていますが、そちらも当時は何も言ってないに等しいなと思っていたんですが、実態を知ってから見るとこちらも非常に巧みな表現です。
――DEATH STRANDINGのジャンルはどうなるのでしょうか。
小島氏:
ジャンルは問うべきではないと思うんですよ。ゲームのインタラクティビティを一番問うことができますし,ノーマンを動かすからにはアクションではあります。
ただ,アクションというジャンルには,シューター系なども含められますよね。アクションを車に喩えると,いろんな車があっても,だいたいの作りは一緒です。扉を開けて,椅子に座って,鍵を挿して,アクセル踏めば進んで……これが基本じゃないですか。でも,ハンドルが三角形とかの変な車だと誰も乗りません。
そういう意味では,DEATH STRANDINGは尖った車ではありません。乗り込んで発進するところまでは,ちょっと目を引くぐらいの車(=アクション)です。でも,そのまま進んでいくと,見える風景が違ったり,縄的な喜びを感じられるゲーム性があったりします。
(上記記事一部抜粋)
『DEATH STRANDING』の操作感は革新的で、その革新的な操作感にゲームのストーリーや、配送、音楽、グラフィックが掛け合わされることで、プレイヤーの感動を呼び起こしているのだと考えられます。これを抽象的に表したのが上記の文章なのではないでしょうか。